こんにちは、ブレインヨガ銀座スタジオです。
今日も暑いですね~。
今日は、心の変化をお伝え致します。
私事ですが、先週身内の法事があり、何やら感慨深い心情があります。
生前には思わなかったことがいろいろと出てきました。
死者と対話しているのにいつの間にか自己と対話していました。
今まで思い出さないようにしていた自分がいて、きちんと向き合おうとしていませんでした。
今回の東日本大震災でたくさんの大切な人の命が奪われ、放射能の人体への影響を心配したり、これからのエネルギーについて議論が盛んに行われています。
そのような大変な現状と重なり、モヤモヤする気持ちを整理しているところです。
いつもどんな時もポジティブに進んできましたが、今回は少し違いました。
「大切な人の死は、喪失と同時に新たな出会いである」という記事に出会い、生きていることに感謝し、生きていくことを大切にして頂きたいと強く思い、この記事をご紹介致します。
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大切な人を亡くすこと
死者と生き 自己と対峙
喪失であり新たな出会い
1995年1月17日、当時20歳になろうとしていた私は、阪神大震災で被災した。
大阪の自宅の中はむちゃくちゃになり、靴をはかなければ歩けなかった。マンションの給水タンクは破裂し、屋上から水が滝のように流れていた。友人は2階から転落し大怪我を負った。自己の生が死と隣り合わせにあることをはじめて実感した。
震災から数日後、テレビに一人のおばあさんが映し出された。彼女の家は倒壊してしまったらしく、がれきの中から無心で何かを探している様子だった。アナウンサーが彼女に尋ねた。『何かお探しのものがあるのですか?』するとおばあさんは、何を当たり前のことを聞くのかといった表情を浮かべながら、こう言った。『位牌です』
今回の東日本大震災でも、位牌をリュックに入れて歩く被災者の姿をテレビで見た。死者が正者を支えている。生きることを後押ししている。死者の力とは何なのか。
阪神大震災から約1ヶ月後、神戸の街に行ってみた。見慣れした風景が消滅し、あちこちに空き地ができていた。目を疑うような風景だった。
ぼうぜんとなって空き地の隅に座っていると、少し離れたところでたこあげをしているおじさんが目に入った。彼はただ空を見上げながら、無心でたこをあげている。
1時間ほどたっただろうか。おじさんはまだたこをあげていた。さすがに気になって、尋ねた。『いつもここでたこをあげているんですか?』
彼は清らかな表情で答えた。『ちょっと前からやな』けげんな顔をする私に、彼は続けて言った。『地震でな、家内をなくしてな。なんかこうやってたこをあげていると、手を握っている感じがするねん』
救いとは何か-。
今回の震災では、目の前で自分の家族が津波に流された人がいるという。自分が命を救えなかったという自責の念と無力感で、うちひしがれている人が多くいるという。
過酷すぎる。かける言葉も見つからない。
まだ、非幸の多くの人は絶望の中にいるはずだ。生きることに前向きになりながらも、ふとした瞬間、途方もない虚無に襲われるだろう。生きていて意味があるのだろうか。そんなことを想起するかもしれない。
確かに、亡くなった大切な人は、ここにいない。姿かたちは存在しない。しかし、その人は、正者から死者となって存在している。だから、自己の心の中を直視してくる。見通してくる。生きている時は不可能だった透明な関係が、死者との間に突如生み出される。わだかまりなんて存在しない。2人の間の障壁は崩れ、心と心でつながることができる。これまでなかなか言えなかったことも言える。『ごめんね』も『ありがとう』も。
ここに大切な人との新しい関係が生まれる。生きている人間同士では不可能な関係が、正者と死者のあいだで結ばれる。これは新しい出会いだ。
透明な死者の存在は、生者に対して自己との対峙することを要求する。自分の心の中を、死者のまなざしを通じて直視することを余儀なくされる。死者との出会いは、自己との出会いにつながる。
他者に言えないこと、自分の心の中にそっとしまっていること。無意識の思い。
死者とのコミュニケーションは、そんな自己を掘り起こし、自己を凝視させる。
この行為は、苦しい。自分の負の側面が、死者のまなざしを通じて自己に突き刺さってくるからだ。自己の醜さに直面しなければならない。心が痛い。見たくないものものまで、みなければならなくなる。できれば、そっと胸の奥にしまっておきたかったのに。
しかし、その出会いは、きっと人生を豊かなものに変革してくれるはずだ。自己と向き合わず、ごまかして生きるより、死者によって自己と対峙しながら生きる方が善き人生になるはずである。
大切な人の死は、喪失であると同時に、新たな出会いでもある。死は決して絶望だけでない。死者とのコミュニケーションを通じて、人間は新しい人生を生きることができる。そんな姿を、死者は暖かく見つめてくれるはずだ。
死者と一緒に、僕たちは生きているのだ。
記事引用:北海道大学准教授 中島岳志氏 『論考 2011』
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読んで下さってありがとうございます。
現状から目をそらさずに向き合っていける勇気を持ち続け、必ず元気に明日へ繋げます
ILCHI Brain Yoga(イルチブレインヨガ)・ブレインダンヨガは、脳科学とヨガを融合させた体と心と脳のヨガ、ホリスティック・エクササイズです。体のトレーニングを通して脳を活性化し、心身の健康、幸せを実現します。脳教育BEST5にもとづくILCHIチョンファ心性(真我発見)プログラムなどの特別トレーニングを、人生の充実を希望する方たちに提供しています。
今日も暑いですね~。
