「なんだか変な感じだね。明日もまた会いそうな気がするのにね」
そう言いながらも今日がソフィーとの仕事の最後。
全てを終えて 地元の駅に帰ってみると変な感じ。
ついこの間までは 私は仕事のことばっかりを考えていた。
どうやったら効率を上げられるのか どうやったら
子供がいるなかでもなんとかまわしていけるのか。
そんな時があったかなあ と 思うくらいに
この10日間で私の人生が揺さぶられ 毎日私も
変わっていった。毎日沢山の話をきいて 毎日
心を揺さぶられたり 鳥肌がたったり 許せない と思ったり
目の前の人の話が本当に?信じられない そんなことって
ありうるの、、、??と思って絶句したり。
「私もそれなりに原発については勉強してなくもなかったし
新聞は毎日見ていたと思うんですけど、、、福島の
現状については何も知りませんでした。」とお世話になった
人に言ったら「たいていの人はそうだと思うよ」と返された。
福島の郡山市で中学生を疎開させようとして裁判を起こして負けたこと。
福島市で小中学生向けに3ヶ月「ガラスバッチ」という
外部被爆を計る小さな器械が配られて 毎日それを首からさげて登校してたこと
それをモルモットみたいと思った子供たちもいたということ
真夏には長袖長ズボンでマスクをつけて登校していたこと
それがあまりに堪え難くって「スカートがはきたい」と言って泣いた子もいること
4月には始業式も延期されずにいつも通りにはじまったこと
それに対して親たちは反対したけど学校は聞き入れなかったこと
中学や高校では今普通に外で部活動がされていること
妊婦さんたちに対して、放射能に関係する何の特別なアドバイスもされてないこと
市が子供たちの内部被爆を計りはじめるのに爆発から約1年がたっていること
福島の中でいろんな活動はあるけどそれはほどんとが民間で市は市民の不安を
解消してくれるような動きを12月頃まではとってくれなかったということ
福島の人たちが何度も霞ヶ関まで足をのばして政府に交渉をしてたということ
だけど政府も県も市も いつも「除染をすれば大丈夫」という態度を変えようとしないこと
え、そんなこと って 本当に起こりうるの?という話が
1日1回は話されていた。例えば山下なんとかという教授が
年間100ミリシーベルトまでは問題ありません!と言い張って
彼が今福島県の放射線関係を牛耳っていることも
その「安全宣言の」の元に指導をしているお医者さんも学校も
どんなにみんなに不安があっても「それはあなたの心が弱いから
心配しすぎるのが一番よくない」と言って話を受け付けてくれないこと
しかもその山下氏が地元に帰って「先生大変ですね、勇気がありますね」
と言われたときに「今世紀最大の研究ができる、、、」と言ったこと。
それに対して「人の命をなんだと思ってるんだ!!」と思っている人がいること。
そしてもう 福島では けっこう普通に異変が起きているということ。
「まさかそんなことないですよね?」と思いながら 私は
質問を重ねていった。「まさか症状なんてないですよね?」と思ってた。
ところが多くの人はこう言っていた。5月か6月くらいには
既に症状が出ていたと。一番多かったのは子供の鼻血で、
大量に鼻血がでていつまでも止まらない。それは突然やってくる。
それから下痢、皮膚の斑点、大人でも口内炎がはやってた時期があるらしい。
今はその頃にくらべると落ち着いたのかもしれないけれど
それでも「疲れやすくなった」「のどが痛い」「病気が治りにくくなったと思う」
というのは目の前にいる人たちから耳にした。
東京や神奈川ですら 同じよう症状の子供たちがすでにいるらしい。
「まさかそんなことないですよね?」と内心では思いながら
「県外からの野菜っていうのはどこで買っているんですか?
