内容紹介
日本の年金は、平成13年(2001)からあなたが資産運用する時代になりました(確定拠出年金の開始)。
そこで、はじめに製造業中心の日本において、未知の分野の資産運用立ち上げをはたした厚生年金基金での資産運用インフラ・ノウハウ獲得の経緯とその成果をご覧いただき、最後にこれからあなたが立ち向かはなければならない資産運用Q&Aの物語をお楽しみいただきます。
一読後、あなたは資産運用にたくましくなられること受け合います。
読書感想
友人の読書感想(2015.02)「次から次へと読みたくなり、一気に読んでしまった」「小さな基金でのご苦労・奮闘ぶりがよくわかりました」「Q&Aが分かり易かった」「ともかく面白かった!」
登録情報
- フォーマット: Kindle版
- ファイルサイズ: 7780 KB
- 紙の本の長さ: 113 ページ
- 同時に利用できる端末数: 無制限
- 出版社: 年金カウンセラー 高野 義博; 7版 (2014/4/30)
- 販売: Amazon Services International, Inc.
- 言語: 日本語
- ASIN: B00K2DUJQ0
-
- Word Wise: 有効にされていません
はじめに
厚生年金基金の資産運用に取り組むことになった昭和50年(1975)当時、中学野球・電気科・哲学科出身の筆者(35才)にとって、資産運用は全くの別世界でありました。
その頃、基金の年金資産が積み上がりつつあるなかで、効率的な資産運用で収益を出さなければならない事情が高まりましたが、あいにく日本には企業にも個人にも資産運用のインフラ・ノウハウが見当たりませんでした。
そこで、資産運用ド素人が以下のような試行錯誤の切磋琢磨に取りかかり、ミイラ取りがミイラになってしまい、これが以後筆者の30年間のライフワークとなりました。
1. 資産運用の立ち上げ
2. 事務長の読んだ金融本
3. 戦略アセット・ミックスの構築の経緯
4. パブリック・コメント?
5. 受託者責任の概要
6. ABC基金の資産運用マネジメント
7. ABC厚生年金基金資産運用基本方針
8. 厚生年金基金リスク管理規程
9. 資産運用機関の勝手格付け
10. 資産運用関係図表等
11. 取り敢えずの401(k)論
12. 機関運用から個人運用へ
13. 確定拠出年金のスタート
14. 確定拠出年金はじめのはじまり
15. 資産配分チェック
増補.アセット・ミックス(資産配分)
厚生年金基金等に蓄積されたこれら資産運用インフラ・ノウハウの一端を皆さんとシェアしたくて集めてみました。
これらの資料が、確定拠出年金開始に伴い、これからご自分で資産運用をすることになった皆さんにとって、一つの事例として何らかのヒント、ひらめきを提供できて、皆さんのご参考になればこれに勝る幸いはありません。
1.資産運用の立上げ
厚生年金基金は一般的に、貸借対照表の借方の資産を守り、貸方の債務を果たすことで、加入員等の老後生活を保障することを設立趣旨としています。つまり、資産の保全と債務の遂行のために基金は掛金を徴収し、年金を支払うことになります。これを全うするために、受給権を保護し、受託者責任を果たさなければなりません。このことは、基金は常に資産と債務のバランスを視野に入れた〈最良執行〉を求められているということになります。基金は〈最良執行〉を達成し、事業主と加入員等にローコスト・ハイリターンの老後生活保障を提供することになります。
これを達成するために基金事務所ではミクロの積み上げが重要になってきます。とは言え、ミクロを単発で個々バラバラに行っていては基金の顔が見えて来ないことになりますし、そういう基金の多いことも実態ではあります。そこで、重要になってくるのが「経営指針」に基づく資源の集中化・集約化、経営資源の有機的連結による資本のシナジー効果を高めることであります。具体的には、〈資産運用〉を中心にして衛星的に〈給付改善〉と〈福祉事業〉と〈広報事業〉を配置し、これらの有機的連結によってローコスト・ハイリターンの老後生活保障を実現することになります。
