池田町の「葉月薪能」を主人と堪能した。
っと言っても^^二人とも ”能” を鑑賞するなんて初めての体験! 能楽堂へ立ち入るほどの学識もなくただただ敷居が高い舞台だと思っていたのですが、野外で気軽に誰もが鑑賞できるのだと知る。主人が手にしてきたチラシを一目みるなりその美しさにも興味が湧いて早くからチケットを手配してこの日を待っていた。
この「葉月薪能」は昨年23年ぶりに復活開催されたもよう。私達ちにとっては物珍しさもあって会場となる須波阿湏疑(すわあづき)神社へ早々に駆けつけました。やはり、わからんなりにもより近くで観て見たいのは人の情です^^;;;
北陸一の大杉や重要文化財の本殿…須波阿須疑神社の見どころ4選【池田町】 | Dearふくい|福井県のローカルメディア (dearfukui.jp)
会場となる神社境内、夕方になれど照り付ける西日の猛威はこの年尋常なく、行きかう日傘の群れは向日葵のように楽しげに揺れていますが、開演を待つ人影は木陰に逃げ込み皆汗をぬぐってその時を待っています。この暑さの中なれどすごい人の波です。益々期待度が高まってきます。猛烈に照付ける夕日射す会場。暫しの日傘はあれど、帽子を忘れてきたことを悔やみました・・。暫し日が傾くまでもう一辛抱が必要です^^;
さて、なにぶんにもまだ素人ゆえ、昨年度の「葉月薪能」の様子や、今年の見どころは下記からどうぞご覧くださいませ。
~「あたりまえをたやさないまち」池田町~能楽の郷 池田 日本の伝統文化「葉月薪能(はづきたきぎのう)」を23年ぶりに開催しました|池田町役場のプレスリリース (prtimes.jp)
福井県,池田町,能楽,葉月薪能,須波阿湏疑神社, (jisya-now.com)
なんと言っても今年の目玉@@は、人間国宝になられた皆様の競演を間近にして堪能できるという幸運^^v
人間国宝に宝生欣哉師、金剛永謹師、茂山七五三師 – 能楽マガジン Noh +(ノープラス) (hinoki-shoten.co.jp)
■第1部 民俗芸能交流会
水海の田楽・能舞より 田楽「あまじゃんごこ」、能舞「田村」
水海の田楽能舞|文化デジタルライブラリー (jac.go.jp)
嵯峨大念佛狂言より 「釈迦如来(しゃかにょらい)」
■第2部 葉月薪能
大蔵流狂言「二九十八(にくじゅうはち)」
出演 男 / 茂山七五三(しげやましめ) 女 / 茂山宗彦(しげやまもとひこ)
金剛流能「泰山府君(たいさんぷくん)」
出演 天女 / 金剛永謹(こんごうひさのり) 泰山府君 / 金剛龍謹(こんごうたつのり) 桜町中納言 / 宝生欣哉(ほうしょう きんや)
能 泰山府君(たいさんぷくん) [部分] - YouTube
開演を前にして有難いことに^^ちゃんと初心者にも理解できるよう大まかな物語の説明があります。まずは、少しは馴染みがある狂言から鑑賞です。
この日は本山の墓参り日。両親の初盆でもあり午前中は妹も連れ立ってお寺の法要に出向いていた。そこで姉妹して盛り上がった話が「29」という数字。妹の誕生日なのですが、なにかと身の回りに不思議と御縁があると言ってた。そういえば、妹の車のナンバーもそうだったような・・!? そんな話を聞きながら、私は私で、なるほど~ほやで「9」なんやねと今更ながらに納得したんやけど・・(笑)。
そうそう、ほやで「二九十八」を改めて耳にしたとたん、@@おおォ~!!!と、きっと妹が隣に居たら互いに顔をに合わせビックリしたことだろう^^;;; 更に私は私で・・18=たしたら 9 なんでは===333と独りして盛り上がっていた(爆)。(~分かる人しか分らん話で m(__)m)
まあ、そんなくだらん馬鹿話は置いといて、
『清水の観世音に妻乞いをした男の前に現れた女は、住所を問われると春日の里・室町の角から「にく」と答えて立ち去る。男が18軒目を訪ねると、女はいたが・・・。』
オチを言ってしまうと面白くないので書かないが、どうも私にはそのオチを笑い飛ばして受け入れることが出来なかった。上手く言えないが、些細なことなれどわだかまりが消えていないせいなのだと、このブログを書きながら心に語り掛けている・・・。
気がつけば、時がたって辺りは闇に包まれていた。桜木が持ち込まれ、能が始まる~。
全身微動だにしない佇まいに釘付けになる。人間離れした滑らかな移動を目で追う。ゆっくりゆっくり流れていく時。難解なセリフに戸惑いながら、聞き取れる単語をひとつひとつ拾い集めながら物語りの中をそっと覗き込んでみる。
『桜町中納言が桜の花の寿命を惜しんで泰山府君を祭っていると、天女が一枝を手折って天に昇る。やがて泰山府君が現れ、天女を責めて花の寿命を延ばす。』
満開の桜の枝を手に桜と見紛うばかりの天女が現れる。神にいさめられ手折った枝を戻すまでの一舞を固唾を飲んで見守る。なぜか、心が苦しい・・。立ち去る姿に我が身を重ねて涙してしまった。
「釈迦如来」を思い起こす。。
母の死がまだ受け入れずにいるせいか、コミカルな嵯峨大念仏狂言を楽しみながらも私はもう一つの物語をその舞台にみていた。
きっと、こんな風に仏様に気に入られて天に連れて行かれてしまったんだろうなと母の面影が重なってしまい胸が詰まった。一緒にお参りに付き添い通っていた私だったけど、あの娘さんのように仏様からは背を向けられていたのかもしれない。母みたいに信心深くはなかったからなぁ~(でも、まだ逝くには早いということなんでしょうけど・・)。
今回、能・狂言の不思議な世界に初めて触れさせていただきましたが、薪能という闇夜に浮かぶ夢舞台だからこそ、闇との対比でそこに息づき輝くものが見えてくるのかもしれませんね。奥深いですね^^ありがとうございました。来年も行こっかなぁ~~^^
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