alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

歴史から学ぶ

2012年01月16日 | 福島見聞録

 
 「なんだか変な感じだね。明日もまた会いそうな気がするのにね」
そう言いながらも今日がソフィーとの仕事の最後。
全てを終えて 地元の駅に帰ってみると変な感じ。
ついこの間までは 私は仕事のことばっかりを考えていた。
どうやったら効率を上げられるのか どうやったら
子供がいるなかでもなんとかまわしていけるのか。


 そんな時があったかなあ と 思うくらいに
この10日間で私の人生が揺さぶられ 毎日私も
変わっていった。毎日沢山の話をきいて 毎日
心を揺さぶられたり 鳥肌がたったり 許せない と思ったり
目の前の人の話が本当に?信じられない そんなことって
ありうるの、、、??と思って絶句したり。



 「私もそれなりに原発については勉強してなくもなかったし
新聞は毎日見ていたと思うんですけど、、、福島の
現状については何も知りませんでした。」とお世話になった
人に言ったら「たいていの人はそうだと思うよ」と返された。

 福島の郡山市で中学生を疎開させようとして裁判を起こして負けたこと。
福島市で小中学生向けに3ヶ月「ガラスバッチ」という
外部被爆を計る小さな器械が配られて 毎日それを首からさげて登校してたこと
それをモルモットみたいと思った子供たちもいたということ
真夏には長袖長ズボンでマスクをつけて登校していたこと
それがあまりに堪え難くって「スカートがはきたい」と言って泣いた子もいること
4月には始業式も延期されずにいつも通りにはじまったこと
それに対して親たちは反対したけど学校は聞き入れなかったこと
中学や高校では今普通に外で部活動がされていること
妊婦さんたちに対して、放射能に関係する何の特別なアドバイスもされてないこと
市が子供たちの内部被爆を計りはじめるのに爆発から約1年がたっていること
福島の中でいろんな活動はあるけどそれはほどんとが民間で市は市民の不安を
解消してくれるような動きを12月頃まではとってくれなかったということ
福島の人たちが何度も霞ヶ関まで足をのばして政府に交渉をしてたということ
だけど政府も県も市も いつも「除染をすれば大丈夫」という態度を変えようとしないこと


 え、そんなこと って 本当に起こりうるの?という話が
1日1回は話されていた。例えば山下なんとかという教授が
年間100ミリシーベルトまでは問題ありません!と言い張って
彼が今福島県の放射線関係を牛耳っていることも
その「安全宣言の」の元に指導をしているお医者さんも学校も
どんなにみんなに不安があっても「それはあなたの心が弱いから
心配しすぎるのが一番よくない」と言って話を受け付けてくれないこと
しかもその山下氏が地元に帰って「先生大変ですね、勇気がありますね」
と言われたときに「今世紀最大の研究ができる、、、」と言ったこと。
それに対して「人の命をなんだと思ってるんだ!!」と思っている人がいること。


 そしてもう 福島では けっこう普通に異変が起きているということ。

 「まさかそんなことないですよね?」と思いながら 私は
質問を重ねていった。「まさか症状なんてないですよね?」と思ってた。
ところが多くの人はこう言っていた。5月か6月くらいには
既に症状が出ていたと。一番多かったのは子供の鼻血で、
大量に鼻血がでていつまでも止まらない。それは突然やってくる。
それから下痢、皮膚の斑点、大人でも口内炎がはやってた時期があるらしい。
今はその頃にくらべると落ち着いたのかもしれないけれど
それでも「疲れやすくなった」「のどが痛い」「病気が治りにくくなったと思う」
というのは目の前にいる人たちから耳にした。
東京や神奈川ですら 同じよう症状の子供たちがすでにいるらしい。


 「まさかそんなことないですよね?」と内心では思いながら
「県外からの野菜っていうのはどこで買っているんですか?
インターネットとかですか?」と尋ねてみると かなりの割合で
インターネットという答えが帰って来た(だいたいオイシックスという答え)
どうしてかというと例えどこかのスーパーなどでベクレル表示が
されたとしても、産地の偽装だってあるし ベクレルも偽装するだろう と
もう信頼そのものがないらしい。

 
 「まさかそこまで?」と思っていたけど たいていの人は
料理にはミネラルウォーターを使うと言っていた。それにパスタを
ゆでる時までミネラルウォーターだという人もいた。
もし私 が 今の状況で彼女たちと同じことをやらなければならないとするのなら
私は耐えきれなくってきっと避難をするだろう。
「子供が帰って来たらすぐシャワーをさせて着替えさせています」
「靴もよく洗うしもう何足か捨てました」
「自分は最近はしないけど 子供にはマスクをするようにって言っています」
保育園や幼稚園では外遊びがほとんど禁止されている。
そんなこと は 私はあんまりおかまいなしで 息子と
毎日のようにピクニックをして 落ち葉でも芝生でも遊んでいたけど
それがどれほど危険なことだったのか 私にはよくわからない。
横浜や東京なんて たいていの場所は除染してない。
そこにシートをひいてその上でご飯を食べること
それがどれほどの意味をもっていたことなのか 私にはまだわからない。