それでは、厚生年金基金事業の有機的連結の中心になる〈資産運用〉はどのように立ち上がり、どのように展開し、どのような成果をもたらしたのでしょう。
その事例をご案内いたします。昭和44年設立当初、ABC厚生年金基金の基金事務はソロバンで行われていました。筆者着任後、電卓をいれパソコンを設置して、業務委託形態もⅠA型にして自前で事務処理ができる体制を築きました。福祉施設事業も利差益を使って、弔慰金、OB会のパーティ運営、年金ライフプランセミナー開催、年金受給者の大型観光バス3台を連ねて一泊旅行も10年ほど行いました。
資産運用については、中学野球・電気科・哲学科出身の筆者には畑違いも最たるもので、何の予備知識もありませんでした。又、会社にも事務所にもそのような経験を持っている人は誰も居ませんでした。
そのような背景の中、金融本の読書から始めました。また、筆者が移動アンテナになって、先行する基金に教えを請い、金融機関等のセミナーにも通い、数多くの研究会にも参加しました。そうして得た金融知識を事務所に反映し、業務に展開しました。
しかし、平成時代へ移行した頃、日本経済の凋落と共に厚生年金基金の積立金不足が明らかになり、厚生年金基金は未曾有な事態を迎えました。〈給付削減〉、〈資産運用効率化〉、〈基金解散〉が当面の緊急課題となりました。
こうして資産規模60兆円、1,200万人が関わった厚生年金基金という一大ページェントが幕を下ろそうとしています。
出所:「厚生年金基金事務長奮闘記」
2.事務長の読んだ金融本
筆者の基金事務所への通勤時間は片道一時間程ですが、往復の実質一時間が日々の貴重な読書時間です。通勤途上の読書中は次から次に出現するエキサイティングな本に夢中になり、東海道線東戸塚駅の高層ビル建設ラッシュを知らずに過ごしていたほどです。
その読書も、平成時代に入るまではもっぱら個人的な嗜好の哲学関係の本ばかりでありましたし、昭和62年末に10年かかった拙著『情緒の力業』を脱稿し終わったところで、読書については虚脱状態でした。
ちょうど、そのタイミングに日本経済は長期に渡る低成長に突入し、あわせて年金基金の資産運用がかんばしくなくなり、金融関係の読書が始まる条件が整ったことになりました。
しかし、金融だとか、経済とかの実業の世界は、高校は電気、大学は哲学という筆者にとってまったく不案内の世界で、方法も手段も、概念も歴史も承知しないまま、やみ雲に目に触れたものから読み始めるという原始的な方法でスタートすることになりました。
本の世界は現実の世界とは違いますが、本の世界のインスピレーションは現実の展開の起爆剤となりえますし、本の世界の現実を揺さぶる力、別の現実の喚起力はどのようなメディアに比べても数段力強いようです。筆者も前著に至る読書経験で、数多くの本が或るとき核融合を起こすように一つのメッセージに結晶するという至福を頂き、〈哲学よ、さらば〉と言い終わったところでした。
ところで、一般に基金事務所と〈金融〉の関係は「お任せ運用」と表現されるように全面委託方式であり、〈金融〉との接点が薄い社会保険の世界でした。筆者も経済のこともさることながら〈金融〉のことはまったくのド素人でした。事務所に〈金融〉の〈金の字〉もない状況であったのです。あの低成長経済突入のころには。
それでも、昭和60年厚生年金基金連合会の資産運用研修会が始り、欧米の資産運用調査が毎年30基金ほど参加して行なわれだし、平成2年資産運用拡大の認定が行なわれるようになり、基金の世界にも〈金融〉が入りだしました。平成2年、筆者も機会を頂き2週間の欧州年金事情調査に参加させていただきました。とは言っても、〈金融〉の事柄は常務理事とか、事務長の特定者に限定されていてなかなか理事長とか、職員を含めた事務所全般に広がりませんでした。ましてや母体企業役員や人事・財務の管理職、それに代議員等には尚更のこと。