インターネットとかですか?」と尋ねてみると かなりの割合で
インターネットという答えが帰って来た(だいたいオイシックスという答え)
どうしてかというと例えどこかのスーパーなどでベクレル表示が
されたとしても、産地の偽装だってあるし ベクレルも偽装するだろう と
もう信頼そのものがないらしい。
「まさかそこまで?」と思っていたけど たいていの人は
料理にはミネラルウォーターを使うと言っていた。それにパスタを
ゆでる時までミネラルウォーターだという人もいた。
もし私 が 今の状況で彼女たちと同じことをやらなければならないとするのなら
私は耐えきれなくってきっと避難をするだろう。
「子供が帰って来たらすぐシャワーをさせて着替えさせています」
「靴もよく洗うしもう何足か捨てました」
「自分は最近はしないけど 子供にはマスクをするようにって言っています」
保育園や幼稚園では外遊びがほとんど禁止されている。
そんなこと は 私はあんまりおかまいなしで 息子と
毎日のようにピクニックをして 落ち葉でも芝生でも遊んでいたけど
それがどれほど危険なことだったのか 私にはよくわからない。
横浜や東京なんて たいていの場所は除染してない。
そこにシートをひいてその上でご飯を食べること
それがどれほどの意味をもっていたことなのか 私にはまだわからない。
「あまり気にしない人はサーフィンをしたりもしていました。
でももう症状がではじめている人もいます。」いろんな事を
知ってる人は はじめから予測していた人は それが何を意味してて
そのあとどんなことを引き起こすだろうかを知っていた。
私は彼らの話を聞けば聞く程 爆発の直後にフランス人たちが
冗談まじりに言っていた 放射能に汚染された国の怖さが
どうもかなり的を射ていた そんな気がしてしまう。
私はさっぱりわかってなかったし福島の人たち同様
チェルノブイリなんて知らなかった。「お前はチェルノブイリを
知らないのか!」と電話で言われても「知らないよ、、、」と叫びたかった
彼らはすでに知っていた。当時フランス政府がかなり嘘をついていたこと
そして何千キロも離れた彼らの土地まで汚染が広がり
病気になった人が続出したということ。どうしてフランスには
放射能関係のいろんな機関があるのかと不思議に思っていたけれど
それらはチェルノブイリの人たちでなく、チェルノブイリの事故によって
フランスで病気になった人たちを助けるためにできたらしい。
政府の嘘を知ってる彼らははじめから日本政府の言ってる事は
嘘だし、爆発が起きた時点で それがのちのちどうなるだろうか
想像というのができたらしい。おそらくそれがクリアにできた人ほど
ことの重大さを知っていて とっさに「逃げろ!」と言ったのだろう。
地震の直後に爆発の前に福島から避難した人と 原発のことなど
あまり気にせずとにかく水と食料を確保しようと思っていた人たちの
行動を大きくわけたのは その時点で頭の中にあるイメージと知識だったのだ。
国も 県も 福島市 も 人々がどんなに訴えても
「だから問題ありません。私たちは除染してます」の一点張りで、
自分から知ろうと動かない限り、福島にいてもたとえば
「放射能からはこうして身を守りましょう」的なポスターなんて
ないわけで、そこまで情報は入ってこない。
そして「がんばろう福島」と「収束宣言」の
名のもとに 沢山の命が置き去りにされていく。
除染がどれほど効果があるのか 除染に使われた後の
汚染水はどこに行くのか 森林にたまった放射性物質を除染することはできるのか
どうして「除染」というのにこうまでもこだわってやっきになるのか
今はだれもよくわからない。「この1年間の日本政府の対応は
チェルノブイリよりも最悪ですよ」と今日お話を聞いた人は
言っていた。それが何を意味しているのか 原子力を推進してきた
悪名高いといわれる機関でさえも驚くような日本の「大丈夫」
という基準の高さ。多くの人は それをなんとなく
「大丈夫かな」と思って普通に生活してる。
この状況は ある意味戦争だと思う。
両派は真っ向から対立してる。福島の人たちを本当に
守りたい、心配している人たちと 「がんばろう」の
スローガンとともに まるで大本営の時代のように
まるで「一億層玉砕」を唱えた政府のように
みんなで負け戦に向かってく だけどそれに異を唱えるのは
「非国民」でしかないという そんな強い流れがまだある中で
福島には張り裂ける思いを胸に戦っている人たちがいる。
今日の話の中で「思いやりという名のエゴ」という話になった。
日本で言われてる「思いやり」は 本当に思いやりなのだろうか
彼らも苦しんでるんだからお前も苦しめ というのは
それも思いやりなのだろうか 私も苦しんで来たんだから
あなたもおんなじ思いくらいしなさいよという
連合赤軍のトップの女性が発していたような そんな言葉や態度は
本当に「思いやり」と言えるのだろうか
それは本当は 怖さからくる そう 誰かが出ることを許さない
「出る杭を打って同じ高さにそろえよう」というそういう姿勢じゃないのだろうか
うざい、面倒くさい、疎ましい、おかしいんじゃない?と
思われても もしかしてそれが本当はその人のためになるかもしれないと
思うなら それは言うべきなんじゃないんだろうか
その人のためを思って 苦言でも言ってみること
「ほらね だから前からそう思ってたのよ」なんて
破綻してから知った顔して言うんじゃなくて、そうなる前に言ってみること
一言でいいから 言ってみること。押しつけではないけれど
それはもしかしてあなたにとって危険なことではないかというのを
少しだけでも言ってみること。
そしてそれを言えるだけの環境を その一言に命がけの勇気を
持たないでもいいくらいに 言えるくらいの環境が もっと
日本に存在しないと この国はとんでもないことをまた繰り返すんじゃないだろうか
そうこの国には「欲しがりません 勝つまでは」とか
「一億層玉砕」だとか「非国民」という言葉があった
私には 今の状況は やっぱりあのときに似てると思う。
だけど日本には変わってほしい 福島の人はそんな中でも
声を挙げて変わっていった。一億層玉砕になる前に 歴史から学んでみること
私はもっとチェルノブイリをちゃんと学んでみたいと思う。