こまちゃん

爺婆ふたり生活の日記

障害者用トイレが足りない

2010年05月28日 | 親の介護録
父の足にむくみが出たので尿が出る薬を飲んでいる。
30分毎、トイレに行きたくなり、我慢が出来ないこともある。

スーパーへ連れて行って
「おしっこ」と言われると急いで障害者用トイレに走る。

使用中だと、次のトイレへ走る。

障害者用トイレは多目的トイレになっているから
利用者が多いようです

探しても、障害者用のトイレが空いてない時は
父を連れて男性用のトイレに入らなくてはならない時もある。

先日、父が障害者用トイレから出ると
向こうの方に車椅子の人が背を向けて走って行く。
父も待たせてしまったらしい
ごめんなさい。

四十九日

2010年05月23日 | 親の介護録
今日は、母の四十九日の法要でした

私は六十才を過ぎても肉親を亡くした経験がなく
今回の母の死で深い悲しみを知りました

介護の渦中にいたころは
落合恵子さんの「母に歌う子守唄」に励まされていた
けれど
お母さんが亡くなられても思い出を何度も書いておられるのを見て
「何時までも、女々しい。私は生きている間は一生懸命母と関わるけれど亡くなったら気持ちを切り替えるわ」
と思っていた

そんなものじゃないとも分かった

まだ、介護の必要な父もいるのに
寂しくて悲しくて気がつけば涙が出ている時が続いた

思い出すのは昔の思い出ではなく
終末期と覚悟して退院し在宅介護をした10日程の間の
母とのもっとも濃密な日々のことです

この母の最後の人生に寄り添えたことが
母と別れた私の心を癒すにかけがえのない時間になりました。

こんな時間を作ってくれた医者や看護師、ヘルパーさんに感謝している

ブログを書けない日々が続いたけれど
悲しんでいると母に叱られそうで気持ちを切り替えようと思う

週に4日、父の介護に行っているが
朝行くと、机に座って母の写真を眺めている。
父のベッドに母の写真がたくさん散らばっている

「私より、お父さんの方が辛いんだよね。
明日はおいしいものを食べに行こうよ」

遺影

2010年05月17日 | 親の介護録
母が亡くなってから一カ月以上が過ぎました。

ニコニコ笑った遺影に向かうと何とも悲しかったのが
「おはよう」「また、来るね」と笑顔であいさつできるようになりました

遺影の写真は、生き生きと明るく生前の母そのものです。

数年前、娘が「皆で写真撮りたい」と言ったので
両親を正装させて写真屋さんで撮影しました。

出来上がった写真を額に入れて見せると喜んでいました。

両親の体力を考えると
もう、こんなことはできないだろうと思い
1000万画素のデータ記録CDにして残しました

遺影に使ったのは両親が並んで撮った写真から取り出したものです。

こんな笑顔が残せて本当に良かったと思います

栄養補給

2010年04月12日 | 親の介護録
父の食事量が減ってきているので栄養補給する

SLプロテインパウダー +Zn(和光堂)
 たんぱく質と亜鉛を補給
 おみそ汁・ご飯などに少量加えて混ぜるだけ
 私も食べてみたが、味も香りも気にならない

ラコール(イーエヌ大塚製薬)
 栄養成分をバランスよく含む半消化態の経腸栄養剤。
 食後にコップに一杯(150ml)、残りは私が(50ml)飲んでいる
 おいしくはないが、飲めなくもない

2010年04月11日 | 親の介護録
母の介護用ベッドを回収してもらうと部屋が広くなった

台所にあった古く薄汚れたテーブルをきれいに拭いて
押し入れの隅にあったテーブルカバーをかけ
母のベッドのあった窓辺に置き
茶器や菓子、新聞、筆記具を並べた

母がいる頃、
カーテンは閉めっぱなしで
ベッドサイドに腰かけて食事をする以外は寝ている生活だった
テレビの音と両親の笑い声があり
二人でいれば互いにそれが良かったようです

気がつくと
父はカーテンを開け、このテーブルの椅子に座り、庭を眺めている

庭は母が亡くなる少し前に業者に掃除してもらった
長く手入れしてないのでうっそうとしていたのが
小屋と松の木1本とタヌキの置物だけになった

「そこの石の土をはらってくれないか 苔が生えているはずや」
と言われ払うと
緑の鮮やかなみずみずしい苔が生き生きと現れた

家から小花がいっぱい咲いているプランターを持ってきて
窓から見える位置に置いた

葬儀に出席できなくて

2010年04月08日 | 親の介護録
通夜の日、父はひとりで母と一緒に過ごしたベッドで寝た

葬儀のために6:00頃部屋を覗くと
「心臓が痛い」と言う。
昨日の夕飯から食べていないが朝も食べられないと言う

「夜、苦しくなって呼んだが誰も来てくれなかった」と言い
枕元のノートに
心臓発作と乱れた字が書いてあった
「朝、俺が死んでいたら分かるように書いたんや」と言う
自分も死んでしまうと思ったようだ