あるとき、金融関係読書を筆者だけで終わらせることなく事務所全体に広げ、金融関係の共通経験を図り、事務所全体のレベル向上を目指すような、インセンティブ(刺激)を与えるような何かうまい方法がないかということで、事務所で昼職後の休憩時間にぼんやり考えていましたところ、突然〈ひらめき〉が走りました。思えば、昼職後の休憩時間というのは新しいアィデァ、突然の視線の変更、〈ひらめき〉等の出やすい幽霊時間かもしれません。
その〈ひらめき〉というのは、ワープロの報告書形式で読書感想文を一、二枚作成し、事務所の皆さん全員に読んでもらったらどうであろうか、というものでした。
というのも、筆者の事務所では、事業実施に際して「伺書」(会社の決済書、稟議書のようなもの)を、研修会や説明会の出張の際には事後に「報告書」を提出し、事務所全員に回覧することになっています。これも、以前は手書きで半日はかかる代物でした。最近は、パソコンによるペーパーレスまでは進んではいませんが、ワープロの複写機能を使って、全員が同じフォーマットで簡単に作成できるようになっています。これを使ってみてはどうかという〈連想〉であります。
試験的に、その昼休みにワープロを使って読み終わっていました『ウォール街のランダム・ウォーク』について読書報告を書いてみました。そして、それを職員2人と常務理事、理事長に回覧してみました。
以後、一冊金融本を読み終わると、昼休みに報告書を書いて回覧することが始まりました。平成5年9月から平成8年2月(或る事情が出来て中止)まで、2年6ヶ月、報告回数140回を数えました。昼食後の一日30分ということは年間70時間になります。時間はひねりだすもののようです。
「継続は力なり」ということを89番目の報告書で書いていますが、報告回数140回という物量は、単に物理的次元を越えて、或る発言をするようになるものです。VHSの高野鎮雄さんのメッセージではないですが、〈熱中が命〉ということでしょうか。
つぎに、事例を三つほど、ご覧ください。
出所:「日本版401k誕生秘話! 誰も知らない厚生年金基金」
3.戦略アセット・ミックス構築の経緯
厚生年金基金制度が法律化されたとき、信託銀行はフロントランナーとして独占的な地位を確保すべく猛烈な売込みセールスを企業にかけてきたと、興銀出身の理事長から聴いたことがあります。
昭和44年に設立されたABC基金(設立時単独・代行・Ⅱ型)は、当初のファンド形成期は設立当初の掛金拠出シェア信託1社70%・生保1社30%で10年ほど積立額をひたすら大きくしていました。設立から20年ほどは、掛金徴収団体として資本の蓄積を図るばかりで、今風な戦略アセット・ミックス的資産運用という考え方はまったくありませんでした。毎年決算時(3月締めの9月)に、総幹事会社から報告のある運用報告書は「運用収益額と運用手数料」を起票され損益計算書に計上されて、後は決算関係書類にファイルされて終わりということを繰り返していました。それに、経営サイドが関心を示すのは年々の「総利回り」だけでもありました。
これらを総称して一般に「お任せ運用」と言われてきたのですが、ここで、資産運用文化がまったく育成されていない本邦の賭場と化している劣悪市場の中で、護送船団体制の談合・カルテル体質の本邦金融機関相手に、金融ド素人の基金が運営から経営体への自主・独立の気風を助成・確立しつつ資産運用体制を整備して、戦略アセット・ミックス構築に至るまでの試行錯誤の経緯を羅列してみましょう。
(1)昭和51年:利差益研究
母体企業の社会保険担当から筆者(35歳)が年金基金へ出向したとき、設立から6年経過していたABC基金の年金資産は9億円でした。筆者は簿記など知らなかったので決算書作成のとき「収益受入金」と「年金資産額」の天秤上のバランス、つまり複式簿記の摩訶不思議に非常に驚愕したものです。
