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9.11・・あれから3年

9.11・・

あれは、建築に関わる人間としても、忘れる事のできない日となりました。

建築はその時の最高の技術を持って作られます。世界貿易センターにしても、今となっては技術的には古かったかもしれません。しかし、その後、多くの技術者が手本とした建物の一つでした。いくら古いといっても、高さ410mを作る技術は簡単に古いと評されるものではないのです。

それが、一瞬にして砂山が崩れるようにさらさらと消えてしまいました。外部環境から人を守る建築が一瞬にして凶器になってしまったのです。想像できない恐怖をあじわい亡くなっていった人達のことを思い、胸が苦しくなった覚えがあります。そして、建築の空しさを感じました。。。

ジャンボ機がぶつかるなんて、それは当然想定外のことです。建築物は、肌感覚でいうと、とても固い物です。それが、いくらジャンボ機が突っ込んだとしても、建物がくずれなければ、多くの人は助かったのです。(だだし、あの時、下階で爆破があったということなので、単純にジャンボ機だけの事ではなかったらしいです)さらさらと崩れていったこと、スローモーションのように上部が落ちていったこと、、あの映像は忘れられません。建物に重量を感じられなかった瞬間でした。

今、跡地には新しい建物がつくられることになりました。私は、あそこには、建物を作るべきではないと思います。再建築のコンペティションがあった時、日本の安藤忠雄さんは、大きな古墳のように、大きな盛土をして、なにも建てない案を出しました。結果的には受け入れられなかったのですが、私は賛成でした。広島の原爆ドームと同じように、人間が犯した大きな、取りかえしのつかない過ちを、そこに残すべきだったと思います。

コメント一覧

しだ
ヨウヨウさん、こんばんは。
あれは、みんなが忘れてはいけないこと。
新しいビルの案でも、その記憶を残す部分が確かあったと思います。けして忘れてはいけない。テロの悲惨さだけではなく、何故そうなったかも・・
ヨウヨウ
建築に携わるしださんたちにとっても、忘れること...
http://joplin.de-blog.jp/kaijuutachi/
ワタシはあのとき家にいて、まさにLIVEだという現実感の無い映像を1歳児と3歳児と共にTVで観て唖然としていた記憶が・・。

しださんのおっしゃるように、「想像できない恐怖をあじわい亡くなっていった人達のことを思い」・・・ワタシたちみんなに大切なことは共感したり想像すること、だと思う。なかなかできなかったりするけれど・・・。

しだ
phase2さん、昨日TVちょっと見たのだけれど、これ...
まだむさん、ハワイといえどアメリカ、、すごい経験でしたね。ものすごい緊張感があったでしょう。ハワイだって、アメリカにしてみればドル箱。いつ狙われてもおかしくないですものね。
まだむ
9.11、そのとき私はハワイにいました。
http://sanpo.de-blog.jp/himanandamon/
TVから流れてくる言葉は当然のことながら
英語で、完全に理解できなかったけれど
画面の片隅の「LIVE」の文字が信じられずに
いたのを記憶しています。
飛行機って、ビルってあんなにも簡単に
壊れるものなのか・・・。
十何階かの部屋で、この何倍もの高さに
いた人たちはもっと信じられないことだった
ろう、なんて考えながら呆然とTV見てました。
もう3年もたつのですね・・・。
phase2
しださんとは別の素人の目で見て、あのジェット機...
http://esquina.blogzine.jp/viva/
しださんとは別の素人の目で見て、あのジェット機が貿易センタービルに突っ込んだ瞬間が忘れられません。なんだかウエハースのビルにおもちゃの飛行機がつっこんだように見えました。サクッと入ったように見えました。あの中に何百という人が乗っていて、ビルに何千という人がいたということが、現実味を帯びてきません。ボタンを一つ掛け違えると、あんなにももろく文明なんて崩れ去ってしまうものなのですね。今の暮らしなんて砂上の楼閣かもしれませんね。。
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