明日はいよいよ卒業式です。
いよいよ来ちゃったな、という感じです。
3年前、彼らが入学したその日から、この日が来るのは分かってたのに、やっぱり、やっぱり寂しい。
卒業式前夜の、担任の寂しさをここに綴ってみます。
きっと教員をやってる人なら共感してくれるはず。
教員ではない人も「あのとき、自分の担任の先生もこんな気持ちだったのかな?」って想像しながら読んでみてください。
私は今の高校3年生が入学するのと一緒に今の学校に赴任しました。
1、2、3年と、ほぼメンバーが変わらないクラスの担任として、自分なりに3年間一生懸命やってきたつもりです。
で、今の学校に赴任することが決まってから引っ越しをしたんですね。
つまり今の生活が始まった3年前から、ずっと今のクラスの生徒たちと一緒だったんです。
平日はもちろんのこと、休日だって1日たりとも彼らのことを考えない事はなかった。
だからこの家での3年間は、今のクラスでの3年間なわけで、
ちょっと大げさだけど、この家にいることイコール、今のクラスの担任であることなのです。
だからこの家にいるのに、彼らの担任じゃなくなるってのも信じられないんです。
学校にいれば、朝のホームルーム、帰りのホームルーム、保健室からの連絡、
他の先生から聞く授業の様子、廊下で他の先生に話している姿すれ違うときの表情、今悩んでること、
提出物が出なかったり、服装で注意されていたり、やんちゃして怪我しないかハラハラしたり、
どれだけ心配したか分かりません、どれだけ悩んだか分かりません。
いつも元気に挨拶してくれて、良いことがあれば報告してくれて、こっちが元気ない時には心配してくれて、
他愛ない話で盛り上がり、くだらないことで笑い合い、
一緒に真剣に将来のことを考え、進路に悩み、成績で悩み、二人三脚で彼らの向かっていく方向を一緒に考えてきて、
そんな毎日の日課が、明日でなくなってしまう。
率直に言います。本当に本当に寂しい。寂しすぎる。
卒業と言うのはめでたいものなはずなのに。
3年間かけて大切にしていきた、自分の中の全てを持っていかれる感じです。
やっぱりクラスっていうのは、ホームルームと言うだけあって、ホームなんですよ。家族みたいなもんなんです。
そこに自分のクラスの生徒たちがいて、自分のクラスにしかない、自分とそのクラスの生徒たちだからこそ出せる雰囲気があって、だからこそホームルームなんです。
そのホームルームも、明日で最後。
きっと、明日彼らが帰った後の教室は、ものすごく寂しさで、空虚感で溢れているんだろうなぁ。
クラス運営には正解はありません。
だけどこの3年間、自分の中で後悔しないように、常に彼らに対して誠実でいようと心がけてきました。
私のクラス運営が生徒たちにとって良いものであったかどうかは、明日のホームルームの生徒たちの表情で答え合わせをすることになります。
彼らがどんな表情で私の話を聞いてくれるのか。どんな表情で最後のクラス写真を撮影するのか。
もう、36人全員が揃うのは、明日が最後。
36人全員に向けて話が出来るのも、明日が最後。
準備は万端。後はこの思いを明日の感情に乗せて彼らに届けるだけ。
明日は特別な日。
だけど決して特別な話をするわけではない。
今までの学校生活を一つ一つ丁寧に思い出しながら、今まで伝えてきたことの延長を、明日もしっかりと伝え切るだけ。
それが彼らの今後の指針になるかどうかは、実はもう決まっている。
今までに彼らと信頼関係を築けていれば、彼らの心には、必ず響く。
実は、卒業生の担任は、もう3回目なんです。
少しは慣れるかと思ったけれど、全くそんな事はなく。
明日の卒業式に向けて昨日からそわそわしっぱなし。
明日なんか来なければいいのにって、そう思ってる自分がいる。
本当なら36人全員の袖を引っ張って、
「お前ら卒業すんなよ!みんなでもう1年やろうぜ!」って引き留めたいくらい。
それだけ3年間積み重ねてきたものが大きかったってこと。
こういう感情でいられるのは、良いことだと思う。
ちゃんと、生徒に対して全力で向かい合ってきたからこその感情。
今日だけはそんな自分を褒めてあげたい。そして明日の自分にエールを送ってあげたい。
明日は、とびきりの笑顔で送り出さなきゃね。
だって、笑顔は大事なんだろ?いつもお前が言ってるじゃないか!
明日は、彼らの門出を心から祝福しなくちゃね。
だって、前を向いて進むことの大切さ、いつもお前が説いていたじゃないか!
