2012年もいろいろありましたが、生きておりました。
4月20日、熊牧場で解散したのが5時間後の16時でした。 八幡平支部の会員は念のため逃走したヒグマがいないか、施設の周りの足跡を確認し、花輪支部・十和田支部の会員は帰路に着きました。
私は報道陣に捉まらないよう…様子を見ながら、一番最後に車へ向かいました。 報道陣が一人も居なかったので楽々、車のそばまでたどり着いた、とその時・・・
“ すいませ~ん! ” と叫びながら、よれよれ走りながら近づいて来る青年がおりました。 あまりに可哀そうな姿だったので、立ち止まって話を聞いてみたら… IBC岩手放送の記者でした。
“ 越境して来たんですね!” と私が言ったら、彼は“ ABS秋田放送じゃなくてすみません!取材をさせて下さい。” と素直に言われるので、好青年だなあ~と思い取材に応じました。
所属猟友会・名前・生年月日を聞くので、銃砲所持許可証と猟友会員手帳を見せ、出動経緯から現場到着時の状況、施設の略図を書き…自分の持ち場の位置、射殺されたヒグマの位置と携帯写真を見せながら…最後の一頭が射殺され、二人目の従業員が発見されるまでを説明し、帰ろうとしたら・・・
突然すぐ側に若い女性が立っていて、今度はスマホの写真を見せられ… “ ここの施設角の雪山はどうして出来たんでしょうか?” と聞いてきました。
私はすかさず…“ この雪山がヒグマの脱走場所です。 このスロープ状の雪山から推測して、除雪機でこの角に雪を飛ばしたためにできたと思いますが、今年は3月末まで湿った雪が大量に降り、風も強かったので自然に吹き溜まりができた可能性もあります。 おそらくは角の内側にも同じような雪山ができたために、ヒグマがそこを上って柵を越えたと思います。 私の持ち場の向かい側に、NHKのヘリコプターがホバリングして施設角を映してるので、ニュースで明らかになると思います。”
と、自分の携帯写真を見せながら応えたら、直ぐに名刺&メモ用紙を取出し、略図を書いて詳しく説明して欲しいと言われるので、また所持許可証と猟友会員手帳をポケットから取出して・・・
“ まだ64歳ですが5月23日に65歳になります。” と言いながら所持許可証を開いて手渡したところ、ジッと見つめていた彼女が… “私の誕生日は、21日です!” と言うのです。
私も、びっくり仰天 ・・・ “ じゃ~、21日は貴女の誕生日で、22日はスカイツリー開業日で、23日は私の誕生日だなんて…凄い奇跡ですね!” と、なんか突然嬉しくなり、急に親近感が湧いてきて、メモの略図について詳しく説明し、携帯の写メを送って上げたりと二人で盛り上がっていたら・・・
いつの間にか10人ぐらいの報道陣に行く手を阻まれ、5~6台のカメラ・マイクにぐるりと取り囲まれ、身動きがとれない袋のネズミ状態になっていました。
今日の日はヒグマに出動したら、こんなことになる運命に決まってたんだ・・・ と自分に言い聞かせ、腹を決めて取材に応じました。
Q:騒動を知ったのは? ・・・ A:10時50分、エリアメールで知りました。
Q:出動経緯は? ・・・ A:市の事務局へ連絡し、出動要請を受けました。
Q:射殺命令は出たか? ・・・ A:射殺しなさい!とは言われてないが、ライフル銃持参にて出動要請なので、射殺命令と同じです。
Q:射殺許可後の発砲か? ・・・ A:射殺許可は12時に出たと聞いている。10人駆けつけ時点で発砲指示があり、時間は不明です。
上記のような出動経緯から始まり、様々な質問に答えながら延々1時間半に及ぶ取材でした。
その間、私の携帯写真が欲しいとのことで、報道各社がたらい回しに携帯から写メを送り始め…午後5時ごろの送信にもかかわらず、朝日新聞社だけが、翌21日(土)の全国版に掲載していたのには、本当に驚きでした!
かくして、新聞の全国版に写メ・名前が載るのも、TVに放映されたのも人生初体験です。
22日(日)は、鹿角署の要請でヒグマの解体に出かけました。
6頭の解体を終えて11時半頃帰宅し、朝兼昼飯を食べようとしたら・・・突然、新潮社の記者が取材に訪れ、2時間の取材に応じました。
私は1発も撃ってないため、新潮社得意のドキュメント記事には登場余地がないので、主に誰が何をしたかとか重要人物の紹介・案内などをしました。
さらに、記者はライフル銃の知識が欲しいようなので・・・ライフル銃メーカー&性能・サイトの種類や、ライフル銃弾の種類・威力などを教示し、銃を取り巻く環境や、鳥獣被害防止特措法改正案の「被害対策実施隊」について記事を掲載して欲しい旨、要望しました。
その後も…私の携帯電話&メールには、昼夜問わず報道各社からの問い合わせが、5月下旬頃まで続きました。
そして熊牧場ではすっかり忘れていたことが・・・ あの奇跡の人の5月21日は、もっと凄い【金環日食】の日だったんですね!
