1月26日に書いた土のうは橋の解体で使われるという日記を見た
友人からメールが届きました。
解体されるこの橋梁についてのことでした。
橋自体は明治42年頃に出来たものであること。
あのプレートに記されていたように昭和47年に改築されたのだということ。
それで納得しました。
実はもらった写真の中には上の写真の橋脚とは違う古い橋脚が1本写っていたのです。
土のうを写した写真の中にもあったのですが
この橋脚のほかの写真がありますので、ご覧ください。
煉瓦のようなものを積み上げているのでしょうか。とても味のある橋脚です。
友人はこんなふうにも書いていました。
西一線から塩幌間に掛かる第6利別川橋梁などは、道路から見える眺めがとても美しいと
そんなふうにいつも思って見ていたので解体されてしまい非常に残念だった、と。
そして、歴史的建造物が失われていくことを憂いているのです。
例えブログという形でも、こうして記録に残せたことはよかったのだと
友人の言葉を聞いて思いました。
ユキ
友人からメールが届きました。
解体されるこの橋梁についてのことでした。
橋自体は明治42年頃に出来たものであること。
あのプレートに記されていたように昭和47年に改築されたのだということ。
それで納得しました。
実はもらった写真の中には上の写真の橋脚とは違う古い橋脚が1本写っていたのです。
土のうを写した写真の中にもあったのですが
この橋脚のほかの写真がありますので、ご覧ください。
煉瓦のようなものを積み上げているのでしょうか。とても味のある橋脚です。
友人はこんなふうにも書いていました。
西一線から塩幌間に掛かる第6利別川橋梁などは、道路から見える眺めがとても美しいと
そんなふうにいつも思って見ていたので解体されてしまい非常に残念だった、と。
そして、歴史的建造物が失われていくことを憂いているのです。
例えブログという形でも、こうして記録に残せたことはよかったのだと
友人の言葉を聞いて思いました。
ユキ