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教育をメインに、自分にも読者にも問いかけるブログ!
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GWが明けません!やっぱり対面授業がいい!!

2021年05月07日 | 日記
GWが明けて、
みなさんお忙しくされていることと思います。


昨日、ちょっとだけ用事があったので、
前任校(といっても、今も所属はそこなのですが)へ行ってきました。


ここから先は、総体の予選、定期テスト、インターハイ予選、学園祭、三者懇談・・・
1学期はイベント目白押しです。
やはり先生方もせわしく働いていらっしゃって、
去年のこの時期は休校してたもんなあ・・・と、感慨深く。


さて、私も忙しくなるはずだったのですが・・・
コロナの影響で、対面授業が始まりません。
そして、中学校での実習(週1の予定)もしばらくSTOP。
今日もこれからオンライン授業です。


GW前まで対面授業でとても学びが多かっただけに、
機会の損失、というより、ワクワクの損失が大きいです。
やっぱり対面がいい!!
グループワーク、ディスカッション、したい!!
他者の新鮮な意見を取り入れたい!!


それでもzoomというツールがあって、
講義形式の知識伝達はしてもらえることに感謝ですね。
授業を受ける立場に立ったことで肌感覚として感じています。
リアルタイムで授業を受けられることによる「ちゃんとしなきゃ!感」はすごくあります。


これはちょっと反省でもあるのですが、
去年は休校中にYoutubeで授業配信してたんですよ。
もちろんYoutube形式の良い所もあるのですが、
「録画してあるのを見てね」というのと、「この日のこの時間にやるよ!」というのでは、
やはり緊張感が違う。


この立場になって、その緊張感って重要だなって。
だって、家にいて、時間がたくさんある中で、動画を見るわけです。
「いつでも見れる」のと「この時間に必ず見なければ」では、心構えが違いますよね。
しかもリアルタイムで反応を求められることもある。
zoomの方が「ちゃんとしなきゃ!感」が強いです。思っていた以上に。だいぶ。


それから、オンラインになったことで、大学から教授からいろんな連絡が来ます。
課題の提示、授業の連絡、事務的な手続き・・・
メール、掲示板、それ以外の情報ネットワーク等、あらゆるツールを駆使して。
特に授業の連絡。
その授業ごとに教授が連絡してくるので、メールボックスがすごいことに。


えーとですね、わかりにくい。
一元化してほしい。
見落としそうで怖い。


そう考えると、小中高、そこまでの学校生活って、
ホームルームがあって、担任の教員がある程度連絡してくれて、
急な連絡は校内放送が入って・・・
それってとても優秀な情報共有システムなんじゃないかと。
そんなことも感じています。


さてさて、そろそろ授業の時間です。
デスクを片付けて、集中できる状況を作って、5分前だと不安なのでもうちょっと前に入室しないと。
頑張ります!!

院生生活、1ヶ月が経って。

2021年05月01日 | 日記
早くも1/12が過ぎ去ってしまいました。
この1ヶ月は驚きの連続、学びの連続。
環境が変わること、学びの時間を持てることの素晴らしさを感じた1ヶ月でした。


毎日、いや、1時間1時間の授業から、たくさんのことを感じ取っています。
教授の話はどれも興味深くて、魅力的な授業、自然と考えたくなる授業が多いです。
その背景にあるのは、教育に関する知識量の多さ。
「どういう教材を使うと教授自身の言いたいことが学生に伝わるか、考えが深まるか」
ということをしっかり考えている教授が多く、授業の質が高いことに脱帽しています。
素直に「あ、研究者って本当にすごい」って思っています。
教授の方々は、ちょっと次元の違う所にいらっしゃる。


我々、現場で働いた経験のある教員としては、
「ああ、そういうことめっちゃあります!」
という経験を扱ってもらえることや
「え、海外だとそれが当たり前なんですか!?」
と、固定概念を打ち破ってもらえることが毎日のようにあるので、
いつも新鮮な気持ちで授業を受けています。