それよりなにより、「収益受入金」なるものの存在でした。家族を抱え人工提供で汲々の生活を日々遣り繰りするだけであった筆者にとって、金が金を生み出す仕組み、資本の再生産性、積立金の運用利息は、これまた驚愕でありました。
総利回りから運用手数料控除後の実利回りが、筆者着任前の過去の平均は7.0%、着任した昭和51年は8.2%でした。
年 度 実利回り 利差
昭和45年 7.4% 1.9%
昭和46年 6.2% 0.7%
昭和47年 6.3% 0.8%
昭和48年 7.2% 1.7%
昭和49年 7.5% 2.0%
昭和50年 7.9% 2.4%
平均 7.0% 1.5%
昭和51年 8.2% 2.7%
また、昭和47年の厚生省通知により所謂「利差益繰入」が可能となっていて、予定利回り5.5%以上の部分の一定額を年金経理から業務経理へ繰入れて事業が出来ることになっている通知を発見したときには興奮したものです。早速、ソロバンを使っての簡単な推計による利差益研究を開始しました。
(2)昭和52年:利差益事業開始
始めての利差益事業は翌年の昭和52年度予算に579万円の利差益の内、30万円の弔慰金給付事業を計上して開始されました。
以後、下表の通り展開しました。
(3)昭和56年:会館建設検討開始
社内に会館建設委員会を設置し、建設・積立計画を作成、行政と協議。
(4)昭和57年:第1回資産運用改善
信託銀行の横暴さ(対基金に対する圧倒的な力を武器に強引な営業を展開)に対抗して、信託資産シェア70%(安田信託銀行)を50%に減額。生保シェア30%を50%(第一生命保険30%を40%に、新規に日産生命10%)に増額。
(5)昭和58年:代行コスト研究
全基金一律免除料率方式のもとで、業態によって代行型がハイ・コストになっている実態を素人がソロバンで観念的に感覚的に把握、基金関係者に訴え始めました。
(6)昭和60年:連合会の連続10回の資産運用講座受講・OA設置
暗中模索であった資産運用について連続10回の講座受講により、研究の方向が見えてきました。併せて、孤立無援の中でOA設置のためのマネジメント手法を組成し、職員の年収の5倍の2千万円もするコンピューターを据え付けました。
(7)昭和61年:業務委託Ⅱ型をⅠB型に移行
業務委託Ⅱ型の委託費8百万円を経費節減のためⅠB型に移行し、3百万円(37%)削減し5百万円にし、併せてそれをもって基金事務所に業務改善・自主性確保のインセンティブを仕掛けます。
(8)昭和62年:加算型研究・シニアーズクラブ運営
代行型のハイ・コスト打破と会館建設に行政から求められた給付水準の向上をはたすために、加算型を研究。総幹事会社に5次に渡るシミュレーションを依頼(これは当時の日本のサ-ビス観念で、無料で行われていた。実際は非常に高く付いているのだが。
また、年金受給者の親睦の機会を提供するためシニアーズクラブを設置し、運営を開始。
厚生年金の報酬比例部分と企業年金をともに確定拠出の積立方式で、しかも個人勘定で運営するとすれば、企業年金は限りなく公的年金に近づくことになる。
小塩隆士『年金民営化への構想』
(9)平成元年:加算型・ⅠA型に移行・第2回資産運用改善
「横滑り加算」で移行が出来るという5回目のシミュレーション結果を総幹事会社に示されたときは、まさに「小躍り」してしまいました。会社負担の掛金は年間2千万円削減出来て、年金給付は年間12万円増額が可能というとんでもない結果でした。
制度が加算型になるのならコンピューターの方も一緒にⅠA型に移行したほうがベターとの業者の奨めにより、女子職員と二人でⅠA型導入に取り組むことになりました。
日産生命の10%のシェアを5%に減額して新規に住友生命に5%配分する第2回シェア変更(政策投資でした)を実施。
(10)平成2年:資産運用拡大認定(認-1第XX号・4月16日)・ヨーロッパ資産運用調査(5月12日~27日)
