見知らぬあなたへ

妄想史観、路上観察学、民俗妄想学、囚われの俳句エトセトラ 要するに浅はかな好奇高齢者の迷言。

少しだけ明智光秀の話

2020-10-11 09:27:17 | 日記 里山散策 俳句 路上観察 散文


大河ドラマ明智光秀
私のあまり得意な分野ではありません が少しだけお話しします

光秀は、福井市近郊の
時宗称念寺というお寺さんの門前町で寺小屋を営んでいたらしいのですね
その称念寺の寺内から見た門前の町並みが下の画像です
   寺内から見た門前町

 この様な のどかで小さな集落で寺小屋など経営できたのだろうか? 
  と思いましたし    なぜ岐阜から 落ちのびた先がこの門前集落なのだろうか
 と 不思議
  にも思っていました


  繁る菩提樹

実は 
さほど光秀について
関心がなかったわたしが
 称念寺に足を向けたのは
 光秀への関心ではなく
 称念寺で菩提樹の花が
 咲き始めたとの
 情報が入り
 どうしても
菩提樹に会いたくて
 足を運んだのです

♫泉に沿いて茂る菩提樹
  慕い行きては〜♪
   
 懐かしい歌ですね

 6月半ばの頃です
御堂の傍の 
 菩提樹の花が  
いまが盛との情報が入った
のです

  菩提樹の花
 

 葉っぱの中程から
花が立つ不思議なカタチ  に驚嘆しました
 釈迦如来が愛した樹であることが薄ぼんやりと判るような気もしました
 近くには沙羅双樹(日本では白椿)の花も
  咲きますが 
   その節は蕾みでした

 御堂に居た住職さんに
 不躾とは思ったのですが
 なぜこの様な
 小さな集落に光秀は
 落ちのびたのてすか?
  と 
 直球疑問を投げかけ
        ました
 住職さん曰く
 門前近くには
   北国街道がのび
 近接しては
 日本海につながる
 船着場を備える
 交易の大きな町だったと
  (それは最近の発掘調
  査でも立証された)
 そして何よりも時宗僧は
  全国を行脚して廻り
 しかもしかも
 全国至るところに信徒を
 抱える白山信仰
  修験者との交流 
 も深かったと の給う
  
 この寺には全国津々浦々の 情報が絶えず集積されていたようですね

なるほど
  雌伏の地として  
   光秀が選ぶはず!
 
 この地にて朝倉家家臣団と交流を持った光秀は
 朝倉家城下に近接する
東大味というところに移り
 住み 後の細川ガラシア
   玉子が生まれました

 織田の侵攻の際は
 この地の安堵に尽力し
  住民から感謝されます

 住民は光秀の死後 
 小さな神社を建て
    光秀を祀ったのです

 逆賊として
  光秀が罵られる時代に
 祀り続ける事は
 大変な事だったと思います
 

   明智神社

 この、ささやかな神社の御神体 明智光秀公木像です
 限られた祭事にしか開示されません

  明智光秀坐像 案内ポスターより 

 地元では 親しみをこめて「あけっつあま」と呼ばれて敬われています
  あけっつあま〜〜

 私のつたない話は  
  
     おわりです



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