17年前に設計した家です。
当然ですが、できてから17年経ちました。
外壁の塗装表面が劣化してきているのもありますが、年季が出て来ました。
完成後に、いろいろ手が加えられてもいます。
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この家は、当時70代だったご夫婦の家です。
それまで住んでいた家を建て変えました。
そのご夫婦は、もう亡くなられてしまいました。
これから、息子さんご家族がこの家に住む事になりました。
息子さんといってもすでに60代です。
これからリフォームをします。
昨日打合せに伺いました。
家のどこを見ても、懐かしいです。
設計をしていた時に考えていた事が蘇ります。
40になったばかりの頃の私は
70代のご夫婦が住み良いように、家が薄暗くないように
小さな家なんですが、あれこれ一生懸命
細部まで考えました。
と同時に、設計者としての”表現の欲”もありました。
当時は夢中でやっていた事ですから
「良くがんばったな~」
と思います。
でも・・・
今見れば、
「ちょっと違うな」
と思うところがあります。
というより、かなり考え方が違っています。
今なら、17年前と同じには考えません。
17年前・・・
こだわりは、もちろん強くありました。
形にもそうだし、表現にもそうだし、人の行動に対しても
「こうあるべき」という意識が強くあったと思います。
いや、ありました。
今は、
”そう考えない”部分がたくさんあります。
もっと住む人の行動を受け入れられます。
「そんなにしなくてもいいんじゃない」
という感覚があります。
設計する者のこだわりは より良くするためではありますが、エゴと裏表でもあります。
玄関前のコンクリートの段。
ドアの前に石を埋め込んであります。
理由はもちろんあります。
滑り止めであり、ドアの前という『場』の質を作るためでした。
それだけだったら、まあ、よかったとは思います。
今見て・・
恥ずかしい。。無意味。。と思ってしまいます。
ドア前以外に埋め込んである石。・・ガラスもります。
一応、『和』のデザインの意識はあるんですが、
玄関ドア前の石から発生して、無理やり領域を作ろうとしています。
石が点々と続く事で、「この場所はちょっと違うんだよ」という
何か物語を無理やり作ろうとしてしまったんですね。
今は、そんな事は考えません。
住む人の好みで、鉢植を置いたり、好きな置物を置いたらいいと思います。
家は、住む人の手が加わる事で、
その人らしい家、その人らしい『場』を作り出します。
そして、試行錯誤しながら、その街にふさわしい家になっていくといいなと思います。
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設計者だけでなく、住む人にもこだわりがあります。
「こうあるべき」というものが、誰にもあります。
家の間取り、使い方、使いたい材料、インテリア・・・
さらに 「家族とは・・」「うちの家族は・・」「こどもは・・」
などなど。
「今のこだわり」 が間違っているわけではありません。
子育て世代であれば、「今」必死にやりくりして暮らしていますから
「今をやり良くしたい」というは最もな考えです。
ただ、、、それが絶対ではない・・ という意識
を持って、心に余裕というか伸び代を持って欲しいです。
3年経てば、、、もしかすると1年後には、、
必要な事が変わります。
あなた自身も変わります。
変わる という事は、進歩する という事です。
「こうあるべき」としてしまうのは、もったいないのです。
変わっていいんです。
変わる事を楽しみにしてください。