筆者の基金事務所への通勤時間は片道1時間程ですが、往復の実質1時間が日々の貴重な読書時間です。通勤途上の読書中は次からつぎに出現するエキサイティングな本に夢中になり、東海道線東戸塚駅の高層ビル建設ラッシュを知らずに過ごしていたほどです。
その読書も、平成時代に入るまではもっぱら個人的な嗜好の哲学関係の本ばかりでありましたし、昭和62年末に10年かかった前著『情緒の力業』を脱稿し終わったところで、読書については虚脱状態でした。
ちょうど、そのタイミングに日本経済は長期に渡る低成長に突入し、あわせて年金基金の資産運用がかんばしくなくなり、金融関係の読書が始まります条件が整ったことになりました。
しかし、金融だとか、経済とかの実業の世界は、高校は電気、大学は哲学という筆者にとってまったく不案内の世界で、方法も手段も、概念も歴史も承知しないまま、やみ雲に目に触れたものから読み始めるという原始的な方法でスタートすることになりました。
本の世界は現実の世界とは違いますが、本の世界のインスピレーションは現実の展開の起爆剤となりえますし、本の世界の現実を揺さぶる力、別の現実の喚起力はどのようなメディに比べても数段力強いようです。筆者も前著に至る読書経験で、数多くの本が或るとき核融合を起こすように一つのメッセージに結晶するという至福を頂き、<哲学よ、さらば>と言い終わったところでした。
ところで、一般に基金事務所と<金融>の関係は「お任せ運用」と表現されるように全面委託方式であり、<金融>との接点が薄い社会保険の世界でした。筆者も経済のこともさることながら<金融>のことはまったくのド素人でした。事務所に<金融>の<金の字>もない状況であったのです。あの低成長経済突入のころには。
それでも、昭和60年厚生年金基金連合会の資産運用研修会が始まり、欧米の資産運用調査が毎年30基金ほど参加して行なわれだし、平成2年資産運用拡大の認定が行なわれるようになり、基金の世界にも<金融>が入りだしました。平成2年、筆者も機会を頂き2週間の欧州年金事情調査に参加させていただきました。とは言っても、<金融>の事柄は常務理事とか、事務長の特定者に限定されていてなかなか理事長とか、職員を含めた事務所全般に広がりませんでした。ましてや母体企業役員や人事・財務の管理職、それに代議員等には尚更のこと。
或るとき、金融関係読書を筆者だけで終わらせることなく事務所全体に広げ、金融関係の共通経験を図り、事務所全体のレベル向上を目指すような、インセンティブ(刺激)を与えるような何かうまい方法がないですかということで、事務所で昼職後の休憩時間にぼんやり考えていましたところ、突然<ひらめき>が走りました。思えば、昼職後の休憩時間というのは新しいアィデァ、突然の視線の変更、<ひらめき>等の出やすい幽霊時間かもしれません。
その<ひらめき>というのは、ワープロの報告書形式で読書感想文を1、2枚作成し、事務所の皆さん全員に読んでもらったらどうであろうか、というものでした。
というのも、筆者の事務所では、事業実施に際して「伺書」(会社の決済書、稟議書)を、研修会や説明会の出張の際には事後に「報告書」を提出し、事務所全員に回覧することになっています。これも、以前は手書きで半日はかかる代物でした。最近は、パソコンによるペーパーレスまでは進んではいませんが、ワープロの複写機能を使って、全員が同じフォーマットで簡単に作成できるようになっています。これを使ってみてはどうでしょうという<連想>であります。
試験的に、その昼休みにワープロを使って読み終わっていました『ウォール街のランダム・ウォーク』について読書報告を書いてみました。そして、それを職員二人と常務理事、理事長に回覧してみました。
以後、一冊金融本を読み終わると、昼休みに報告書を書いて回覧することが始まりました。
平成5年9月から平成8年2月(或る事情が出来て中止)まで、2年6ケ月、報告回数140回を数えました。昼食後の1日30分ということは年間70時間になります。時間はひねりだすもののようです。
「継続は力なり」ということを89番目の報告書で書いていますが、報告回数140回という物量は、単に物理的次元を越えて、或る発言をするようになるものです。VHSの高野鎮雄さんのメッセージではないですが、<熱中が命>ということでしょうか。
つぎに、事例を3つほどご覧ください。