具体的な運用拡大計画はなかったのですが将来かならず必要になると、いち早く認定申請を行った。その準備を進めている頃、厚生年金基金連合会が実施していた欧米金融事情調査の「平成2年度ヨーロッパ調査」が案内されてきました。筆者は、常務理事におそるおそる(というのも、基金の事務所では常務理事がフロント・ランナ-なので上司を差し置いて部下が参加するのは如何なものという遠慮があり)参加したい旨、相談すると、直ちに了解してくれて、理事長の了承も取ってくれました。理事長には、その場で社長承認を得て頂きました。
思いがけずも実現した海外旅行で、2週間ヨーロッパ7ケ国をかけめぐり、年金基金の事務所(PGGM・ABP・BBL等)と金融機関(バ―クレイズ投資顧問、マ―キュリィ投資顧問、クレディ・スイス、ドイツ銀行、インドスエズ銀行)を訪問、欧州の金融がシェイクスピア以前、アテネのギリシャ以来の長い伝統・経験によって作り出されてきている実態を調査して大変なカルチャー・ショックを受けて帰国しました。
「島国に閉ざされた」という言い方の「閉ざされた」という意味合いは、経験しなければ把握出来ないということがグローバルな視野からの判断では当然になるということも知りました。
(11)平成3年:利差益落込む・手作り広報誌発行・ライフプランセミナー開始
右肩経済の停滞から本格的な横這い経済への突入が世間一般の常識となりつつあった中で、利差益が急激に落ち込み福祉施設事業の継続が危ぶまれ出しました。
ワープロで打った記事を切り貼りしてコピ-を取り、それを原紙にして社内輪転機で広報誌を作っていましたが、事務所全員で原稿執筆を担当して業者に印刷させる方式に改め、年4回A4・8ぺ-ジの手作り広報誌(4000部)を発行開始しました。あわせて、55歳以上加入員を対象に年4回開催の日帰りライフプランセミナーも開始しました。
(12)平成4年:第2加算導入・会館建設断念
会館建設の行政サイドとの協議で明らかになったことは、年金給付水準が理論値プラスアルファで43%以上なければ認可しないという指導(裁量行政)でした。この水準をクリアーするには母体企業の退職金の10%を基金に移行し、第2加算年金を導入しなければ前に進めないということになり、事務局は懸命に関係者の説得に廻り導入が実現しました。
加入員にとっては、退職一時金制度の年金化が10%というほんの一部ではありますが、形だけ15年保証終身という年金化が実現しました。
経済は横這い経済どころではなくなり、「平成大不況」の様相を呈し始め、5.5%割れを招き、利差益どころではなく「利差損」の時代に突入してしまいました。第2加算導入により行政サイドの会館建設に対する要給付水準はクリアー出来ましたが、肝心の利差益が見込めない状態になり、会館建設は断念せざるを得ないことになりました。
(13)平成5年:別途積立金取り崩しによる掛金抑制・運用評価会社採用
第5回財政再計算結果の処分を行うことになり、数理的不足金(加入員数減、平均年齢増等々)と運用収益減とが重なって掛金引き上げの事態となり、別途積立金12億円(資産の12%)の内、7.5億円を取り崩して掛金引き上げを抑制することになりました。
ところで、別途積立金12億円はいったい誰の所有に帰属するのか? 基金のもの、会社のもの、加入員のもの、年金受給者のもの、受給待期者のもの・・・・・・・。掛金引き上げの要因は、会社、基金? これら全てが談合で行われているのではないでしょうか。制度の欠陥、綻びでありましょう。
(グラフ:ABC基金簿価会計下の収益悪化)
資産運用体制確立の一環として資産運用評価会社(現、日本格付投資情報センタ-)を採用、基金の運用インフラ整備を始めました。併せて、同社主催の投資理論研究会(コ-ディネ-タ横浜国大の青山教授)に参加、若手の各 社金融機関ファンド・マネージャー逹との交流を通じて研究を深めました。
なお、この年、他の基金に比して例外的に別途積立金が評価損に対して大であったため、利差益が484百万円(年金資産9,744百万円の5%弱)発生。将来の利差益は見込みが立たなかったのと予算規模年30百万円になっていました福祉施設事業の規模縮小した5年程度の事業原資確保のため、50百万円の福祉施設会計への繰り入れをおこないました。
