飲茶さんの本が大好きだ。
『史上最強の哲学入門』、まず東洋編から読む。
古代インド史上最強の哲人、ヤージュニャヴァルキヤからスタート。
紀元前650年~550年頃の人。
キーワードは「梵我一如」
梵我一如とは、古代インド哲学の伝統的な理論で、
世界を成り立たせている原理(梵=ブラフマン)と、個人を成り立たせている原理(我=アートマン)が、実は同一のもの(一如)ですよ、という理論。
これを知った人間は全ての苦悩から開放され、究極の心理に到達する、と。
アートマン(私)とは「認識するもの」で、認識するのものを認識することはできない。これって現象学では・・・(衝撃)。
よって、「アートマンについては『~に非ず、に非ず』としか言えない」。
認識できないんだから、アートマン(私)は「○○です」とは言えない、ということみたい。
哲学的には「私は○○ではない」というのが真理なのに、日常的には「私は○○である」と考えている。この「間違った思い込み」が、この世のあらゆる不幸を生み出す原因になっている、つまり全ての不幸は勘違いなのだ、と。
東洋哲学ってなんかカルトっぽくて胡散臭いと思ってた(←空中浮遊とか)。怪しい宗教のイメージっていうか。
ところが一番古いはずの古代インドの哲学者からカルト臭がしない。これが紀元前500年頃の哲学ってすごすぎないか。
ウパニシャッドを読んだことないし、飲茶さんが抜き出した重要なエッセンスを飲茶さんが語っておられることでカルト臭が抜けてるのかもしれない。けど、その核となる部分に神が不在って。ものすごいことじゃないだろうか。
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