先日 表参道にある SHOZO CAFFEE STORE に行きました。
SHOZO CAFFEE STORE は 栃木県黒磯にある 1988 CAFÉ SHOZO の東京店です。
かなり初期の頃から CAFE SHOZO の事は知っていて、ホームページ、そしてブログを見てきました。単ににコーヒーだけでなく、店づくりや、街や人との関わり方については刺激を受けてきました。
黒磯の店ではないけれど、何か突き動かされるように?・・東京店に初めて行きました。
青山通りから少し入ったところ、ビルの片隅に突然 店が現れました。
もうずっと前からそこにあるわけだから、その表現はおかしいけど、知ってからたぶん10年以上、、(黒磯の店ではないけど)SHOZO CAFE との 現実の初めての出会いの瞬間でした。
今となってはこうゆう感じのカフェや店は沢山あるけれど、「黒磯のSHOZO CAFEってこんな感じだ」と勝手に出来上がっているイメージを確認できた気分になりました。^^
手作り感満載の建物・・・これまでネットの中で知っていた SHOZO CAFE そのものです。
SHOZOさんという人がそうなのかはわからないけど、「繊細さと強さ」みたいなものを感じていました。そして、人を優しく迎え入れてくれる温度感。
SHOZO CAFE に持っている私のイメージです。
そしてそれとセットなのが ガラス であり ガラス戸。もちろん 木製のガラス戸。
この店の窓は、どこかの古建具を利用したのかどうかわかりませんが、昔から日本の家にあった「窓」です。アルミサッシなんかない時代、窓は 木とガラスで作った物 でした。
ごくごく普通の木のガラス戸。ガラスは薄く、技術的に大判を作るのは大変な時代でしたから、一般住宅に使われるのは1枚1枚が小さいもの。ですから木の窓には必然的に”格子で区切る”必要がありました。それにより、窓として使う材料も細くて済むという効果もあったのだと思います。
昔の木の窓、木のガラス戸は、”外と内を区切るもの”、”光を取り込む” ためのものです。現在のように、気密性、防火性、遮熱性、などの高度な機能を求める窓(サッシ)とは”別の物”と言っていいでしょう。
機能が単純で、構造も単純。大きさも人の体に対応していて、軽くて開閉も楽で、人の感覚の延長の『道具』のような物だと思います。
金属製の頑丈ででっかい窓やドアにある『強さ』はなく、むしろ『弱さ』を感じる 木製のガラス戸(窓/ドア)。細く、薄く、小さく、風が当たればガタガタし、”脆さ(もろさ)”すら感じます。
でも、そうゆう「弱さ」「脆さ(もろさ)」は人にもあるものですから、多くの人が”親しみ”や”懐かしさ”となって、感情的に受け入れられるのかもしれません。
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また、ご存知のとおり、ガラスは、その向こう側の世界を見る事ができると同時に、こちら側の世界も 映しています。
2つの世界が、ガラスという平面の中に混ざり合います。
触れる事もできず、現実なのか仮想の世界なのか、重なり合う二つの世界の不思議。
弱く・脆い 木の建具 と 不思議なガラスの世界・・・
その組み合わせで作られる世界に、心温まり、時には妄想の世界を楽しみ、時には自分の心を透かし見るようで悲しくなる事も。。
そんな世界が、木のガラス戸にある魅力だと思っています。
カタログで作られ、スペックを強調する現代の家とは、あきらかに違う世界です。