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昭和の俳人伊藤一直の句作。

俳句集 『うたたねの』 より

2024-09-03 11:10:11 | 俳句
 私の祖父である伊藤一直(本名 伊藤醇)は明治44年に福島県喜多方市に生まれ、20代前半から句作を開始。鹿火屋(神奈川県二宮町)、桔槹吟社(福島県須賀川市)、花薊(福島県喜多方市)等に投稿。戦後は身不知吟社(福島県喜多方市)の月例句会等によく参加していたようである。
 作品は、「自由日記」、「花薊集投句」、「鹿火屋投句」、「3」という表題がついた手帳に昭和7年から昭和13年頃までに詠まれたものが残されている。
また、俳句手帳1970年版には「桔槹投句」として昭和45年8月から昭和46年12月までのものが残された。
 さらに、著者自身が出版を意図していたとみられる原稿用紙約60枚とその下書きの原稿、便箋が多く残されているが制作年月が不明なものが多い。
これらは著者の自筆によるもので、後から消し線で消されているものや、判別が困難な文字も多くあるが推敲の過程が見られ興味深い。
 ほかに、前述の「桔槹」、「暁」等の機関誌に印刷されたもの、身不知吟社月例句会の印刷物、喜多方市文化祭、福島県芸術祭俳句大会に出品したもの等の紙面に残されたものを基本的なものとして採取を行った。 
 まだまだ読み込めていない原稿等が多くあり、今後も引き続き採取・編集を進める予定だが、句集『うたたねの』と題して自家製本としてまとめてみた作品を、この場所に再投稿していきたいと思う。