。。ぽぽしゃんの夢見るDonko列車。。

大好きをゆったりまったり楽しんで
のんびりのほほ~んと語っていきたいなぁ~

白山ロード^^(あわら市-1)

2015年05月07日 | 白山車窓景

平成27年4月27日参拝

・公文 白山神社( 福井県あわら市公文 ) 
・玉木 白山神社 ( あわら市玉木1-3 ) 
・下番 白山神社 ( あわら市下善20-31 ) 
・中番 白山神社 ( あわら市中善31-8 )





GWも終わってしまいましたが、いかがでした^^楽しめましたか。まだまだお休みが続く方もいらっしゃると思いますが、もうそろそろ疲れも出てきますよって身体の休養に努めましょう。

今年より、あの目の回まわるようなGW時の激務から解放され、のんびりと過ごせる毎日を手に入れたのですが、現実のとこ結局どっこも行けずに草との葛藤でした(笑)。 まあ^^::: 今はじっと我慢だが、行く時は行くん=====333 だぁぁぁっぁと、大阪へ!!!(爆)

その話は置いといて^^;;; さて、三国町~あわら市へ サイクリングの続きです。。。

 

公文 白山神社 (福井県あわら市公文)  

堤防道をのんびり走りながら竹田川をさかのぼります。やっぱり、平地を難なく走れるって本当にありがたいワン^^; 二つめの橋を目印に川の向こう側に移動します。その橋を渡ったらすぐ左下に、まるでおちょきんしてるかのようにメルヘンチックな神社がちょこんと鎮座していた。

 

目の前には、広大な水田が見渡す限りに広がっています。こちら坂井平野は、田んぼどころでもあり田植えのちょーど真っ最中です。

 

玉木 白山神社  (福井県あわら市玉木1-3) 

 県道101号線を走る。ほんとに今日は雲っこひとつ無いサイクリング日よりの日本晴れ~♪炎天下のお天気となりまして、お昼をだいぶ廻ったこの時間帯の暑さにちょっといっぷくタイムです。

神社の境内には、玉木の集会所が併設されてありました。日頃なにかと集落の皆様が賑やかに集う機会も多いことだと思います。神様も淋しい思いをすることなく、いつもにこやかに見守って居てくださるんじゃないんでしょうか^^。見ればこちらにも、たぶん水神様を祀っていると思われる石の祠が並んでありました。

 

下番 白山神社  (福井県あわら市下善20-31)    天満神社(境内社)   

こちらの集落より、「下番」「中番」「上番」地区と続き、竹田川を挟んだ向こう地区は、「番田」という集落があります。でも白山神社があるのは「下番」「中番」地区だけなのですが、この「番」にはどういう由来があるのかしら? 遥か昔は、みんな一集落になっていたのかもしれませんね。

 

さて、こちらの拝殿前の扉には不思議な丸い文様が四つ付けられています。まるで満月の中にバナナ型の三日月がレリーフ的に浮き出ているような感じなのですが、何かのマークにも見えるこの模様は何かしらと首をかしげながら、隣に祀られてあった石祠にも手をあわせた時、その扉の模様穴をマジマジ見つつ、ああ^^なるほど~とその場で納得してはみたものの、

石祠の右扉には丸い満月の穴があり、左は下弦の三日月(二十三夜)です。石灯篭の明かり窓などによく見かけるアレです。たぶんに、本殿のレリーフは、これを重ね合わせた模様(三日月は間逆の形・夕方の月ですが・・)じゃないかと思うんですが、

しかし、そもそもこの石祠の穴の形にはどんな意味があるのでしょう?

 

いろいろ調べてみた結果まだあまりよくわからない部分もありますが、どうも、旧暦二十三夜の月を拝する月待信仰と関係しているようにも思えます。そんな風に太古の昔から人々は、行事や信仰をとおして太陽や月や星を眺め慈しんできたのでしょうね^^v 

んじゃ^^? あれは、太陽と月なんかもしらん^^???

 

中番 白山神社  (福井県あわら市中善31-8)  

下番の白山神社と同じような造りの神社である。しかし、こちらにはあのマークのようなレリーフが取り付けられていない。鐘の尾をいつものように振りながら参拝させていただいたが、拝殿の雰囲気が何か違うような気がしてよくよく気がついてみれば、段上がりの階段が無いのである。定かではありませんが、もしかしたら扉の奥が上がりになっていたのかもしれませんね。ちょっと注目してしまったのは、白山神社の額に書かれた文字ですが、何代目かの白山本宮々司さんの手に寄るものでした。

縁起碑より

当社は、伊弉諾尊を祭神としてお祀するもので、由緒は定かではないが、古い時代からの言い伝えでは人皇六十七代三条院の御宇長和四年(1015年)、一村のため水神として崇敬し勧請したと伝えられている。境内には、春日神社の鳥居先にあった樹齢千年を超す一本杉とほぼ同じような太さの杉の大木があったが惜しくも福井地震後に枯れてしまい、現在は社前に数百年を過ぎたタブの木が一本残っている。

これを思う時、遠く白山連峰から九頭龍川を通って流れ出る豊かな水は、住民の生活用水であり大切な水田をうるほす水であるから、この水を守って下さる神様として我々の先祖から親しく「おみしんさま」と呼んで崇敬してきたと推察される。因みに「おみしん」とは元亨釈書に「白山明神者伊弉諾尊云々」とあり、その御明神を詰めた言葉と考えられる。 

稲荷神社

当社は、倉稲魂命(ウカノマミタマノミコト)を祭神としてお祀するもので、昔は大味との村境一帯の水田には潭水が年中湛っていて稲作に非常に苦労したと伝えられていたが、元禄二年(1689年)に当区の旧家藤田甚右ェ門氏の先祖が農耕を守り家業の繁栄を祈って、京都伏見の稲荷大社の御神霊を勧請して、六十七字半左ェ門という地に鎮座したのが最初と言われている。以来区民は泓堂様(ふけどうさま)と呼んで崇敬していたが、昭和初期の耕地整理のとき現在の白山神社境内に遷座したのである。

昭和二十三年の福井大震災のとき両神社供倒壊寸前の状態となり、当時応急に社殿を造り祭っていたが昭和六十三年に至り、氏子一同の神社建立の機運高まり、翌平成元年に建設委員会を組織して建設に着手したのである。
この間に藤田甚右ェ門家の後裔藤田幸雄氏から稲荷神社造営のため格別の御寄進を受け、また氏子並びに有志者より多大の奉賛を請けて立派に竣工し、平成五年五月二十四日に目出度く落慶奉祝祭を挙行する。 ( 境内縁起碑より )

 

 

では、これにて^^ レンタサイクル白山神社めぐり終わらせていただきます。
長々と、ご拝読いただきありがとうございました。 これに懲りず、またご乗車下さいませ。


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