 「あまり気にしない人はサーフィンをしたりもしていました。
でももう症状がではじめている人もいます。」いろんな事を
知ってる人は はじめから予測していた人は それが何を意味してて
そのあとどんなことを引き起こすだろうかを知っていた。
私は彼らの話を聞けば聞く程 爆発の直後にフランス人たちが
冗談まじりに言っていた 放射能に汚染された国の怖さが
どうもかなり的を射ていた そんな気がしてしまう。
私はさっぱりわかってなかったし福島の人たち同様
チェルノブイリなんて知らなかった。「お前はチェルノブイリを
知らないのか!」と電話で言われても「知らないよ、、、」と叫びたかった
彼らはすでに知っていた。当時フランス政府がかなり嘘をついていたこと
そして何千キロも離れた彼らの土地まで汚染が広がり
病気になった人が続出したということ。どうしてフランスには
放射能関係のいろんな機関があるのかと不思議に思っていたけれど
それらはチェルノブイリの人たちでなく、チェルノブイリの事故によって
フランスで病気になった人たちを助けるためにできたらしい。
政府の嘘を知ってる彼らははじめから日本政府の言ってる事は
嘘だし、爆発が起きた時点で それがのちのちどうなるだろうか
想像というのができたらしい。おそらくそれがクリアにできた人ほど
ことの重大さを知っていて とっさに「逃げろ!」と言ったのだろう。
地震の直後に爆発の前に福島から避難した人と 原発のことなど
あまり気にせずとにかく水と食料を確保しようと思っていた人たちの
行動を大きくわけたのは その時点で頭の中にあるイメージと知識だったのだ。


 国も 県も 福島市 も 人々がどんなに訴えても
「だから問題ありません。私たちは除染してます」の一点張りで、
自分から知ろうと動かない限り、福島にいてもたとえば
「放射能からはこうして身を守りましょう」的なポスターなんて
ないわけで、そこまで情報は入ってこない。
そして「がんばろう福島」と「収束宣言」の
名のもとに 沢山の命が置き去りにされていく。
除染がどれほど効果があるのか 除染に使われた後の
汚染水はどこに行くのか 森林にたまった放射性物質を除染することはできるのか
どうして「除染」というのにこうまでもこだわってやっきになるのか
今はだれもよくわからない。「この1年間の日本政府の対応は
チェルノブイリよりも最悪ですよ」と今日お話を聞いた人は
言っていた。それが何を意味しているのか 原子力を推進してきた
悪名高いといわれる機関でさえも驚くような日本の「大丈夫」
という基準の高さ。多くの人は それをなんとなく
「大丈夫かな」と思って普通に生活してる。


 この状況は ある意味戦争だと思う。
両派は真っ向から対立してる。福島の人たちを本当に
守りたい、心配している人たちと 「がんばろう」の
スローガンとともに まるで大本営の時代のように
まるで「一億層玉砕」を唱えた政府のように
みんなで負け戦に向かってく だけどそれに異を唱えるのは
「非国民」でしかないという そんな強い流れがまだある中で
福島には張り裂ける思いを胸に戦っている人たちがいる。


 今日の話の中で「思いやりという名のエゴ」という話になった。
日本で言われてる「思いやり」は 本当に思いやりなのだろうか
彼らも苦しんでるんだからお前も苦しめ というのは
それも思いやりなのだろうか 私も苦しんで来たんだから
あなたもおんなじ思いくらいしなさいよという
連合赤軍のトップの女性が発していたような そんな言葉や態度は
本当に「思いやり」と言えるのだろうか
それは本当は 怖さからくる そう 誰かが出ることを許さない
「出る杭を打って同じ高さにそろえよう」というそういう姿勢じゃないのだろうか


 うざい、面倒くさい、疎ましい、おかしいんじゃない?と
思われても もしかしてそれが本当はその人のためになるかもしれないと
思うなら それは言うべきなんじゃないんだろうか
その人のためを思って 苦言でも言ってみること
「ほらね だから前からそう思ってたのよ」なんて
破綻してから知った顔して言うんじゃなくて、そうなる前に言ってみること
一言でいいから 言ってみること。押しつけではないけれど
それはもしかしてあなたにとって危険なことではないかというのを
少しだけでも言ってみること。
そしてそれを言えるだけの環境を その一言に命がけの勇気を
持たないでもいいくらいに 言えるくらいの環境が もっと
日本に存在しないと この国はとんでもないことをまた繰り返すんじゃないだろうか
そうこの国には「欲しがりません 勝つまでは」とか
「一億層玉砕」だとか「非国民」という言葉があった
私には 今の状況は やっぱりあのときに似てると思う。
だけど日本には変わってほしい 福島の人はそんな中でも
声を挙げて変わっていった。一億層玉砕になる前に 歴史から学んでみること
私はもっとチェルノブイリをちゃんと学んでみたいと思う。

