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23年7月から再就職 透析と言う仕事に

あれから14年

2025年03月12日 | 日記

11日
今日は辛うじて氷点下にはならなかったが結構寒い朝だ。
救いは陽射しが暖かい事だ。
 大船渡の山林火災も鎮圧が進み、消防関係者の鎮火に向けて緻密な消火活動には頭が下がる。
避難していた人達も自宅に戻って安堵出来た方達は良かったが、不幸にも焼失した方がたのなかには、震災で家を失い新築して今回消失した方がテレビに映されたが、何とも言いようのない思いが・・・

連休明けの今日、一寸体重増え気味だが幸いにも朝一便意を催し通じがあったのでなんとか想定内に収まりそうだ。

久しぶりに除水2.4㍑、終わり間際、両足のつりの痛みに耐えて何とか終え足を引きずりながら更衣室に。
足の痛みはふくらはぎから反対側の薄皮まで痛みが。
薬お飲んで車に乗り込み家に着いてホッとしたが、かみさんが用意してくれたカルビ丼と越冬ホウレン草の卵のスープどこに食べたのか、即就寝。

12日
昨日は最高気温17度と暖かかった。

14年前の昨日もいい天気で、発生時刻には交差点の右折レーンで停車中、車が上下に揺れ電線が大きく揺れ動き何とか交差点を抜けて停車したのをまだ思い出す。
 自宅に帰りかみさんは当時コミセンの非常勤職員だったのでコミセンに。
我が家は居間や台所の物が落ちる程度だったが、二階の私の部屋は揺れ幅が大きかったせいか机回りが大変だった。

夜になって冷え込み、停電でコタツやヒーターは使えず、かみさんが一旦帰宅して断水で当時汲み置きしてた水でご飯や冷蔵庫にあるおかずをふかしてくれたのを食べた。
 心筋梗塞術後4ヶ月、ポータブルラジオの情報だけが頼りで、布団にかみさんが用意してくれた湯たんぽを抱いて居間で寝た。
不安な思いで寝たような寝てないような・・・
 かみさんはコミセンに避難者が集まりだしたので泊りがけに、その後1週間かみさん行ったり来たりだった。

翌朝は氷点下の冷え込みで、反射式ストーブで部屋を暖めて暫く布団の中に。
コミセンにパンが運ばれたとかで、かみさんが持ってきてくれた。

何日か経って、断水で入浴出来なかったので一関病院前の銭湯に行ったらまさにイモ洗い状態。 其の銭湯、昨日一関病院に行った時駐車場に代っていた。

被災地の様子をテレビで知ったのは電気が復旧した数日後で動悸が激しくなり見るの止めた。
被災地の方々に比べたら屁でもないあの日の記憶、忘れてはいけないと・・・

今日は一関病院に行って、心エコー検査とホルダー心電計装着し明日まで24時間測定。その結果は金曜日になるが・・・

コメント
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