しかも小学校、中学校、特別支援学校で働いていた先生方も一緒に授業を受けていて、
それぞれ大切にしている価値観とか、経験から得てきた知見も違うので、
高校で働いている私とは全く違う視点からの意見ももらえます。
「小学校だとこうなんですよね」「それが中学校になると・・・」「高校はまた違って・・・」「特別支援的な考え方だと・・・」
これがまた面白い!!
普段働いてても、他校種との交流ってない。
だけど同じ教育に携わる者同士、小、中、高、特支、それぞれのことを知っておくのはとてもプラスになる。
そして普段の職場では仕事に追われている。こんなに深く熱く教育について語ることもない。
授業の後には自然とみんなで集まって、「ああじゃないか、こうじゃないか」と議論も白熱する。


そしてストレートマスター(学部からそのまま院生になった若い学生たち:略称ストマス)
の人たちは教育に対する情熱が強くて、とっても刺激を受けています。
私が大学生のときそうだったように、教職に対する憧れがあり、意欲に溢れてギラギラしています。
彼らの今のトレンドは「教員採用試験」
そりゃそうだ、採用されてなんぼだもんね。
どこ受けるか、どんな試験か、どんな対策しているか。
そんな会話が院生室で盛んに繰り広げられております。
彼らを見ていると、とても頼もしいです。
こんなにも教員がブラックだと言われているにも関わらず、それを目指す彼ら。
教育業界もまだまだ捨てたもんじゃない!!
負けてられません。


教授と、現職の先生方と、ストマスのみなさんと。
どれだけ刺激もらえるんだよ!って感じています。
正直、最初は授業の時間割を見て、「月曜から5コマ!やばいやばい!!」
とか思ってたんですけど、全くそんなことなくて。
もちろん課題とか資料作成とかそういう大変さはあるんですけど、
興味関心があるからなのか、単純に授業自体はとっても楽しいのです。


感覚としては、凝り固まった筋肉を柔らかくする作業に似ています。
様々な刺激を入れて、揉んだり、叩いたり、お灸とか電気入れたりして、
そのコリをほぐすことで「あ、こんなに身体って簡単に動くの?軽い!!」って感動があるように、
教育に関するたくさんの刺激を、いろんな人からもらうことで、
自分の中で凝り固まってた教育に対する考えとか意欲とか問題意識が呼び起こされて、
自分の力だけでは到達できないような「あ、そんな考え方もあるの?すごい!!」っていう2段も3段も上のレベルに導いてもらえる。
周りの皆さんの力で自分を引き上げてもらってる感覚があります。ありがたい!!


ここからは様々なケーススタディも増えて来そうで楽しみです。
そして実習がどうなるか・・・
あと11/12しかありません。
貴重な時間を大切にします!!

#教師のバトン 知ってますか?

2021年04月21日 | 教育
大学院生をやっています。
院生室では様々な話が出ます。
教職大学院なだけあって教育に関する話が多く、聞いているだけでも面白いです。


今日は、教員の過酷さについての話が繰り広げられていました。
その上で、どの自治体で教員採用試験を受けるか、採用試験の対策をどうするかと議論しています。
ここにいる大学院生は、その過酷さも承知で教員を目指すんだなあと、頼もしくなりました。


ところで、
#教師のバトン
というハッシュタグが話題になっているのをご存じでしょうか?


もとはと言えば、文部科学省が
「時代の変化に応じた質の高い教師を確保するためには ~(中略)~
教職を目指す学生や社会人の方に、現職の教師が前向きに取り組んでいる姿を知ってもらうことが重要です。」
という理念のもとに、教育現場の奮闘を知ってもらおうと考案されたハッシュタグのようです。

→参考:「#教師のバトン」プロジェクトについて(文部科学省)


背景には教員志望者が全国的に減ってきており、
教員志望者を確保したい、教員という仕事の魅力を発信することで・・・
という問題意識があるようです。
たしかに、教員採用試験の倍率低下は顕著であり、喫緊の課題となっているのです。


しかしながらこのハッシュタグ、当初の予想とは別の方向へと展開しており、
現在は、教員の過酷な現状を訴える声で溢れかえるハッシュタグとなっているようです。

→参考:“教師のバトン” 想定超える悲痛な声(NHKニュース)


