100年後の君へ

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杉田善昭刀匠の想い出5

2013年09月13日 | 杉田善昭刀匠の想い出

 氏の打ち盛りは90年代中頃だったと言えよう。この頃の氏の作品には、単なる古刀の写しではない氏独自の個性があり、凡百の現代刀とは一線を画した魅力があった。
 一般的な備前伝ではなく、大房丁子に逆丁子、蛙子丁子を交えたダイナミックな作風で、その刃紋は躍動する龍の背ビレを想わせるものであった。そこに他の何人にも真似できないオーロラのような映りが鮮明に輝く。一文字には似ていないが古今のどの刀とも異なる氏独自の個性があった。手にすると真夏でも背筋がゾクゾク寒くなり、刀というより異界の生命体に接する感があった。古人が龍のイメージで表象した自然界の霊的エネルギーが乗り移ったかのような作風であった。 
 伝え聞く所によれば、当時、日本美術刀剣保存協会理事・鈴木嘉定、研ぎの人間国宝・藤代松雄、刀剣商・銀座長州屋、とある名刀収集家、等が氏の作品を購入している。私も太刀を二振り手に入れた。
 しかし結婚を境に氏の作品は質が落ち始め、以後長い低迷が続いた。還暦を過ぎた頃には作風も落ち着いて来たが、いよいよこれから、という時に氏は他界してしまった。

 結婚による心理的ストレスはあっただろう。しかし良い作品ができなくなったのは他にも要因があったと考えられる。

 先ず90年代当時、氏自身が今後の作品の方向性に関してブレていた。
 当時氏は、自らの作品の個性は誰にも真似できない波紋の躍動感にあると自覚していた。私や具眼の愛刀家達も氏の作品の魅力は正にそこにあると思っていたので、氏に対し、今後も固定観念に捉われない躍動感ある波紋の美を追求して行け、と勧めていた。ところが氏は半端な刀剣趣味者の言葉に惑わされ、一文字写しにも色気を見せていたのである。

 半端な刀剣趣味者とは、刀を買うお金はないが暇だけは持て余している世間一般の年寄り達だ。こういう連中は買いもしない刀の展示会に足繁く通い、下らないお喋りで暇な時間を潰す。そこに現代刀の作者がいようものなら格好のカモだ。書籍で齧った一知半解の知識を何十倍にも膨らませて駄法螺を吹きまくる。
 そんな駄法螺を真に受ける方も受ける方だが、根が真面目な氏は言われるがままに洗脳されてしまったようだ。一文字について誤った認識を植え付けられ、その誤った認識に基づく一文字写しを志向し始めた。  

 一文字が裸焼きだったとしても、裸焼きの性格上、完全な写しを作るのは不可能である。そもそも写しの前提となる一文字への理解が、氏においては間違っていた。

 私は「そんなもの一文字の贋作にしかなりませんよ」と言ったものである。
 案の定、以後の氏の作品からは若々しい躍動美が消え失せ、盛りを過ぎたホステスのような派手で下品な作風になってしまった。

 結婚による生活環境の変化も大きい。
 環境的に刀作りに専念できなくなったと考えられる。

 理論的な説明は後日に回すが、裸焼きは極めてデリケートな焼き入れ方法であり、気温や湿度といったほんのちょっとした環境要因が成功と失敗を左右する。
 だから作者は火加減や水加減といった通常の職人としての腕だけでなく、気温や湿度の変化をも常に身体で感じていなければならないのである。
 そして「今だ!」と感じた瞬間に焼入れを決行するのである。
 その瞬間は深夜に訪れるかもしれない。
 その場合は身体が即座に反応して目が覚める。

 そんなバカな、と思う向きもあるかもしれないが事実である。

 清麿の兄で幕末の名工・山浦真雄は自著『老いの寝覚め』で、昼間は鉄が中々沸かないのに深夜だと面白いように沸くという現象を目の当たりにし、「夜半は極陰、明け方は純陽であるからだ」と、弟清麿と一緒に研究したと言っている。
 刀鍛冶も含めて日本刀研究者は真雄と清麿の言説を迷信の類で片付けてしまうのであるが、鉄が沸くというのは熱力学的には相転移のことであり、相転移には気温や湿度はおろか重力や磁場までが決定的な影響を及ぼすのである(イリヤ・プリゴジン『混沌からの秩序』みすず書房 P.50)。重力は月の位置で変化するし、磁場は太陽フレアの活動で変化する。山浦兄弟の研究は現代科学の最先端から見ると極めて理に適ったものであったと言えるのである。

 真雄と清麿は地鉄作りに自然を利用したが、焼き入れも鉄の相転移である以上、自然の影響を強く受ける。
 裸焼きは特にそれが顕著だ。

 独身時代なら自然そのものの山奥の仕事場で寝起きし、深夜であろうが早朝であろうが「ここぞ!」と感じた瞬間に焼入れを行えたが、結婚したらそうはいかない。

 そんな生活環境の変化が、氏が伸び悩んだ一因であるように思えてならない。









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