でも、明日は涙まじりの、ぐっちゃぐちゃな笑顔になっちゃうかな。
いよいよ来ちゃったな、という感じです。
3年前、彼らが入学したその日から、この日が来るのは分かってたのに、やっぱり、やっぱり寂しい。
卒業式前夜の、担任の寂しさをここに綴ってみます。
きっと教員をやってる人なら共感してくれるはず。
教員ではない人も「あのとき、自分の担任の先生もこんな気持ちだったのかな?」って想像しながら読んでみてください。
私は今の高校3年生が入学するのと一緒に今の学校に赴任しました。
1、2、3年と、ほぼメンバーが変わらないクラスの担任として、自分なりに3年間一生懸命やってきたつもりです。
で、今の学校に赴任することが決まってから引っ越しをしたんですね。
つまり今の生活が始まった3年前から、ずっと今のクラスの生徒たちと一緒だったんです。
平日はもちろんのこと、休日だって1日たりとも彼らのことを考えない事はなかった。
だからこの家での3年間は、今のクラスでの3年間なわけで、
ちょっと大げさだけど、この家にいることイコール、今のクラスの担任であることなのです。
だからこの家にいるのに、彼らの担任じゃなくなるってのも信じられないんです。
学校にいれば、朝のホームルーム、帰りのホームルーム、保健室からの連絡、
他の先生から聞く授業の様子、廊下で他の先生に話している姿すれ違うときの表情、今悩んでること、
提出物が出なかったり、服装で注意されていたり、やんちゃして怪我しないかハラハラしたり、
どれだけ心配したか分かりません、どれだけ悩んだか分かりません。
いつも元気に挨拶してくれて、良いことがあれば報告してくれて、こっちが元気ない時には心配してくれて、
他愛ない話で盛り上がり、くだらないことで笑い合い、
一緒に真剣に将来のことを考え、進路に悩み、成績で悩み、二人三脚で彼らの向かっていく方向を一緒に考えてきて、
そんな毎日の日課が、明日でなくなってしまう。
率直に言います。本当に本当に寂しい。寂しすぎる。
卒業と言うのはめでたいものなはずなのに。
3年間かけて大切にしていきた、自分の中の全てを持っていかれる感じです。
やっぱりクラスっていうのは、ホームルームと言うだけあって、ホームなんですよ。家族みたいなもんなんです。
そこに自分のクラスの生徒たちがいて、自分のクラスにしかない、自分とそのクラスの生徒たちだからこそ出せる雰囲気があって、だからこそホームルームなんです。
そのホームルームも、明日で最後。
きっと、明日彼らが帰った後の教室は、ものすごく寂しさで、空虚感で溢れているんだろうなぁ。
クラス運営には正解はありません。
だけどこの3年間、自分の中で後悔しないように、常に彼らに対して誠実でいようと心がけてきました。
私のクラス運営が生徒たちにとって良いものであったかどうかは、明日のホームルームの生徒たちの表情で答え合わせをすることになります。
彼らがどんな表情で私の話を聞いてくれるのか。どんな表情で最後のクラス写真を撮影するのか。
もう、36人全員が揃うのは、明日が最後。
36人全員に向けて話が出来るのも、明日が最後。
準備は万端。後はこの思いを明日の感情に乗せて彼らに届けるだけ。
明日は特別な日。
だけど決して特別な話をするわけではない。
今までの学校生活を一つ一つ丁寧に思い出しながら、今まで伝えてきたことの延長を、明日もしっかりと伝え切るだけ。
それが彼らの今後の指針になるかどうかは、実はもう決まっている。
今までに彼らと信頼関係を築けていれば、彼らの心には、必ず響く。
実は、卒業生の担任は、もう3回目なんです。
少しは慣れるかと思ったけれど、全くそんな事はなく。
明日の卒業式に向けて昨日からそわそわしっぱなし。
明日なんか来なければいいのにって、そう思ってる自分がいる。
本当なら36人全員の袖を引っ張って、
「お前ら卒業すんなよ!みんなでもう1年やろうぜ!」って引き留めたいくらい。
それだけ3年間積み重ねてきたものが大きかったってこと。
こういう感情でいられるのは、良いことだと思う。
ちゃんと、生徒に対して全力で向かい合ってきたからこその感情。
今日だけはそんな自分を褒めてあげたい。そして明日の自分にエールを送ってあげたい。
明日は、とびきりの笑顔で送り出さなきゃね。
だって、笑顔は大事なんだろ?いつもお前が言ってるじゃないか!
明日は、彼らの門出を心から祝福しなくちゃね。
だって、前を向いて進むことの大切さ、いつもお前が説いていたじゃないか!
でも、明日は涙まじりの、ぐっちゃぐちゃな笑顔になっちゃうかな。
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