(14)平成6年:第3回資産運用改善(運用拡大実施)
信託・生保の資産シェアを10%ずつ減額、新規に投資顧問2社(富士銀投資顧問・山一投資顧問)を採用。バランス運用での委託となりましました。
(15)平成7年:業務委託指定法人採用
基金の自主性確立のため、信託銀行の基金に対する包括サービス戦略(運用・カストディ・数理・事務管理)からの脱却を意図して、事務管理(ⅠA型採用)に続いて総幹事会社での業務委託(ⅠA型・数理業務・年間手数料350万円)を業務委託指定法人(山一證券経済研究所)に変更。資産運用と数理業務を分離。指定年金数理人も総幹事会社とは別途個別契約としました。業者の横並びカルテル体質のサービスを不要としました。
(16)平成8年:第4回資産運用改善
生命保険会社の対基金に対する金融商品「一般勘定」は、現在の基金の資産運用の金融商品足りえないということで、生保資産を71%圧縮して、外銀信託1社(モルガン信託銀行)、投資顧問2社(現、第一ライフ投信投資顧問、興銀NWAM)を採用、資産移受換をおこないました。しかし、体制未整備で依然バランス運用での委託となりました。
この頃までに、護送船団体制の中で培われた信託・生保の対基金に対する営業姿勢は、信託は恫喝方式、生保は殿様商売でしたが、彼ら信託・生保の長いこと独占してきた業界秩序の常識が基金に通じなくなってきていました。なぜ、受託資産を引き上げられるのか謂われが分かっていないような営業姿勢が目立ち始めました。イニシアチブは逆転しました。
(17)平成8年:資産運用規制の適用除外申請断念
法律が施行された段階で、5.3.3.2規制を嫌った大手の年金基金では一斉に適用除外申請(最終的に平成9年12月の規制撤廃までに20基金程)を行い、厚生省が言う安全資産を危険資産とみなし、俗にリスク資産と言われる「日本株式・外貨株式・外貨債券」のシェアを50~80%に一気に高めました。その結果、一般の基金が資産運用利回り(修正総合利回り)3%台を低迷していますのに6~9%を稼ぎだしています。基金間の格差は歴然としてきました。
ABC基金では、情報収集して適用除外申請の検討を重ねたが、どうしても運用体制が未整備(特にバランス運用指向が強いレベルにしか組織全体の意識改革が進んでいなかった)で断念せざるを得ませんでした。
(18)平成9年:デフォルト問題発生(第5回資産運用改善)
日本政府の無能・無策により日本発の世界同時金融恐慌が懸念される事態になり、北海道拓殖銀行の破産に引き続き、ABC基金が資産運用等を委託していた運用機関等(日産生命破綻・山一倒産・A信託銀行株式100円割れS&Pの格下げ)が問題を起し、年金基金にとって資産運用利回りは二の次となり資産保全のデフォルト問題が現実になり緊急の対応を迫られました。
あおば生命保険株式会社には新規の掛金配分は取り止め、山一投資顧問は直ちに解約、B信託銀行へ移管。山一證券経済研究所の指定法人は取り消されたのでC情報サービスに変更。A信託銀行への年金信託と年金特金契約に絡まるカストディ(全体資産の80%をシェア)の一行集中が危険過多となっていることが懸念(信託勘定と銀行勘定の問題)され、年金信託の資産配分を更に一部削減を図ることが検討されました。バランス運用指向とこのデフォルト問題が相俟って、ABC基金の平成9年度の運用利回りは5.4%(実利廻り1.2%+修正総合利回り4.2%)に留まりました。
(以下略)
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読書感想(再)
友人の読書感想(2015.02)「次から次へと読みたくなり、一気に読んでしまった」「小さな基金でのご苦労・奮闘ぶりがよくわかりました」「Q&Aが分かり易かった」「ともかく面白かった!」