2015年初 《 ダンスの旅 》 は…1月25日(日)~28日(水)の四日間、JR乗り放題を利用しダンス三昧 を楽しみました。
本来なら一年で最も寒い大寒に入り、【雪と極寒】から家を守る 日々なのに…出歩くなどもっての他なのだが、日程の決め手は、25日(日)から列島に高気圧が居座ることと、猟期内に行われる2回目の『安全狩猟事故防止協議会』が29日(木)開催のためなのです。
上京した25日(日)は、昼過ぎ「上野」に着き、まずは足慣らしとして、鶯谷の「ダンスホール新世紀」へ向かいました。 5年ほど前に、新宿のステレオホール が廃業してからは、都内のサークルパーティー に参加したり、専ら「新世紀」で気兼ねなく自由に踊っていました。
今回の主な目的は、約5年ぶりに『東宝ダンスホール 』へ行ってみることです。 「東宝」では、平日の営業時間は午後4時からでしたが…月曜日は 《 ハッピーマンデー 》 なる午前10時~午後3時まで千円の格安営業を始めたので、一度体験してみることにしました。 この条件ですと、都内のサークルパーティー2時間千円よりも魅力があるし… 何しろ、銀座の「東宝」、格が違います。
しかも、インストラクター教授料が半額に、飲食物の持ち込みが自由なのですから、老いも若き?も「東宝」へなびくのは当然かと思います。
かくして26日(月)の午前11時、山手線有楽町の日比谷口に降り立ちました。 まずは昼の食料を買いに、高架下を通り銀座口へ行ってみると、昔の年代もの駅高架造りの面影はすっかり消え、ごちゃごちゃした裏通りの雰囲気は跡形もなく 改築・改装されていました。
“ うわぁ~昔の有楽町が消えてしまったあ! ” 来るのが 5年遅かったようだ。 「百果園」は残っていたのでバナナを買い、直ぐさま 「ビックカメラ」側の日比谷口へ戻り、この辺りの古い建物を手当たり次第、写真に遺しておきました。
「有楽稲荷」神社を通り過ぎて、日比谷公園への大通りに出ると、右手に目指す ツインタワービル が見えます。
7 階が『東宝ダンスホール』です。
フロントで、入場料千円を払いロッカールームへ進むと…S教師が丁重に挨拶してくれ、愛想の良い応対は以前と全く変わりありませんでした。
すると、荷物はサロンへ置いてくださいと言われるので、料金を尋ねると【無料】とのこと! これにはさすがに驚きました。 あのお堅い東宝さんが、ここまでダンス愛好者のことを大切に想い、真心の《おもてなし》を提供するようになったとは、正直 信じられません!
すでにダンス愛好者は70名ほど入場しており、12時過ぎまで次から次へと客が増え、ピーク時は100名ほどになりました。 それでも面白いことに、フロア半分サロン半分に別れているので、細長で幅の狭いダンススペースはそれほど窮屈に感じません!
皆さん男女とも年輩の方が多く、ダンス 兼 純喫茶 兼 ピクニック気分のように楽しんで居られ、30分踊り1時間のお喋りみたいな感じです。
すると…以前、一度踊っていただいた若手ラテンダンサーがフロアに見え、サロンへ休憩に戻る時、私に気が付き声をかけてくれ、運よく午後1時~2時が空いているとのことで、思いがけなく 楽しいラテンを踊ることが叶いました。
その後、3時までゆっくり休憩しようと思いサロンへ引き上げようとしたら、踊りを見ていた3人連れの女性客に話しかけられ、教えて欲しいと頼まれました。 褒めてもらい嬉しかったし、特に疲労感も無いし憧れの教師気分も味わえるので快く引き受け、その方から順番に踊ることにしました。
1人目の若い方は捕まって踊る初心者で、2人目の中年女性は典型的なサークルダンス(ボディが離れ、早く動く足型踊り)でした。 3人目のお婆さんは、ラテンが上手くて ビックリ 私のラテンを見ていて楽しいと言ってくれたのですが…音もタイミングも外れないし、ムーブメントもアライメントも正確でコネクションがとれるので、相当長いことレッスンした賜物と感じましたね! あまりに上手いので、連れの2人が唖然として見てたのが面白かったです。 あのお婆さんが、あんなに上手いとは? お二人さんが初めて見たとか言ってたけど…東宝で踊ると、上手になるんですよ!
