台風18号が過ぎ去り、降り続いた秋雨がやっと降りやみ久しぶりに暑い日差しの一日となった土曜日。休みの主人を誘って、越前市宮谷町にある興徳寺を訪れると、お秀さんの愛息子である真柄十郎左衛門の墓前に手を合わせて参りました。
興徳寺は、東運動公園のちょーど東口駐車場前にあります。折しも目の前に広がる公園内のグランドでは、少年野球チームによる試合の真っ最中でした。賑やかな歓声がこだまのように飛び交ってきて、静寂な墓地のイメージどころか、今日は楽しげな雰囲気でしたのでこちらの気持ちも晴れやかです。
お寺の山門をくぐると正面本堂の左側に、殿と高く立ちのぼるイチョウの太木が大きく根を張っています。そのすぐ根元近くに真柄十郎左衛門直隆の墓はあります。
『 真柄十郎左衛門は越前朝倉家の家臣で、16世紀に上真柄町徳間にすんでいたと伝えられており、おそらく我が国でもっとも大きな太刀を使ったといわれる豪傑であった。
姉川の合戦では客将として嫡子十郎太郎とともに浅井・朝倉連合に加わり、太郎太刀、冶郎太刀と呼ばれた太刀を親子で振り回し奮闘したが、元亀元年(1570)6月28日、多勢を誇る織田・徳川連合に囲まれ、ともに戦死した。
十郎左衛門が使用した太郎太刀と伝えられる刀が尾張熱田神宮に、次郎太刀と伝えられる刀が加賀白山比め神社に奉納されている。』
十郎左衛門の豪傑さを今もって現代に伝えるがごとく、墓前には巨大な下駄が飾ってあります。
こんな風に大きな下駄を履いて闊歩してる豪快な姿を思い浮かべると、想像を絶するものがありますね(笑)。 そして、そんな十郎左衛門を産んだ真柄のお秀さんとは、講談のお話以上に^^頼もしいお母ちゃんぶりだったのではないかと思われ、楽しくなってしまいます。
さて、せっかくここまで来たのですから、東運動公園の西側に鎮座する西尾町の白山神社へも参拝して帰ることにしました。
以前訪れたのは5年前でしたが、あの時と何も変わらない佇まいで向かえてくださいます。こちらの神社裏には広々としたグラウンドが広がっていますので、少年たちの爽やかな声がこちら側にも聞こえてきました。
そういえば、もうそろそろ、お彼岸の時期ですね。
道端には、赤い彼岸花が見え隠れする頃となりました。
先日の大雨で、茨城・鬼怒川の堤防決壊を初めとした大規模な水害に襲われた皆様、お見舞い申し上げます。未だ安否が不明の方がいらっしゃるとも聞きます。少しでも早く家族のもとへ戻れることができますよう祈って病みません。
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