先日、江戸東京たてもの園 に行きました。
古い建物の中で、感じて考えたい事があって・・・。
何回かに分けて整理します。
その第4回です。
第1回 家は暗くていい
第2回 家は暗くていい2
第3回 ペンダントライトの魅力
今回は、木製ガラス戸について。そしてそこから考えた「端正」という事について。
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昭和20年代以前の建物が集められている「江戸東京たてもの園」。
当然それらの建物には、アルミサッシなんて使われていません。
窓も戸も全て、木製の建具です。窓にガラスが使われるようになったのは、幕末(1800年代半ば)に洋館が建つようになってからと言われています。
日本で、アルミサッシが生産され始めたのは、昭和33年頃(1958年)から。
おおざっぱに言うと、住宅の窓が一般的に木製ガラス戸だったのは、約100年くらい。
2020年の今、アルミサッシはまだ60年くらいしか経ってないんですね。
ただ、木製ガラス戸は、それ以前の障子や板戸の構造と同じわけですから、「木製建具」というカテゴリーで考えれば、すごい歴史になります。
「そのまとめは無謀だろ!」と言われれば、しょうがないですが、それにしても約100年の歴史は、すごいですね。しかもそれは全て職人の手作りの物です。
具体的な年代については、間違ってるかもしれませんのでご容赦を!
それはそれとして 私は・・・
木製のガラス戸が好きです。
「江戸東京たてもの園」の建物のそれぞれのガラス戸を見ていて、やっぱりいいな~と思います。
ガラス自体、厚さや品質がアバウトですから、なんだかそれ自体が温かい。
透明ガラスですから、窓の向こうを見る分にはガラスの品質は問題ないですが、ガラスには「物を映す」という特性があり、その映した「像」が、ガラスの品質の悪さでゆらいでしまいます。でもそれがまたいいんですね。
現実にある物体を映しているのだから正確なのだろうけれど、揺らいでしまうために、何か別世界のような、時間差とか、そんな何かを感じられる事が、感情を刺激します。
気密性なんてありませんから、風が吹けばガタガタと揺れます。そんな音もまたいいものです。
家という建築物に命はないけれど、ガラス戸の「ゆらぎ」が生命感を与えているように感じてしまうのです。
外壁につける窓としての木製ガラス戸は、ほとんど使われなくなりましたが(*積極的に使う設計者や工務店もあります)、室内では、積極的に使いたいと思っています。
建材メーカーが作るドアや建具は、とてもよくできています。価格も安い。でも・・・それに、生命感も感じません。温か味も感じません。人間の感覚はとってもアバウトです。身の周りにある物は、それと共振できるものであると、とてもいい環境になります。
ぜひ木製ガラス戸、そして木製のドアや引戸を使っください。既成のドアや建具を木製の物に変える事ができますので!
↑1枚目、2枚目 田園調布の家 女中部屋。
仕事は大変だったでしょうけれど、この部屋だけ見て言えば、かわいらしい。
↑常盤台写真場:子供部屋。
これだけでも、住宅の立面として十分に魅力的。
↑常盤台写真場:応接室。
背筋が伸びるのような感じ
常盤台写真場:食堂。
↑花市生花店。店舗部分は昭和30年代を再現しているのだそうです。
当時の正当な「モダン」だったのでしょうか。好きです。
↑商店うらの長屋の入口。1階は何か商売をしていたのでしょうね。
昔の町には、こんな感じ、ありましたね・・?懐かしい。
↑高橋是清邸。縁側のガラス戸。
このガラスは明治?のもの・・という古いもの。
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これらの写真を見ていて思ったのが 「端正」という事。
辞書で調べれば
・姿・形や動作などが正しくてきちんとしていること。また、そのさま。
・(端整)顔だちなどが美しく整っていること。また、そのさま。
という事。
建築で「端正」という事を考えると、「線の細さ」なんだと思ったのです。
現在のアルミサッシもガラスもとっても大きなものを作る事ができます。
しかし、昔にはそんな事ができませんでした。大きな窓を作るためには、大きな枠が必要ですが、その枠とガラスを単独で作る事ができません。大きなものを作るためには小さな部材で組み立てるしかなかったのです。
その時に、「小さな部材」が太いものでは、ただただごつくて目も当てられません。部材はできるだけ細く細く。材料の節約とともに軽量化もされます。
線は細くても全体でしっかりとした構造になっている。粋(いき)ですね~!
「細くても壊れない」という職人のプライドもあったことでしょう。
そんな作る人の技と心意気が、線の細さの中に力強さを感じさせるのかもしれません。
そういうもので出来上がった建築が、「端正」と言うのではないか。
と思います。