思い立って、というより
🌿クリンの広場さん🌿のブログに
背中を押され、蝉丸の墓にでかけました。
いままで何度も何度も近くを通り過ぎていたのです。
近くだからいつか行けるさといつも思っていました。
車で約30分ぐらいの所です。
なのにクリンの広場さんの「蝉丸記事」に出会わなかったら、きっと行かずに死んでたでしょう。
縁とは不思議な力をもってますね。
今朝、連れ添いに「蝉丸の墓に行こう!」と宣告しました。旦那の突然宣告には慣れっこの連れ添いは即座の用意。そのはやきこと。
冷たい紫蘇のジュースを携え~~
越前陶芸村のちかくです。
ひっそりと三基の石塔がありました。
蝉丸の墓と思える真中の墓石。
案内看板の上に地元の方の想いが~
地元の教育委員会の表示。
近くに辛夷の実紅く。
蝉丸の墓については、私の能書きよりも、地元の子供たちに向けた昔ばなしを地元自治体がつくっているので、そちらを引用致しますね⤵️⤵️
🌿蟬丸の墓 🌿
ある日の 夕ぐれ
一人の旅人が いっけんの家の 門口に立ちました。
そして せなかにおっていた びわをおろして かき鳴しました。
びわというのは むかしのギターです。
それは それは 美しい音色でした。
だれが聞いても うっとりするような 音色でした。
そのびわの音に合せて 歌を歌いました。
歌は 平家と 源氏の たたかいの 物語です。
よく見れば その人は目がふじゆうです。
「お名前は。」と 聞きますと 「蟬丸です。」と 答えました。
蟬丸は「どうぞ この村へ とめてください。」と たのみました。
「いいとも いいとも。」と 親切な 村人たちは とめることに しました。
「そして いつまでも いつまでも この村にいて 美しい びわの音を 楽しませてください。」と 言いました。
それから 蟬丸は この村に 住むことになりました。
春の のどかな かすみたつ日 またさくらの花の さく日 びわを 鳴らしました。
夏の 緑の木の葉が しげる 木の下で、また 夕すずみの時、星を ながめて 歌いました。
秋の もみじの 山々、また 美しい 月夜のばん、びわを 鳴らしました。
冬の しずかに 雪のふる日、銀世界をながめて 歌いました。
春 夏 秋 冬 いつもいつも 美しい びわの音が流れ 美しい 物語が 流れたのです。
そのため 村人たちは 楽しい毎日を おくり、美しい心に なっていきました。
やがて 蟬丸は としをとり 体もよわり 死ぬ日が近づいて いる事を 知りました。
その時 村の人たちの前で、「私が死んだら 私を七谷の真ん中に うめてください。」と たのみました。
それが 今のすえの谷の 真ん中の せみまるのはかの あるところです。
そして蟬丸の いた所を 蟬口というのだと 言われています。
ほんとうに 美しいお話しですね。
旧宮崎村教育委員会作成⇑
🙇おやすみなさいませ