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「平成二十八年新名刀展の概要」を読んで3 杉田善昭刀匠に捧ぐ

2016年07月22日 | 杉田善昭刀匠の想い出

 先ず銘記すべきは焼入れ方法で名刀ができる訳ではないという事である。土を使うと名刀ができないという事はないし、裸焼きをすれば名刀になるという事もない。全ては作者の腕次第だ。
 ただ技術的に裸焼きは非常に難しいとは言える。下手な鍛冶が裸焼きをすれば日本刀の品格からは程遠い下品な刀になってしまう。古刀期でも実用本位の数打ち物には下品な裸焼きが多い。
 同じ事は材料にも言える。いくら良い鋼を用いても腕が悪ければ鈍刀にしかならない。
 材料や焼入れ方法はあくまでも日本刀の周辺要素でしかないのだ。切れ味や美術性も然り。しかしそれらの周辺要素が合わさって高度に融合した時、名刀が現象するのである。
 だから作者も鑑賞者もあらゆる周辺要素に心を開き、偏りなく刀を見なければならない。
 間違っても「これが日本刀の本質」と思いなして刀に接してはいけない。そう思った時点で人間の脳は新たな情報を受け付けなくなるからだ。
 脳が新たな情報を受け付けなくなると、当ブログ記事を「薬物中毒」とか「おバカさん」としか情報化できなかった軍装マニア氏や渓流詩人氏のように、自分視点でしか物事を判断できなくなる。これこそが、彼らが物事の本質を見る事ができない最大の原因である。刀を見る目も必然的に偏向したものになるだろう。偏向した刀剣観の者に日本刀を語る資格はないのだ。

 平成二十八年新作刀コンクール審査員講評で宮入法廣氏は「古い刀を精査すると備前伝だけでなく相州伝・山城伝など広範に裸焼きの特性を利用していることがわかります」と述べている。これこそ30年近くもの間、杉田善昭刀匠の裸焼きが否定され続けた理由であった。裸焼きは新作刀コンクールだけの問題ではなく、日本刀全体の在り方、日本刀の歴史に関わる問題だからである。
 日刀保で裸焼きが問題視されていた頃、私が日刀保中枢の関係者複数から直接聞いた話では「裸焼きを認めると日本刀の解説書は全て書き換えねばならなくなる」「日刀保の鑑定書が間違っている事が明らかになる」「無銘の古刀の極めは殆ど信用できなくなる」だから裸焼きを認める事はできないとの事だった。
 「裸焼きを認める事はできない」と言うのは単に新作刀コンクールで杉田刀匠の技術を認めるか否かではなく、日本刀における裸焼きという技法そのものの存在を認める事ができないという意味だった。裸焼きの存在が周知されると従来の鑑定方法、鑑定基準が根底から覆され、日刀保の鑑定書を根拠に商売している刀屋は大混乱になる。鑑定書はただの紙切れになってしまう。刀剣業者には本物のヤクザが多いので、そうなったら何をされるか判らない。それゆえ日刀保は裸焼きをうやむやにしたのである。
 一人裸焼きをやっている杉田刀匠は我流刀鍛冶という事で放置しておけば全て丸く収まる。
 そのせいで杉田刀匠は自殺に追い込まれた。全ては日刀保と刀剣業者どもの保身のせいである。

 その日刀保新作刀コンクールの審査員講評で裸焼きが公然と議論される時代が来るとは・・・。

 先生。先生が自殺したのは2012年。あと4年我慢すれば生ける伝説になれました。注文が殺到したでしょう。しかし精神的に限界だったのでしょう。少なくとも私は先生の死に敬意を表します。

 その杉田善昭刀匠は本年度新作刀コンクール審査員講評における宮入法廣氏より更に突っ込んだ発言をしていた。曰く「正宗は裸焼きだった」と。(続く)
 

 


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