内部被爆について考える

2012年01月16日 | 福島見聞録


 「今日は午前中は来なくてもいいよ
通訳機があるみたいだし。じゃあお昼に待ち合わせしよう」
そう言われて昨日の夜にソフィーと別れてみたものの
電車の中で何気なく読んでみたメールには
「内部被爆研究会、、、15日の朝10時」と書いてある。
え?なにこれ めっちゃ興味ある!しかも脱原発会議に来るっていうこと?


 「今日こそは息子を構ってやらないと、、」と言ってたものの
この時間を息子と過ごしてみることと 将来的に息子を
守っていくことと どっちが大事なのだろう?
うーんと悩んだけれども これを逃したら機会はなかなか
ないだろう。大事なことだ。息子には何も言わずに
朝から仕事なんだと言って出て行こう。


 そういうわけで会議場に着き、内部被爆の会に行ってはみたけど
難かしすぎてわからない。放射線の種類とか どうして
内部被爆について研究をすることが許されてこなかったのかとか
私としては「じゃあどうしたらいいのか?」が知りたいのだけれど。
測定所の人が言っていた「福島の人の平均はこれくらい」ということは
すでに内部被爆が判明している人も多いわけ で
それとどうつきあってくか 排出が可能なのならどうすればいいのか
そういうことが知りたいのだけど

 なかなかそれはわからなかった。


 まあ仕方ないか、、、と思いながらも会議場で時を過ごし
それからまた時間があってソフィーが「ちょっと行って来なよ」と
言ってくれたのでその会場の近くに言ってみた。ソフィーは
彼女が参加した会に登壇していたチェルノブイリの避難区域らへんに
今でも住んでいるという男の人をつかまえて「ちょっと彼女が
内部被爆について興味あるみたいなんだけど どうしたらいいものかしら?」
と尋ねてくれる。彼によれば、そのゾーンから何回か離れる期間を持つ事と
それからウォッカがいいらしい。。。そうか、ウォッカかよ、、、と
思いながらもお礼を言って また誰かそれらしき人を探してみる。


 すると「内部被爆研究会」という札の人を目にしたので早速聞いてみる。
わからないことも多かったから「ああじゃあ彼が専門だから」と
近くにいたおじさんを呼んでもらって 今度は彼が話してくれる。
ホールボディカウンターでは全ての放射線は計れないこと
計れない放射線の方が実は内部被爆では重要なこと
ホールボディカウンターを買いそろえるよりは尿検査などを
もっと実施したほうがいいということ(こちらの方が高くつかないので)
内部被爆したらこれ以上汚染されている食べ物は口にしないように気をつけること
大切なのは免疫力を高めて元気に活き活きすごすこと。
身体をしっかり動かす事も大事らしい(だけど福島の人は一度
ジョギングをしてみようとしてマスクつけてやったら5分も
息が持たなかったそうな どうやったら彼らはいい運動ができるんだろう?)
それから私がリンゴの話をしたら はーなるほどね、
それはペクチンだね、、と言って いいんじゃない、やってみたら と言っていた。


 首都圏では内部被爆をどれくらい計れるんですか?
私はたまたまホールボディカウンターで計ってみたら検出されて
けっこうみんな大変な状態にあると思うんですが と尋ねてみると
大きな病院で高額を払えばできなくもないとのこと でも
市民に開かれたそういうものはまだないらしい
(ので市とかに訴えかけて行くのが大事ですと言われた)

 内部被爆と外部被爆の関係性は?保養や避難をすると
症状が治るとかっていうのはどういうことですか?
避難していると内部被爆したものも排出されるってことですか?
と尋ねてみると そのへんの関係はまだよくわかっていないらしい。
なんせ午前の説明にあった通りで 内部被爆については隠蔽されて
「そんなものは存在しない」ことになっていたので研究も
拒絶されていたからしい。だからどうすればいいかなんて
あんまり誰もわかってないんだ、、、


 ありがとうございました!私も首都圏の人たちのために
何かできることがあったら教えてくださいといって名刺を
渡すと 彼が取り出した名刺にはなんと 矢ケ崎、、、と書いてある。
あれ、もしかしてあの先生ですか?私本を買いました、ほら、
今読んでいるやつですか??そう 彼はなんと内部被爆の研究で
有名な琉球大学の矢ケ崎教授だったのだ!
こんなところで何気なくこんなすごい人に出会ってしまえるとは、、、


 とはいえ今回相当盛り沢山な企画がある中、内部被爆についての
セッションは2つくらいしかないようで 心配がつのる中 で
おそらくあまり それに対するしっかりとした情報というのも
ないのだろう。これまで出会った人が口をそろえて言ってたことは
これ以上汚染されたものを食べないこと できれば排出する努力をすること
(ペクチンや酵素、利尿作用のある野草茶など あと玄米に梅干し 漬け物?)
それからちょっと避難をすること


 だけど私の場合は?私横浜にいただけだったのに

 なんでそんなことになっているんだろう?


