alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

異なるものの見方で世界を見る

2011年10月09日 | 想いをカタチに

 最近はアイパッドのおかげかネガティブな言葉を
使わないことに決めてみたからか 蓮太郎との関係性も
今までで一番くらいに良くなって なんだかとっても
不思議なのだけど やっと運気が上がって来たような気がする。


 さて、そんな今までとは違ったものの見方を信じて
そうして色んなことを感じていくと アインシュタインが
時計の時間は絶対じゃないと言っていたらしいけど
私の今の感覚だと 何かが急に近く感じたり 何かが
とっても遠く感じたり なんだかとても変なのだけど
何かが「ぐわん」と来る感覚がある。
それは「揺らぎ」といってもいいし 「風が吹く」と
いえるのかもしれないけれど 意識の中かどこからへんで
なにかがぐわんと近くに感じてやってきたとき
それはもう遠くないような なんだか変な感じだなあ


 私はいつもとても不思議に思ってた。

 どうして世の中には「ヨーロッパ?死ぬまでにあと1回は
行ってみたいなあ」とめちゃくちゃ遠い目をして語る
30代のママもいれば、「私の使命は日本とフランスの架け橋」みたいに
しょっちゅう行ったり来たりしている人もいるのだろう と

 フランス?いつか住めたらいいよねえ と いうのが
たいていのフランスに憧れる人の発想だけど
そう 私が「カフェのつかい方」というキャトルセゾンの
コラムで書かせてもらったように たいていの人にとっては
「ふらんすに行きたしとおもへども ふらんすはあまりに遠し、、、」
なんだよね。


 私は先日驚いたのだけど フランスにはニキドサンファールという
変わった女性の芸術家がいて、彼女の作品はポンピドゥの近くとか
いろんなところにけっこうあって フランスでは身近な感じの芸術家。
そんな彼女の美術館が日本にもあったらしい。それでそこに
憧れていつか行きたい と ずっと思っていたという人が
「もう閉館しちゃったんですってね!いつか行きたいとずっと
思っていたのに、、、」と嘆いてた。それは那須にあったらしいのだけれど
そんな行きたかったなら日本なんだから行けばいいじゃん と
聞いてる私は思ってしまった。フランスに行ったらもっとあるのに
そんなに好きなら行けばいいのに と思ってしまったけれど
きっと那須でさえ遠い彼女にとってはフランスなんて
ものすごく遠い場所なのだろう。


 でもそれは 本当はただの意識の問題なのかもしれない
時間や距離の問題じゃなく 意識のレベルで近い、行ける!と
思った人は きっとさっと行くのだろう。私がフランス語を
教えていた人みたいに 思い立って仕事をやめて その半年後には
ビザをもって旅立っている。行きたい、行けるんじゃない?行っちゃえ!と
思った人は どんどん ばんばん旅立っている。もちろん
一人で身軽だからというのもあるだろうけど
でももしかして 私たちを縛っているのは 本当は
距離でも時間でも手持ちのお金の多さでもなく
意識なのかもしれないな(銀行残高の違いでいったら
行かないタイプの人のほうがよっぽどしっかり持っていると思う)


 無理だ と思うから 無理だけど 行けるかも?と
思った時から なにかがはじまる そんな気がする。
天才達は まず夢を見た 彼らは天才に憧れた。
そんなの無理だろうと 何度も思ったことだろう
でもあるとき天才たちと自分との共通点を発見したりして
「もしかして私もいけるかも?」と思ったりした
それは「もしかして?」程度なんだけど
私はこの感覚は「ぐわん」という感覚だと思う
それは今まで手に届かない 無理だと思っていたものが
急に身近になる感覚で 今の私にはまだわからないけど
「もしかして?」と思ったときから 何かが可能になる旅が
動きだすのかもしれない。


 私は今まで 相当な固定観念にしばられていた。
そういうものの見方で世界をみていた 
だから5次元ってのがあるんだよ と言われた時も
なんのことだかわからなかった 癌患者で何年も前に余命何ヶ月と
宣告された人たちが私の目の前で すごい笑顔で人生は楽しい!!と
言い切っているのをみたときは ただ彼女達の笑顔の質に圧倒されて
どういうことだかわからなかった。 彼女達は
病気をプレゼントだとすら言っていた
どうしてそんな風に言えるんだろう?
私にはさっぱりわかならなった でも今いろんなことが
わかりかけているような そんな気がする


 もし人生というものが 苦しんで生きるためでなくって
賞賛するためにあるのなら?私に偉大な価値観を教えてくれた
先生は自己組織化について自分で研究をしつくした果てに
「森で鳥が鳴いているのは世界をたたえるため」みたいな
ことを言っていた。 私にはさっぱりわからなかった
でも もしかして 世界は賞賛されるために存在していて
それを待っているだけだったなら?もっと世界は
美しいものでみちていて 素晴らしかったのかもしれない。


 それはものの見方が違っただけで
私たちが長年かけて教え込まれて来た固定観念が
もし実はあまり意味をなさないものだったなら
それにがんじがらめになって不安にあおられ必死の形相で
生きている そんな生き方が実は自分が信じていたほど
たいそうなものではなかったのなら?
これも革命みたいだなあ、、、



 わたしにはまだわからないけど 私は何かを学ぼうとしていて
もしここで何かが「そうだ!」とわかったのなら
きっとそれは私にとって大きな革命なのだろう。
世の中には 違う世界で生きている様な人もいる
私はそんな人たちがうらやましかった
どうして同じ人間なのに?20年間フランスで暮して
文筆業をしているというめちゃうらやましい日本人もいれば
そうでない大多数の人がいるのだろう 彼らも同じ人間なのに
一体何が違うのだろう 少なくとも第一に
何かを成した彼らはそんな生活に憧れた きっとそれを
夢見て現実に近づけようとしたのだろう それくらいは
確かだろうから やっぱり夢は 見ないよりは見てみたい し
叶う方法があるのなら それはやっぱり叶えたい。

フランスに行くなら

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