なるほど…月曜日は「鶯谷」で、“ 閑古鳥が鳴く? ” の意味が、やっと分かりました。 ただし…欲を言えば、あの【スピーカー】をなんとかして欲しいですね! 東宝でのCD曲は初めて聞きましたが、リズム(パーカッション)音が飛んで来ないスピーカーです。 メロディーと歌は聞こえるけど、縦長フロア奥のステージからは、人間に吸収されるためか?リズム音が飛んで来ないので、ラテンはステージ近くへ移動して踊りました。
『ボーズ』のように、澄んだ音のまま「ダンサー席」までリズム音が飛ぶスピーカーが欲しいなぁ~と思いました。
東宝の帰りは…いつか記念に撮りたいと思っていたガード下の 《昭和30年代~40年代の映画ポスター》 を お店の店員さんに断わり、ついに写すことができました。
《 昭和のタイムトンネル… 》
戦後、復興後の約60年前の歓楽街?…私が小学生頃 “有楽町で逢いましょう ” と歌われた、古き良き昭和のモダンな繁華街だったのでしょう!
当時、この歓楽街をかっ歩した東京の人達や、東北から「出稼ぎ」に上京した農家さんや職人さん達は、どんなに心躍ったことか!その情景が見えてくるような懐かしいスポットですね。 美空ひばりの歌♪でも流れてくると、若かりし頃にタイムスリップし思わず涙ぐんでしまいそう …
私の晩年は…退職までの約7年間を、東京で過ごす人生の時間でした。 54歳の4月、ある日突然の辞令でした。
翌5月から、調布の研修所で IT関連の研修を受け、赴任の前日…6月30日の夕方、降り立ったところは「鶯谷」の南口でした。 何故?「鶯谷」なのか? それは、無知な私のために同僚が「上野」に一番近い、我が社の保養所を予約してくれたからでした。
鶯谷の南口前には「ダンスホール新世紀」がありましたが、場末のダンスホールの暗い雰囲気に馴染めず、2年間は新宿・歌舞伎町の『ステレオホール』に通いました。 ホールの照明・広さ・桜材の床・バンド・教師・客層のどれをとっても、今までで最高のダンスホールでした。 ところが、ある一人のエロ教師の蛮行で女性客や選手層が徐々に来なくなり、私も2年目には日比谷の『東宝』へ切り替えました。(フリー客に対し、ダンサーから声掛けやチョッカイを出すのは御法度なのですが…日本の常識を弁えぬ輩だったようです。)
東宝では…現役競技選手の先生が懇切丁寧にポイントをしっかり教えてくださり、お陰でめきめき上達し、踊りも競技選手のようなムーブメントに改造され、真に運命の出会い的な先生として、退職の平成20年までお世話になりました。 現在も、プロA級選手として活躍されておられるとのこと!嬉しく思います。
東京の7年間…何度も泣きました。 その度に、新世紀・ステレオ・東宝へ出掛け…諸先生達や、アルバイトの学生さん、友達に元気づけられて、幾多の苦難を乗り越え、故郷へ帰り今も趣味を楽しみながら余生を過ごすことができました。 これからの皮算用5000日も、皆さんに感謝しながら一日一日を大切に暮らしていく所存です。
今回の旅は久々の東宝ダンスホールを満喫し、念願の“昭和の有楽町”も SDカードに記録できたし… これで、いつ改築・改装されても、私の「思い出」は残ることになり、ブログにも 《自分史》としても遺せるし、旅の目的を果たせてまずはホッとしましたぁ。