長崎の事件は、設計をするという立場でみたときも、考えさせられることです。
ハウスメーカーのCMにでてくるような、絵に書いたようなファミリーそしてマイホーム・・そんなものと現実が、いや現実にひそんでいるものとがいかに違うことか・・・
高度成長期に、人々が求めたものは、そのファミリーでありマイホームです。ものすごい勢いで時代が変わってしまったのに、いまだにその幻想を見せられています。そもそも、見せられていたものは、ある理想型でしかなく、そう、単なるカタチでしかなく、個々のその中身の生活など問題ではなかったのです。映画を見るように、その世界にあこがれる、でも現実はもっと生々しく、とても夢のようなカタチでは対応できなかったのです。
子供部屋で勉強するのではなく、リビングで勉強する。
「ひとりではさみしいから」
「だれかがいるから安心する」
なら、何のための個室なんでしょう?
日本のような住宅事情の国は、アジアではそう多くはありません。
一つ屋根の大きな部屋・・のような家に3世代4世代といっしょに住んでいます。
とても家族を大切にしていて、でも彼らは個としてもしっかり自立しています。
今の日本にそれを求めることはできないけれど、そういう感覚とか自然感は、いまだに根底にあるものだと思います。
いや、思いたいのか・・・