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「平成二十八年新名刀展の概要」を読んで1 刀剣学の時代は始まったが・・・

2016年07月20日 | 杉田善昭刀匠の想い出

 「平成二十八年新作名刀展の概要」(日本美術刀剣保存協会HP内PDF)を読んで。

 先ず主催者挨拶で「本展は刀剣類に関する伝統技術の保存とその向上を図り後世に伝承していくとともに文化財としての刀剣への関心を高めていくことを目的としております」と言われる。
 これまで日本刀と言えばあくまでも骨董品であり、一部の国指定品を除いて文化財という位置付けはされていなかった。新作刀に至っては刀剣扱いさえ、されなかった。
 武器でも骨董品でもなくあくまでも文化財。
 だからこそ日本刀は学問の対象たり得るのだ。
 その意味で主催者挨拶で「文化財としての刀剣」という言葉を使ったのは評価できる。

 そして審査員講評。
 宮入法廣氏が「平成二十八年新作名刀展の概要」で裸焼きについて次のように述べている。引用青字

 最初は私もこの「はだか焼き」による作品は、作家の美意識の外にあるとして否定的でした。しかし私自身この技法を取らなければならない必要性に迫られ「はだか焼き」の技法を探り続ける中で、条件の設定次第では焼刃をコントロールできることがわかり、 今は肯定的な立場を取っています。
 古い刀を精査すると備前伝だけでなく相州伝・山城伝など広範に「はだか焼き」の特性を利用していることがわかります。焼き刃土を置く従来の焼入れ法を以てすれば、自在に刃を焼くことはできますが、古刀のような趣きのある刀は絶対に表現できません。今までの土置きに頼る焼入れ法に限界を感じているのは私だけではないと思います。今の技術では今の刀しかできないのです。「刀作りはこうでなければいけない」ということから離れることによって、新しい展開が見えてくるのではないでしょうか。「はだか焼き」をコントロールできれば、自ずと評価は定まると思います。


 やっとこの時代が来たか――。
 それが「平成二十八年新作名刀展の概要」を読んだ感想である。
 故杉田善昭刀匠は製作と鑑賞が車輪の両輪となり、日本刀の研究が際限なく高まっていく事を願っていた。その氏が裸焼きを世に問うて以来、30年近くもの年月が流れてしまった。
 これまで日本刀と言えばあくまでも骨董品であり一部の国指定品を除いて文化財という位置付けはされていなかった。
 現代刀匠がいくら立派な作品を作っても、刀屋では現代刀というだけで二束三文。愛刀家は見向きもしなかった。現代刀は鑑賞の対象にもされていなかったのだ。 
 裸焼きは無視されるか、邪道な技術のように言われた。
 ネットにおいては悪質なプロパガンダが横行し(軍装マニア)、真実を語ると「おバカさん」(渓流詩人の言葉)と侮辱された。
 自殺者も出た(杉田善昭刀匠その人)。
 やっと文化財と呼ばれるようになった新作刀。やっと正しく評価されるようになった裸焼き。
 今ようやく日本刀を製作と鑑賞の両面から刀剣学として研究する時代が来たのだ。

 しかし、遅きに失したと言わざるを得ない。

 現代の日本の経済状況は30年前とは違う。現代刀匠が刀作りだけで生活できる時代ではない。
 材料についても30年前は古刀期とは比べ物にならない優秀な鋼がいくらでもあり、多面的な研究ができた。が、90年代の鉄鋼業界統廃合で多くの優秀な鋼材が廃版になった。
 否。現代刀匠を取り巻く環境は同じく経済的、物質的に恵まれなかった昭和二十年代、三十年代の刀鍛冶より不利である。昭和二十年代、三十年代は日本は貧しいながらも未来への希望を持っていた。しかし今の日本に明るい未来は見えない。没落の時代である。
 そんな時代に日本刀を作り続ける現代刀匠の苦労は大変なものだろう。
 実作者たる彼らにどんな励ましの言葉を掛けても軽いものにしかならない。
 ただ言えるのは、この時代に彼らが日本刀を作り続けているその事が、日本の精神を世界に示す事であり、日本の歴史そのものを未来に繋げているという事である。





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