医者に連絡して薬を届けてもらうことにし、
「葬儀の出席はやめようか」と聞くと
「うん」と言う

手を握って
「後を追ったらあかんよ」と言い肩を抱いて寝かせた
昨日は寝られなかったらしく昼頃までうとうとしていた

なんとか昼食は食べられるようになった

葬儀が終わって、弟がお骨や遺影を持ち帰ってくると
「もう、いないんやな」と又泣きそう

母が亡くなりました

2010年04月08日 | 親の介護録
4/5
6:00 何も食べないし、痛がっていると電話があり、実家へ
6:20 背中の痛みが強いらしく、痛み止めのロキソニンを飲ませた。息遣いが荒いので看護師に訪問を依頼した
8:30 看護師が来て医者に連絡 
  体温 34.4度
  脈  55
  血圧  85/35
  動脈血酸素飽和度(SpO2)95
  呼吸数 36回 呼吸荒い
  呼名反応あり ほとんど話さず
  鼻出血あり
  下腹部痛 持続痛ではない
  排尿なし

昼過ぎに往診に行くから水分補給をして待ってくださいと言われた

11:30頃までに水分補給として経腸栄養剤 ラコールを100ccほど飲み眠ったので、父の昼食を買いに行った
11:45頃「トイレに行きたいと言っている」と携帯電話がかかったので
「私が帰るまで待たせて」と言い急いで帰った
寝室に入るなり父が茫然として
「もう、死んどる」と言った
「えっ」と母を見ると全く動かない
「母さん」と抱きかかえても反応がない
トイレが待てなくてベッド横のポータブルトイレですると言うので父がその用意をしていて振り返ったら死んでいたという
起き上がろうとして その瞬間に心臓発作が起きたようだ。

医者や看護師に連絡しても、すぐに来れないと言う

もしかしたら、気がつくかもと、もう一度、大きな声で母を呼んだ
体中の力が抜けていて、小さな体がずっしりと重く感じた
やっぱり、死んでしまったのだと大きな声で泣いてしまった

後ろから父の嗚咽が聞こえる。「しっかりしなきゃ」と思った

父を慰めるつもりで振り返って父を抱きしめたが、
そのまま一緒に泣いてしまった

家族に連絡しなきゃと電話やメールをしたが涙は止まらなかった

14:00頃、医者に死亡確認をしてもらいますます慌ただしくなり、泣いている暇はなかった

温かかった体がだんだん冷たくなっても実感はわかなかった
父は隣のベッドから横たわったまま母を見つめては涙が止まらないようだ  

食べられなくなったら

2010年04月04日 | 親の介護録
金曜日は異常がなかった
土曜日、ディサービスに行って
日曜日は実家の弟夫婦が看てくれている。

今朝、弟から電話で食欲がないことを聞き
まだ、先のことだからと話し合っていなかった
「食べられなくなった時」のことを相談しに行った

口から食べられなくなった場合、
点滴等の直接体に栄養を入れる方法と
食べられるだけで自然に看取る方法がある。

後者にしようと決めた

血液の癌の末期や心不全を繰り返しているので回復は難しく
食べられなくなったからといって強制的に水分や栄養を入れても
かえって本人の苦しい時を長引かせることになると思う

緩和治療は十分にやってもらい
食べられるときに食べたいものを食べさせてやりたい

最後は自宅で、できるだけ楽に亡くならせてやりたい

在宅医療をしてくれている先生にその旨を伝えようと思う

父も真剣な顔で「それが良い」と何度も言った

昼過ぎ、やはり調子が悪いと電話が入ったんで
再度、実家へ行った

元気がない。

明日、看護師さんが来る日なので
今の状態を伝えて先生に連絡してもらおうと思う

一週間の献立

2010年04月01日 | 親の介護録
母の柔らか献立に迷うから週決めのメニューを作った
短い時間でできて、好き嫌いの多い母も食べてくれそうなものを選んだ

月曜日
野菜スープ(ベーコン・じゃが芋・人参・ブロッコリー・玉ねぎ・かぼちゃ)
温やっこ(豆腐・鰹節・しらす干し)
だし巻き卵 大根おろし付き(卵・大根)

火曜日
焼き魚 大根おろし付き(魚・大根)
田楽(豆腐・里芋)
温野菜のサラダ(トマト・ブロッコリー)
茶碗蒸し(市販の茶碗蒸し)

水曜日
ゆで豚(豚肉・レタス・トマト・ブロッコリー)
煮物(かぼちゃ)
ホウレン草の卵とじ
大根おろし(大根・しらす干し)

