どこに住むのか・・・
「都心」であろうと「郊外」であろうと、その中間であったり、またはもっと遠く「田舎」であっても、全てが満足できる という事は、よっぽどお金がないかぎり不可能だ。
自分(もしくは家族)にとって『何が大切なのか』
そこをしぼらないと、また、基準として確定していないと
あっちだこっちだとうろうろしてしまい、ただでさえ大変な事なのに、土地や建物を決めた時には、疲れきってしまうだろう。しかも、初志はまっとうされていなかったり・・・妥協感が残ったり・・・。
妥協・・・それは当然出て来る。
けれど、妥協も、選択の芯が満たされているなら、それでいいのだ。
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『この街に住みたい』 それが基準なら
当然そこの相場により、手に入れる事ができる大きさは決まる。
「都心」ならば、それはより小さなものになるだろう。
Hさんが言うように
『小さいんだからしょうがないでしょ』・・
それを忘れてはいけない。当り前に家の面積を求めたり、いろいろなモノを求める事を考えていては、成立たなくなる。街も家も・・それはなかなか両立できない。家はどうにもならないという事ではない。小さく暮す事が楽しめなければ、苦痛になっていくだけ。。小さな1戸建てよりマンションに住んだほうがよほどいい。
小さくたって広い家はできる。
矛盾するけど、つまり、モノに面積をとられなければ、広い のだ。
モノを持たない・・それは「覚悟」
でも『小さいんだからしょうがないでしょ』って笑いましょ!
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『これだけの面積が欲しい』 それが基準なら
当然、地価・価格の安い地域に目を向けるしかない。
「便利さ」と「広さ」は相反する。(もちろんお金があれば別)
「家」という領域の中の暮しを楽しむのだから、それにお金をかければいい。
通勤など大変になるかもしれない。でも、それと引き換えに、
自分が満たされる世界に帰れるのだから!
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どんな場所であれ、基準をしっかり持って、かつ、その全部でなくても、納得できる範囲でその「基準」が満たされるなら、それで『OK』!・・逆に言えば、そうなれるものが見つかるまでは「いらない」くらいの気持が必要。何かの期限に縛られて、自分の基準を曲げてしまってみても、、、「後悔」は消す事ができない。
そして、自分が用意できる資金の目一杯は・・・つらい。。
せっかく手に入れたのに、楽しむ余裕がないなんて、、、つまらない。
「家」は、人生の脇役でしかない。。
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「どこに住むのか」・・・・おしまい
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都心に住む → minika
郊外に住む → 風樂房(ふうらいぼう)