 ほとんどの人は「まさか!」と言った。
「だけどちょっとだけでしょう?」
「人間の身体の中にもセシウムはちょっとくらい
含まれているわけじゃないの?」いや そんなことはないらしい。
どうしてなんだろう 私爆発の時だって西日本に居たのにな、、、


 ずっと不思議に思っていたけど 今日ちょっと謎が解けたような気がした。

 
 プレスルームの近くのソファーで偶然出あったフィンランドから
来た記者の人が測定器を持っていて こんなのここでは
必要ないじゃん?と思っていたら 意外と東京も高いんだよという
話になって 彼は1とか2 とか言ってくる。それは私の英語力が
弱いのと コンマっていうのをなんて言うのかわからなかった
からだと思っていたけど 何度か確かめながら彼はこう言った。
「0,2 じゃない。2だよ。毎時2マイクロシーベルト。
10月に来たときに計ってみたらけっこうそんな場所があるんだよ。
地下鉄の駅とかね。2とか1とか、0,1じゃないんだよ」
そんな彼は示してくれたパシフィコ横浜の会議場では0.2になっていた。

 「えっと、、、それはつまり 福島とか郡山より値が高いってことですか??」

 「そう けっこうそんな場所があるんだ みんな知らないだけなんだ」


(ちなみに毎時で0,6ミリシーベルト以上あると 年だと5ミリシーベルトを
こすことになって、年間5ミリシーベルトというのは、放射線を扱う
お医者さんたちがレントゲンなどをとる医療放射線管理区域というのの
上限レベルらしい。チェルノブイリでは5ミリシーベルト以上は
強制避難区域になったそうです。 ちなみに日本政府が事故前に
定めていた一般人の上限は年間1ミリシーベルトで、それを時間になおすと
だいたい毎時0,1マイクロシーベルト。低そうにみえて実は低い値じゃないんです)


 本当かよ?と思ったけど そう 私たちは新聞の発表ばかりみて
福島は高いけど 東京は低いと勝手に思い込んでいる。
それは福島の人たちがかつて思っていたように 政府の発表は
信頼できるという 勝手な幻想なのかもしれない。
もしそれが嘘だったなら?自分の手で計ってみたら?
意外と避難区域の近くで線量が高くないところもあるし
郡山ではラジオでのほほんと「今日は毎時0,6ミリシーベルトです」と
まるで音楽を流すかのような軽やかな声で言っていた。
福島市の役所に書かれていたのは0.9という数字であった。
それに対して東京は?「10月はかなり高かったんだよ」
そんなこと 聞いたことがない。もしそれが本当だったら
なんだかいろんなことが理解できる、、、


 どうして私が東京や横浜にいて 「福島の人の平均よりは
多少低い(つまりおそらくけっこうあると言いたいのだろう)」程度のセシウムが
検出されたのか どうして東京でも放射能に関係するとみられる
症状を起こす子供がいるのか どうして私の友達が
夏に会ったときに甲状腺の病気になって、、、と言っていたのか
(私は無知だったのでそれは子育てのストレスがはげしいのかと思っていた)
私はあまりにわかってなかった そんな気がする。
それにあまりにも待たされた年末の皮膚科の異様な感じは
(35人待ちで1時間半以上待った)ただ年末だからという
それだけの理由なのだろうか。 それほどまでに皮膚科は混むものなのだろうか。


 私たち 首都圏にいる人たちは あまりにも無防備で
福島の普通の女性がみんな知ってる「そんなの常識」ということが
ほとんど常識になっていない。(さっき上で説明したことは
彼女たちは何も見ないで説明できる)だけどもし 首都圏にだって
私たちが彼女たちのように自分の測定器でしっかりと
やっていないだけで 本当はかなり放射能が降っていたなら?
これはかなり考えられる。そして結果は もしもその
フィンランドの記者が言ったことが本当なのなら
私たちは無防備であるが故に 結果はもっと重大だろう。
私は息子が保育園に週に2日しかいけないのを嘆いていたけど
最近になってそれが逆にありがたかったと思うようにもなってきた。

 測定器 は2万円くらいするらしいけど
もしどこかで借りられるのなら 私も本当のことを確かめたい。


フランスに行くなら

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