東京都美術館から芸大に向かい、そのまま真っすぐ進み芸大の敷地を超えたところにあったお店。
和菓子の『桃林堂・上野店』
こうゆう建築は大好きです。細い部材、薄い庇(ひさし)の重なり、白と黒と茶・・・すごく惹かれます。
たぶん、幾度か増築や改修がされたのだろうと推測しますが、その都度の大工のアドリブ的な粋なデザインが、いいですね~
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この道をしばらく進むと”谷中”になります。去年、日暮里から谷中の街を歩いたのですが、「あの辺か!」とわかりました。谷中には入らず、「根津駅」を目指します。
長屋を改修した家。店舗として使ってるほうが多いです。面白いと思います。
真っすぐ進めば「根津駅」だったのですが、芸大方向に道をうろうろ。
たぶん、戦後まもない頃の家だと思いますが、まさに「昭和の家」。
こうゆう家で出来てたその頃のこの界隈を想像すると、にぎやかさと温かさ、そしてエネルギーに満ちた時代を、なんとなく感じてしまいます。
懐かしを感じるのもあるんですが、こうゆう家に『モダン』も感じるんです。現代でも決して古くない感覚が、あります。
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それらしい古い建物をそれらしい改修(デザイン)で使う事の”薄さ”
今回の街歩きで、古い家を利用したあるカフェを見て、すごく感じた事です。
たとえば、この写真の家・・・いかにも昭和的で「それらしい古い家」ですよね。
この家の外部を塗り直し、内部を”スケルトン”にし”裸電球”の照明を使い、昭和のフォントを使った字で書かれた看板を掛けると、なんとなく「それらしい店」ができます。
でも・・その感じが本当~に薄っぺらい。
『なんちゃって昭和』・・・なんて言っちゃうと、感覚の古いおじさんの”たわごと”になるかもしれません。
そう言われたとしても、「あ~嫌だな。。」というのが隠せません。
TVのセットのような感じすらしてしまうのです。
今回、最後に「日暮里駅」に行くために谷中のメイン道路を通りましたが、はっきり言って、ちょっと苦手な街です。観光地化してしまって、そうゆう商業的なデザインがメインの通りだけでなく、じんわりと広がっている感じがしてしまいます。
「谷中の何を知ってるのさ?」と言われると、何も知らないレベルです。
でも 「なんか違う。。」 というのは正直な気持ちです。谷中のみなさん、ごめんなさい。
あくまで私個人の感覚です。
今は外人の観光客も多く、日本の良さや文化を感じてもらえる場所なので、頑張って欲しいです。
”それらしい古さ”もない古い普通の家を輝かせたい!
この左の家、、30年くらいは経っているでしょう。右の家は、その倍くらい。
「どっちかリフォームしていいよ」と言われたら、左の家がいいです。
右の家は「それなりの古い家」ですから、「ちゃんとしたリフォーム」すれば、外歩く誰もが「いいね~」と思う家になります。ただ、工事は大変。
左の家は、ごく普通の家ですが、これを、「あれ?」と足を止める人がでてくるような家に作り変えたです(笑)そして、中に入るとビックリ・・・でも、特別すごいわけじゃないんだけど、「なんだか居心地いい」と言ってくれる家に!
柳の木と路地と粋(いき)
千駄木の町です。「丸に『ヒ』ってなんだ?」 しかも路地・・・もう有無を言わず引き込まれました!
東京って川がたくさんあって、、昔は、川沿いに柳の木がたくさんありました。今はほぼ見当たりません。
この千駄木はじめ、上野近辺の町にもたくさんあったと思います。
こうゆう路地に柳って、とっても粋(いき)な感じがして好きです。
結局「丸に『ヒ』って」・・個人のお宅ぽかったのでじっくり見れなかったのですが、検索すると ギャラリーだそうです。( ギャラリーマルヒ )
そうゆう”よそ者を緊張させる”ところもいいですね。
小さい家
路地も古い家もたくさんあります。そして、小さな家もたくさんあります。
私の考えた LWHという50m2の小さな家 ですら、大きく感じてしまうくらいの小さな家が。。
そんな地域ですから、防災の観点から、再開発は必要なのかもしれません。
でも、細くくねくね張りまぐらされた道路と家で密集した街は、とても有機的で、人間的で、居心地のいいところです。
こうゆう街こそ、本当の”隠れ家”が作れるのでしょうね。
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根津は、戦前、祖父家族が住んでいました。空襲で焼け出され、中野に移りました。そのまま「根津」の住人だったらどうだったんだろうな~なんて事を、「根津」という名前を目にすると思う事があります。住んでいたのは、東大側の地域だそうで、今度、ぶらぶら歩いてみたいと思います。
(終わり)