と言っても僕が生まれる前ですけど。まあ、田舎ですからね大阪府の中では。
当時の話をよく祖母、母親、父親から聞いたもんですけど猛烈に反対運動をしてようやく阻止したらしいです。タイミングもあったと思うんですけど建設が決定する前だったから、保守的な人が多かったから・・そういういろんな要素があって、多分運良く免れたんでしょうね・・・
いろんな意見あるでしょうけど、僕としては当時反対運動をしてくださった方々に感謝しまくってます。
反対サイドだった方々は、その後交野市の財政が猛烈に悪化した際に(ちなみに全国の全市町村中で夕張市についでワースト2になった経験アリ)
「あのとき誘致してれば・・」
と、相当言われたそうですけど今となっては、何も事故が無くても色々とまき散らす事が分かってきて、拒絶して良かった、と(大きな声では言わんようですが、酒の席では話に出るとか)。
いったん助成金が入ってくるようになると、それに依存しまくるようになってしまって抜け出せないようですね。
交野市の事を全国レベルの話に当てはめるのは無理あるかも知れませんけど、サービスとか施設とかの条件は悪いですけど、安心して暮らせる良いところですよ交野市。やっぱり安心と健康が一番ですよねぇ・・。
地震のちょっと前にタレントの石田一成さんのブログで子供の頃に反対運動に参加してリンチみたいな目にあったと言う経験が書かれてましたが(話題になったのは地震の前だったけどすごいタイミングでしたね・・・今はもっと騒がれてるんじゃないかな?)。
何しろ、いったん動き出した計画ってのはそれ自体がもう巨大な慣性を持って突き進むんで・・・利権もからんで・・・止めるのは無理なんでしょうね。特にすでに建造が始まって稼働待ちなんてタイミングだと絶対無理なんでしょうねぇ・・。
まあ、要するに何が言いたいのかと言いますと・・・もんじゅ計画を止めるには本当に気合いが必要だって事でしょうか。
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