
母の納骨の日の地方紙に書いてあった文章
「近親者の最期を、手を握りながら看取りたいものだと望んできた
そばで見守ることができれば死者の思いを心に刻むことができ
悔恨の思いなども少しは小さくすることができるのではないか
しかし、看取りの機会はなかなかないもの
ベットのそばで、声をかけ最後のコミュニケーションをするなど
ドラマの場面だけのことのようだ
感謝の言葉を聴くことなど、夢のまた夢のような気がする
死は偶然的で運命的、タイミングを合わせることなどできない
今世紀になっても相変わらず、人間は戦禍による死、災害による死
疫病や事故、不条理な死を避けえないではないか
最期を看取ることができなかったとしても人間の死を理解し
悼みあうことはできる」抜粋
長期入院していた母が、院内でコロナに感染したと連絡があったのが
今月初め、2週間もたたずに、お亡くなりになりましたと真夜中の電話
病院の裏口に防護服の看護師さんがいて、棺に母を納めて霊柩車へ
私とツレは離れたところで待機
そのまま斎場へ しかし、斎場の中に安置する事は出来ず
コロナ死者用の花も線香もない殺風景な一室に鍵をかけられ安置
火葬が済んで、お骨になった母と対面、やっと実感する
そして葬儀、納骨
このタイミングで、この文章が目に留まった