「人間って、死ぬもんなんだよね……」

私が明日、死ぬとわかったら「自分にも相手にも優しくなる」
人間は、いつ死ぬかわからないんだ…みんなに優しくしよう。

ーーー『美は世界を救う』とロロ-メイが答えた…第八章、創造的精神… 06

2013-04-08 11:53:03 | 「美は世界を救うか」『美は世界を救う』
(…芸術の機能はまた、啓示(revelation) という言葉で述べることもできます。
芸術はたえず美を啓示することですが、それと同時にまた、科学に匹敵するような意味で、しかしまったく違った形式で真理をも啓示しているのです。)

芸術は 新しい知識、新しい形式を 生み出しますが、また多くの場合、人びとを 目覚めさせようとするあまり、破局的なものを生み出すこともあります。
芸術における啓示は、直接的な、ユニークな体験としてやって来ます。

絵を見ますと すぐにそれは、新しい宇宙、新しい形式の体験を啓示してきます。
そのことは、私たちが 何百回も見ている絵についても言えます。

私の家の居間には、スペインの画家ミロ (Joan Miro, 1893-1983 ) の石版画が掛けられていますが、それを見ると、ほとんど見るたびごとに 新しい体験をするのです。

世界というものは、私が思っていたものとは 違うものなのです。


こうした瞬間に やってくる ある優雅さというものが、そこにあるのです。
私たちの体験の新しい深さが、目覚めてくるのです。

よく人びとが、ある特定の音楽が 別世界に連れて行ってくれる、というようなことを 言いますが、それが こうした音楽のなかにある啓示を 証明しているものなのです。

ベートーベン自身も あるときこう言っております。
「だれでも 私の音楽を理解する人は、それによって この世の惨めさから 解放されるでしょう」と。

優雅さは、神の恩寵として やってくるのです。
それは、私たちが 求めて得られるものではありませんし、思いのままに 手に入れることのできるものでもありません。

たしかに私たちには、新しい啓示が 私たちの前に ひらけてくるまで、それがあることすら わからないのです。

私たちは だれでも、狭い世界に住んでいるのです。

芸術に伴っている優雅さが やってくると ともに、私たちは突然、そこにあることも知らなかった 新しい世界のなかに 入っていることに気づくのです。


今 思い出すのですが、ハンス-ホフマンの作品展を見て 帰るとき、ハレルヤ-コーラスのように、私は 次のような歌を 口ずさんでいたのです。

「人間が このような絵を描く勇気を もっているなら、人生は たしかに意味のあるものだ!」と。

それは、ドストエフスキーの『カラマゾーフ兄弟』のなかに出てくる「神が死ねば、すべてのことが 許される」という言葉の 正反対なのです。
こうした 美が存在し、私たちに 優雅さを 与えてくれるならば、人生は結局は いいものに違いないでしょう。

(つづく)


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