久しぶりにひっぱり出して読んでみた。
本を開くと「もう一方の親の果たしている役割」(四章 アルコール中毒の親)のページにしおりがはさまっていた。
うちの場合は、アル中系の毒親ではなかったけれど、夫婦の関係はアル中家庭のソレによく似てると思う。
父は、依存心が強くて情緒不安定で、誰かを怒鳴りつけて当たり散らすことでしか自分を保てない人だったが、父が強いのはブチ切れてる間だけで、キレてない時はただのだらしない親父に戻っちゃう。そのためか、きっちりとしたマジメな性格の母に完全に見下されバカにされていた。私は物心ついた頃から、父の悪口を言う母しか知らないし、それは今も変わらず継続中だ。
大人になって、この夫婦を横並びの立場から眺めてみるに、なんていうかタイプは違えど、どっちもどっちっていうか。
母が気持ちよく自尊心を保てるのは「ダメな父」がいてこそなのだろう。だって本気で嫌なら、実はイロイロやれることがあるはずなのだ。でも、母はけして本気では動かず、父をダメなままにしている。アルコールが介在しなくても、アル中夫婦のような共依存関係は実現可能なんだなって思う。両親みてると。
この章のシメで、著者は「もう親に夢を見るな。彼らはたぶん変わらない」しかし「親は変わらないが、あなたは変われる」と書いている。
最近『Rei』(さとうみつろう著)を読んでた。上巻の中盤辺りで、Reiが「現実はけして変わらないが、自分がとった行動は目の前の現実に必ず反映される」「カギは行動にあり」的なことを語ってるんだけど、それを思い出して、アル中シメ部分を再読した時にちょっと震えた。
なぜなら、スーザン・フォワードが「あなたが変わるために」とオススメしているのが、「親との対決」だからだ。つまり行動だ。
私は、36くらいのときに「対決」してみた。
結果どうだったかというと、やっぱり親はひとつも変わらなかった。
けれど自分の中には確実に変化があったと思っている。
対決することによって、ひとりぼっちだった自分の味方になってあげられた、という感覚が生まれた。で、この「味方」という思いつき?が、私をものスゴく感動させたのである。
あの頃、当然親は敵だったし、自分すら自分の敵だった。完全に親側の立場にたって自分を責め続けてたんだから。
だけど、初めて自分に味方してくれるひとが現れた。現実に体をはって、私のためにモノを言ってくれるひと。自分が自分のお母さんだったらよかったのに、とすら思った。
いや、わかってます。一人芝居もいいとこだ。
けど、私は自分の中に生まれたこの感覚にすごーく感動して・・・
ヘンな言い方だけど、これでやっと「自分自身に申し訳が立つ」と思えた。
対決してみて自信がついた。で、たぶん強くなれた。
実際に動いてみなければ見ることのできない景色がある、っていうのは当たり前っちゃ当たり前のことなのかもしれない。
私の場合はこんなふうだったけど、人によっていろんな形があると思う。
もしもハラをくくることができたなら、行動に移してみることは確かにオススメです。
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