『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』飲茶 2
1章 ヤージュニャヴァルキヤ
ちょっと湿気った話を書いてしまう。
私は幼少期、数学教師をしていた学歴至上主義の父に「バカタレ!」「オチコボレ!」と怒鳴られながら、萎縮して育った。
父は性格に難があり、心が弱くヒステリックな人だった(今もだけど)。いきなりブチ切れては家族を怒鳴り散らす怖い人だった。誰もさからえない。みんな我慢してた。父は一家の王だった。
ところが、私が成人して家を出たあたりから父は奴隷化した(謎)。「老いては子に従え」のリアルな実践をはじめたのだ。それこそ絶対服従の勢いで。
不気味なので近づきすぎないように、距離をとってのおつきあいを心がけている。
話戻って、幼少期から私は「自分には価値がなく、けして人に認めてもらえない類の人間だ」と思い込んで育ってしまった。高校・大学時代の闇がピークで、精神的にはドロップアウト寸前。いわゆるアダルトチルドレンてやつだったと思う。
私の転機は大学時代、嫌々進んだ教員過程で発達心理学に出会ったこと。こういうことが学問になるんだ!という驚き。今のようにインターネットも普及してない頃だし。5科目だけが勉強だと思ってたから。
この時私は、こういう分野の学問が存在するのなら、誰にもバラさず自力で治療が可能かも!?と思ってしまった。けれど自分にはもう時間がない。社会に出る前に、なんとしてでも「普通レベルのまともな人間」にならなければ・・・と思いつめた私は、大学卒業後3年という期限付きで人より少し長いモラトリアムに突入する。
で、この3年間で私が何をしたかというと。
「私と同類(同じニオイがするタイプ)なのに、生きづらさを克服しているように見える人の秘密を探り、そこからすぐ使えるマニュアルを得る」
という・・・ようするに「成功してそうな同類」の研究に全てを注いだ。
まあその内容はあまりに色々くだらないのですっとばして、結果どうなったかというと。
「そんなものはない」という答えをみつけた、という私なりの決着を得たのだった(ガッカリ)。
けれどその後、様々な人、経験、すばらしい本との出会いや、インターネットの普及による恩恵などによって、色々な気づきを得て、アダルトチルドレンの闇からのサバイブに成功。
その気づきがどんなものだったかというと。
- そもそも「問いの立て方」が間違ってた。
- それは「問いの前提」が間違っていたためにおきたことで、
- つまりは思い込みとカンチガイにより「自分で」自分を苦しめていたということ。
これは、ヤージュニャヴァルキヤの章に書かれている真理のポイントの一部とほぼ同じ気づきだ。
とはいえ、もちろん私一人の手柄などでは、決してない。
今この時代に生きていられて、ネット・テレビ・本が提供してくれる情報のつなぎ合わせが私にいろんなことを気づかせてくれたのだと思っている。
モラトリアムのための資金を提供してくれた両親にも感謝せねばなりません。今となっては。ゴクツブシでごめんなさい。
おかげで今、私はかなり幸せで、恵まれた環境に暮らすことができている。
一発目の哲人の章がこれで、この後に期待しないわけがない。
この後、どんな内容になるのか。すごく楽しみだ。
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