SNSで検索をかけてみました。
たくさん出てきます。
教員の大変さについて、うんうん、とうなずくものばかり。
確かに文科省の狙いとは違う方向で拡散しているようです。


もちろん、教員として11年働いてきて、過酷な現状は理解しています。
「いやー、きついなー、正直やばいなー」ってなったことも何度もあるんですけれど、
そのキツさを発信することには意味が薄いと思っていました。


それを受け取った人の反応として想定できるのは・・・
『あ、教員がヘルプ求めてる。やっぱり教員って過酷なんだなー。』
っていう教員に対するネガティブな反応だからです。


だからこそ、ポジティブな発信をしたいと思っていて、
教員やっててこういう楽しいことがあったんですよ!とか
教員冥利に尽きるのはこういう時ですよ!とか
教員としてこういうことを大切にしています!とか
そういう発信をしていきたいなと。


だって、そうしなきゃ、次の世代に胸を張ってバトン繋げないじゃないですか。
しんどさアピールして、誰がそのバトンを受け継ぐんだ?って思うのです。
バトンを受け渡さないって選択肢は、ありえないこの職業。
どうすれば心身ともに健康で働けるか、そのバランスのとり方を考えていきたいです。


せっかくのハッシュタグ、プラスになるような活用を考えていけたらなあと思うのですが、
あれなのかなあ。
文科省の作った「#教師のバトン」というハッシュタグで窮状を訴えることによって、
その声よ文科省に届け!
という気持ちも一方で理解できるのです。


どちらにしろ、教員という仕事のあり方について、
あなたの子どもを預ける、学校という場がどうあるべきかについて、
真剣に考えてくれる方が1人でも多くなってくれれば、ありがたいことです。

え、そんなに深めるの?ごんぎつねを??すごいですね。というお話。

2021年04月16日 | 教育
自分の生きている世界と違う世界。
そこから学ぶことはたくさんあります。
大学院では異文化との交流機会に恵まれていて、刺激を受けまくっています。


先日の記事では、外国の教育の話を取り上げました。
リンクはこちら→アメリカの教育を学ぶことで、日本の教育を捉えなおせる。


今日は、小学校での教育内容について。
「ごんぎつね」が題材でした。
正直言ってよく覚えておらず、授業前に読み直してみて「ああ、こんなお話だったか」と。
その程度の感想しか持たずに授業に臨んだんですが・・・


え、こんな部分をこんなにも読み取るの?
と、驚いてしまいました。
国語がそういう教科なのか、それとも小学校の先生たちの教材研究がすごいのか。


最後、ごんが火縄銃で打たれる前に、たくさんの栗を「固めて」置いた。
この「固めて」という表現から読み取れることは何か?


最初、その発問を聞いた私、ポカン。笑
でも周囲の先生方の解釈を聞くうちに、その質問の意図がようやく腑に落ちました。
なんで、バラバラじゃなく、固めて置いたのか。
そこに隠されたごんの心理状態はどんなものか。
また、その心理はどこからやってくるものなのか。
そういうことを聞きたい発問だったわけです。


話を聞くと、この「固めて」の部分だけを題材に1時間を使う研究授業もあったそうで。
おいおいマジかよ。と。


ただ、今日の授業でわかったことは、
確かに、その「固めて」という表現にそれだけ考える余地があること。
小学校4年生が自分の意見を持てる内容で、しかも自分と他の人との意見の相違を感じられる箇所であること。
そしてその感じ方の相違を味わって、自分との違いを受容できるようになるのが、
国語科の授業で身につけさせたいポイントとして、学習指導要領にも書かれているということ。


そして小学校の先生方の反応は、
「ごんぎつねはやっぱり定番だよね。私なりのその解釈は・・・」と言わんばかりにスラスラと口をついて出てくるのです。
すごい。どれだけ教材研究しているんだ・・・。


そして学生時代に何となく受けてしまっていた国語。
先生方はこんなにも教材研究をして、問題意識を持って指導してくれていたのか、と。
それはそれは申し訳ない気持ちになり、そしてもっと大切に授業を受けるべきだった!!と、
反省の念に駆られたわけです。