木曜日
麺類(ニシンそば又は味噌煮込みうどん又はラーメン)
人参の入り豆腐(豆腐・鳥ミンチ・人参・生姜・青ネギ)
温泉卵(市販の温泉卵)

金曜日
煮魚(魚)
煮物(じゃが芋・人参・玉ねぎ・鶏肉)
フとわかめの酢味噌和え(フ・わかめ・卵・魚フレーク)
お浸し(ホウレンソウ・ごま)

在宅医療

2010年03月26日 | 親の介護録
毎週、火曜日と金曜日に医者と看護師さんが自宅まで来てくれます
母でお願いしたのですが父も診てもらえるので安心です
今日は、母が背中が痛いということで鎮痛剤を届けてもらいました

実家に通うために軽自動車を買いました

食事風景

2010年03月24日 | 親の介護録
薬のおかげか、蕁麻疹は赤みが薄くなって良くなったようだが
背中は依然痛いようだ。

多発性骨髄腫は、骨の破壊が特徴で背部痛や腰痛が生じると聞いている。
鎮痛剤の処方が必要な時期を医者と相談したい


今日は大変良いウンチをした。
退院後初めて便意を言い、太くて立派なウンチをした。
「良かったね」と言ったら
トイレから大きな声を出し「良かったよ~」と父に話しかけている

蕁麻疹や、排便のこともあり、昼食をノートに記録しておくことにした
しかし、
「おいしい!」と言ってよく食べる。

最後まで自宅で看取ると決めたが
口から食事ができなくなった場合、どんな選択をするか悩んでいるのに
私や父より良く食べる。

連れて帰ってきて良かった

写真は食事風景です
私は両親の顔が見える位置に小さな花瓶置きの台にお盆を乗せて食べているが
その横には父の尿瓶が置いてあり少し匂う。
慣れてくれば気にならない!… か?

ベッドの上の洗髪

2010年03月23日 | 親の介護録
午後から訪問看護師が来て
母をベッドに寝かせたままシャンプーしてくれた。
その後、全身の清拭をしている時
蕁麻疹のような発疹があり、
いつからと聞かれたが
気がつかなかったので分からない

しばらくして
在宅医療の先生が往診に来てくれたので
そのことを言うと
「すぐ、薬を飲んだ方がいいでしょう。薬を出します。配達しましょうか?」
と聞かれ
「えっ! いいんですか。お願いします」


1時間ほどすると、薬局の女性が薬を持ってきてくれた。
「すごい!こんなことまでしてくれるんだ。助かるな~」

排便

2010年03月22日 | 親の介護録
便秘気味の母は入院中から下剤を飲んでいました。

退院してからも引き続き下剤を飲んでいたのですが、
下痢になってしまい医者に相談して止めることにしました。
それから
2日ほど便が出ていません。

今日、排尿のためにトイレに連れて行った時に
洗浄便座のお湯で肛門を刺激してみました。

使い捨てのゴム手袋をして
肛門を軽くマッサージすると出ました。

「うんち出てよかったね」と言うと
「子供にこんなことまでさせて」と言うので
「私も赤ちゃんの時、世話してもらったやろ。お返しや」と言うと

「赤ちゃんの時、世話したよ」と うわ言のように何度もつぶやいた。
私に話しているというより自分を納得させているように思えた


介護は思っていたより大変だけど
毎日少しづつやり方が分かり余裕が出てきた…かナ

また、トイレで起き上がれなくなって

2010年03月20日 | 親の介護録
土曜日はディサービスに頼んであるが今日は空きがないということで介護に行った

帰る前の4時ごろ
母にトイレに行かないか聞いたが行かないと言う
3時ごろに連れて行ったから
4:45のヘルパーさんが来るまでは大丈夫かなと思い帰った

ヘルパーさんが来た時には
トイレでしゃがみこんでいたようだ

ベッドのロックは自分では外せないはずなのに
父がやっているようだ

前回、父に
「あぶないから手伝わないで。
誰もいない時は仕方ないからおむつの中で漏らしてもいいから」
と言っておいたが、父も忘れてしまうのか

誰もいない時間をもっと減らすには私が滞在時間を増やすよりないなと思う
10:00から16:00のつもりしてたが
9:30から16:30までいようかと思う。ちょっときついけど

ディサービスを依頼

2010年03月19日 | 親の介護録
(20日に投稿)

父はディサービスを嫌がって利用してくれない

「私も毎日ここへ来るのは体がえらいし、
ディサービスじゃないと、お母さん、お風呂に入れないからひとりでも頼むよ」
と言うと
「じゃ、一緒に行くわ」と言ってくれたので申し込んだ

土曜日にディサービスに行ってくれれば
日曜日は弟が看てくれるので
連続して休めれば、旅行にでも行きたいと思っている