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生前には思わなかったことがいろいろと出てきました。
死者と対話しているのにいつの間にか自己と対話していました。
今まで思い出さないようにしていた自分がいて、きちんと向き合おうとしていませんでした。
今回の東日本大震災でたくさんの大切な人の命が奪われ、放射能の人体への影響を心配したり、これからのエネルギーについて議論が盛んに行われています。
そのような大変な現状と重なり、モヤモヤする気持ちを整理しているところです。
いつもどんな時もポジティブに進んできましたが、今回は少し違いました。
「大切な人の死は、喪失と同時に新たな出会いである」という記事に出会い、生きていることに感謝し、生きていくことを大切にして頂きたいと強く思い、この記事をご紹介致します。
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大切な人を亡くすこと
死者と生き 自己と対峙
喪失であり新たな出会い
1995年1月17日、当時20歳になろうとしていた私は、阪神大震災で被災した。
大阪の自宅の中はむちゃくちゃになり、靴をはかなければ歩けなかった。マンションの給水タンクは破裂し、屋上から水が滝のように流れていた。友人は2階から転落し大怪我を負った。自己の生が死と隣り合わせにあることをはじめて実感した。
震災から数日後、テレビに一人のおばあさんが映し出された。彼女の家は倒壊してしまったらしく、がれきの中から無心で何かを探している様子だった。アナウンサーが彼女に尋ねた。『何かお探しのものがあるのですか?』するとおばあさんは、何を当たり前のことを聞くのかといった表情を浮かべながら、こう言った。『位牌です』
今回の東日本大震災でも、位牌をリュックに入れて歩く被災者の姿をテレビで見た。死者が正者を支えている。生きることを後押ししている。死者の力とは何なのか。
阪神大震災から約1ヶ月後、神戸の街に行ってみた。見慣れした風景が消滅し、あちこちに空き地ができていた。目を疑うような風景だった。
ぼうぜんとなって空き地の隅に座っていると、少し離れたところでたこあげをしているおじさんが目に入った。彼はただ空を見上げながら、無心でたこをあげている。
1時間ほどたっただろうか。おじさんはまだたこをあげていた。さすがに気になって、尋ねた。『いつもここでたこをあげているんですか?』
彼は清らかな表情で答えた。『ちょっと前からやな』けげんな顔をする私に、彼は続けて言った。『地震でな、家内をなくしてな。なんかこうやってたこをあげていると、手を握っている感じがするねん』
救いとは何か-。
今回の震災では、目の前で自分の家族が津波に流された人がいるという。自分が命を救えなかったという自責の念と無力感で、うちひしがれている人が多くいるという。
過酷すぎる。かける言葉も見つからない。
まだ、非幸の多くの人は絶望の中にいるはずだ。生きることに前向きになりながらも、ふとした瞬間、途方もない虚無に襲われるだろう。生きていて意味があるのだろうか。そんなことを想起するかもしれない。
確かに、亡くなった大切な人は、ここにいない。姿かたちは存在しない。しかし、その人は、正者から死者となって存在している。だから、自己の心の中を直視してくる。見通してくる。生きている時は不可能だった透明な関係が、死者との間に突如生み出される。わだかまりなんて存在しない。2人の間の障壁は崩れ、心と心でつながることができる。これまでなかなか言えなかったことも言える。『ごめんね』も『ありがとう』も。
ここに大切な人との新しい関係が生まれる。生きている人間同士では不可能な関係が、正者と死者のあいだで結ばれる。これは新しい出会いだ。
透明な死者の存在は、生者に対して自己との対峙することを要求する。自分の心の中を、死者のまなざしを通じて直視することを余儀なくされる。死者との出会いは、自己との出会いにつながる。
他者に言えないこと、自分の心の中にそっとしまっていること。無意識の思い。
死者とのコミュニケーションは、そんな自己を掘り起こし、自己を凝視させる。
この行為は、苦しい。自分の負の側面が、死者のまなざしを通じて自己に突き刺さってくるからだ。自己の醜さに直面しなければならない。心が痛い。見たくないものものまで、みなければならなくなる。できれば、そっと胸の奥にしまっておきたかったのに。
しかし、その出会いは、きっと人生を豊かなものに変革してくれるはずだ。自己と向き合わず、ごまかして生きるより、死者によって自己と対峙しながら生きる方が善き人生になるはずである。
大切な人の死は、喪失であると同時に、新たな出会いでもある。死は決して絶望だけでない。死者とのコミュニケーションを通じて、人間は新しい人生を生きることができる。そんな姿を、死者は暖かく見つめてくれるはずだ。
死者と一緒に、僕たちは生きているのだ。
記事引用:北海道大学准教授 中島岳志氏 『論考 2011』
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読んで下さってありがとうございます。
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HEAL THE EARTH
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ILCHI Brain Yoga(イルチブレインヨガ)銀座スタジオ
〒104-0061 東京都中央区銀座 2-7-10 銀座ワカホ第2ビル 4F
http://ilchibrainyoga-ginza.com/
03-6228-6835
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