2012年の6月以降は雨が少なくて、作物を育てるには水かけに稼働がかかりました。 オクラはいつもの半分ぐらいしか成長できず、きゅうりは異物・変形が多かったですね! トマトはとても甘くなり、皆さんに上げたら喜ばれました。 カボチャは水かけで救済し平年並みに収穫でき、ジャガイモも平年並みです。
7月からは・・・いよいよ農園造りに着手、開墾・伐採をしながら、カボチャ苗の試験植えと果樹や桜苗の仮植えをしましたが、あまりに雨が降らないため毎日水かけに通うことになり、暑くて大変な目にあいました。
7月29日(日)鹿角連合猟友会射撃大会は、筋肉疲労の割にはシングルトラップ満点をとり、ダブルトラップが不調でも、60個撃ち53点で総合優勝し、県大会出場権を得ました。
そして、運命の8月1日・・・午前は花輪の畑の水かけをして、午後は大館射撃場で練習、夕方から農園の草刈りをして、午後7時に作業を止め帰路についたところ・・・農園から国道103号に出てすぐ、十和田湖方向から猛スピードの車3台にあおられて、時速60kmまでスピードを上げて狭いS字カーブに入りました。
その瞬間、左後輪が突然、ガクガク 鳴り出したのです。追い越し禁止区間であり、対向車も来るので危険なため徐々にスピードを緩めるしか方法がなく、後続車をやり過ごすまで300mぐらい走ったところで、ガクン!とタイヤがホイール毎外れ、左に傾きハブが地面に着いて止まりました。
タイヤはタイヤハウスにはまって取れないし、スライドドアが開かなくてジャッキも取り出せない状態です。
しかたなく、運転席車内から逆さまに潜り込み、逆立ちしてジャッキを取出しました。 しかし、ジャッキポイントが低すぎてジャッキをセットできないのです。
もう背中も腰も固まり、疲れきった体が思うように動かないので、ところ構わずジャッキを床下に当ててみたら頑丈そうなポイントが見つかったのでジャッキアップ を試みました。
ジャッキアップしたら、タイヤはタイヤハウスから外れました。ついにやったと思ったのですが・・・ ジャッキアップが低すぎて、タイヤホイールの穴にボルトの高さが届きません! ボルトも1本折れています。
ジャッキがもう1個あれば、正規のジャッキポイントにかけてホイール穴の高さにボルトを合わせられるのですが、ジャッキは1個のみです。
従って、ジャッキをかけ直すためには今のハブの高さを維持しておかないと、ジャッキは取り外すことはできず、ハブの下に何か枕木でも挟む必要があります。
道路の法面に何かないか探したところ、運良く空気の入った大きなスペアタイヤが見つかり、最後の力を振り絞って道路上に持ち上げました。(火事場の馬鹿力?)
そのタイヤの太さが、ハブの下に丁度収まったので大至急、ジャッキを正規のジャッキポイントにかけ直してようやくボルトにホイールを装着することができました。
ナットは残り3本のタイヤから1個ずつ外し左後輪には3個のナットだけで締め付け、時速20kmで走り家に着いたのが夜中の11時過ぎでした。
次の日は起き上がることができず1日寝て、それから3週間も寝込むことになり、このまま体が動かなくなるのかなあ ・・・ と思ったことも人生初の出来事でした。
8月26日の鹿角市実猟銃射撃大会は3連覇がかかっていましたが…銃を構えると背骨が耐え切れず、クレーを追う体が流れて安定せず、不覚をとりました。
《平成22年》 《平成23年》
9月2日の県大会も体芯が崩れ、眩しくて7割しか当たらず全然ダメでした。
9月~10月は、すぐ疲れるけどリハビリを重ね・・・10月23日は新世紀でワルツを踊りました。 練習1回、リハーサル1回での挑戦です。
本番前日、背中と腰がやはりカチコチに固まってしまい最悪のコンディションでしたが・・・何度もコケながらも途中で止まらず、65歳老人のビデオを撮りました。
ついに、ダンスのエンディング記録をDVDに残すことが出来ました。
これで…2012年の人生初だらけは終わりです。 凄いことの連続でした
最近のか細い揺れは、収束の余震であってくれることを願うのですが・・・2013年~2015年には、また大きな地震(地殻変動?)が起きそうな予感がします。
貞観地震の時は、確か9年後に関東大地震が起きているので…関東~東海は2020年が危ないことになります!また、関東の地震は100年周期ですから、次は2023年に起きる可能性があります。
従って…関東の大地震は、2020年~2023年に発生する確率が高いです!
勿論、前後も要注意!です。 (あくまでも過去の実績に基ずく予測です。)
関東にお住まいの皆さんは参考にされ・・・準備を怠らないよう、お気を付けくださいね!