私の専門は、高校の数学。
それってあまりにも狭い領域で、
その外に広がる世界って、こんなにも豊かなんだなあと。
井の中の、いや、水たまりの中の蛙な自分を自覚させられました。


始まって3日でこれです。
学びって楽しいなあ。

アメリカの教育を学ぶことで、日本の教育を捉えなおせる。

2021年04月14日 | 教育
今日はアメリカでのインクルーシブ教育について学びました。
今まで、日本の情報にしか触れてきていなかったことを反省。
というのも、日本とは違うところがたくさんありすぎて、驚くことがたくさんあって。
その違いの多くが、文化や民族由来のもの。
日本で我々が考えている常識が、いかに凝り固まった先入観か。
そんなことを思い知らされました。


驚いたことをいくつかシェアします。


日本ではインクルーシブ教育というと、なんらかの障害を持った児童生徒の教育を指すことが多いけれど、インクルーシブという概念はもともと、「多様な子どもたちをひとつの場で教育する」というもので。
アメリカではまず第1に人種(言語)の壁、第2に貧富の差、そのあとに来るのが障害の有無に焦点を当てたものらしい。
たしかに言語が違ったら教育も難しい。
そして貧富の差についても然り。
日本でも今後もっと顕在化しそうな問題かも。


また現在、アメリカのいくつかの州では、特別学校(日本でいう特別支援学校)が廃止されつつある。
つまり、障害を持つ子どもが、普通のクラスにいる状態。
そのぶん手厚い支援が必要であることはもちろんで、
今日のモデルとなった学校は、小学校の20人学級に教員が2人ついていた。
生徒10人に1人。
ものすごくたくさんの教員が必要で、
これは日本の学校ではまず考えられない。


日本では特別支援学校を設置し、支援が必要とされる子供たちには手厚く。
それ以外の子供たちは35人学級として、1人の教員が担当しているからこそ、他国に比べて教育予算が圧倒的に少なく収まっているのだろうなと。
そんなことを考えていたら、教授からの発問。
「じゃあ今の日本で、『特別支援学校を廃止して、いきなりアメリカ式に変えまーす!』
と言ったら、猛反対が起こりますよね。誰がいちばん反対すると思います?」
これ、けっこう考えさせられていて。
みなさんも考えてみてください。


それから、アメリカではホームスクール(学校ではない場所での教育)も認められているらしい。
土地が広大なため、昔は通学できない子どもが多かった、という背景から生まれた制度のよう。
今はこの制度のおかげで、学校に来にくい子供はホームスクールを選択することができるため、不登校がほぼいない模様。
うーん、なるほど。
良くも悪くも。


それから、学校の基本情報について。
日本では学校の概要というと、
全校生徒○○人、男子○○人、女子○○人、〇クラス
今日出てきたアメリカの学校概要は、
生徒数○○人、黒人○○人、白人○○人、スパニッシュ○○人、貧困層○○%、障害児○○人
えっ!そこ!?
人種とか、貧困率とか、日本では気にしないような情報がオープンになっているそう。


ほかにも、アメリカでは13歳未満の子どもは、大人の管理下になければいけないらしい。
管理下とは、子どもの半径15メートル以内。
日本では小学生だけで登校し、小学生だけで下校するなんて普通だけど、
アメリカではそれは許されないのだと。
だから留学生は日本の子どもの放課後の過ごし方にびっくりするらしい。


こうやって外からの情報を仕入れて比較することで、
今まで考えていた常識を揺さぶられる。
我々の当たり前って、なんで当たり前なんだろう?
やはり私たちの常識は、民族的な歴史とか文化から紡がれてきた生活様式によって生み出されてきたものであって、教育に関してもやはり、我々の考えている当たり前は、日本という国だからこそ当たり前になってきたものなんだと。


そしてそれは良くも悪くもなところがあって、
日本の教育が直面している現状をありのままに捉えて、受け入れて、
教員や保護者ひとり一人が、その問題点に対してどうアプローチしていくか。
広い視点から考えて、議論して、行動していきたいですね。