今日もいろんなことをぐるぐると考えながら
日常ってなんだろうとか 結局のところ
世界中どこへ行っても 待っているのは日常で
私はどんな日常というのを送りたいのだろうと
ちょっとぼんやり考えていた。
私は今 東京のカフェにいて そこには
扉をあけてお客さんがやってくる。たまに
私は働きながら 福島の人のことを思い出す訳だけど
福島の人たちだってそこで働き 日常生活を送ってる。
爆発のあと 勢いで避難していった人たちも
避難先 で目にしたものは 日常だった
いつもと変わらないようなその人たちの日常生活
そこが遠ければ遠いほど 何事もなかったかのように
人々の日常が流れてる。
(確かに地震直後の京都はびっくりするほど
何事もないように動いてた。カフェはみんなやってるし
着物で出歩くカップルはいるし スーパーに物は溢れていたし
実際私たちは地震をほとんど感じなかった)
だからなんとなく そこに乖離のようなものを感じて
居心地の悪さを感じたことのある人というのは多かっただろう
だからこそ もといた場所に戻ってみようと 戻ることにもしたのだろう。
それとこれとが関係あるのか 私にはわからないけれど
結局どんな日常を自分は送っていたいのか
それをしっかりと想像してみることなのかなあ、、、
私の場合 ずいぶん前からパリに住みたいとか言ってるくせに
なかなかそれが実現にまでもっていかれていないのは
イマジネーションをしきれていない まだどこかで
ドキドキしていて 今の現状を考えている
足りないものや できなそうなことに目がいっている
そんな自分がいるからなのかなあ?
本当に大切なのは 自分が自分をどう見るか で
人からだとか 自分が思っている「客観的評価」ではないらしい。
例えば銀行残高自体は全然なくても 他人から見たら
お金もちみたいに思われている人だっているのだろうし
銀行残高なんて 恋人になっても知らないくらい
本当は他人はほとんど知らない訳で じゃあ
だれをどう「お金持ち」と思うかなんて
他人の勝手な判断次第。いいコートを来てるから?
お金持ちそうな服だから?値段の高いカフェに通って来てるから?
誰かにさっとおごってあげられるから?
そんなのは勝手な判断だけど「この人はきっとお金持ちなんだろう」と
他人が思う それだけのこと。
そんな判断でいってみる と 私の場合は
勝手に自分で大変だ、やっぱり現実的に考えると無理じゃない??と
思うことが多いけど 他人からすると もうパリに住んでいると
思われていることもけっこうあって 知らない人からの
メールに「パリ在住の飯田さんという人から、、、」と
書かれていたりもするし フランスでの日仏交流会とかに行ってみると
たいていの人はパリに住んでる人だと思って話をしてる。
そう考えると 客観的視点からしたらどうもそう見られてるみたいだし
あとは自分の意識が追いついてないだけなのかなあ という気もしなくもない。
何かを手に入れたかったら
そのための準備をすること というよりむしろ
それを手にする心の準備をしておくことも大事らしい。
もうそれがやってくる と 信じきって
それを受け入れる準備をしてると それが起こったりするらしい。
7割くらい 準備ができたら 神様はまた何かをくれるだろうか
心の準備も 物の準備も いろんな準備がそろっていたら
こんどこそ飛び立てる日が来るのだろうか。
私はあまりに怖かったし 沢山苦しんでしまったから
つい臆病になるけれど でも 本当のところ
フランス人と話しているのはとっても楽しい
ソフィーがフランスに帰ってしまって 私はとても寂しくて
当たり前 のようだった 彼女との歩きながらの議論も
ちょっと時間ができたらとりあえずカフェに行くことも
今にしてみればかけがえのない経験だったんだなあ。
脱原発会議のプレスルームに入れてもらって
私はそれが嬉しくて「これで人生3回目のプレスルームなの!
私もプレスになりたいなあ、、、」と言っていたら「私も
昔は憧れてたなあ 今は普通になっちゃったけど。
そうはいっても憧れてたからやっぱり原点に帰るととっても
嬉しいんだけど」と彼女は言っていた。
そう ジャーナリストのソフィーにとっては
プレスルームに行くのは日常。取材をするというのも日常。
そんな日常の人もいる。世の中にそんな日常の人がいてもいいなら
私も遠くへ行ったり 通訳したり プレスになったり
議論してたり カフェへ行ったり そんなのが日常だったらいいよなあ
カフェのツアーも今回の通訳も本当に充実していて
まったく苦痛を感じなかった。毎日不思議なエネルギーで
満たされていた。特に誰かが私を通して議論が可能になった時とか
そんな時は本当にうれしい。日本語とフランス語でこうして意見を
交わせるなんて!だからそれが大変でも 私にはとてもやりがいの
あることだった。そんなのが1年に1回じゃなく 日常の一部だったら
いやそれがむしろ大きな部分を占めてたら きっと嬉しいだろうなあ。
パリには何があるのだろう どうしていまだにこんなにひかれるのだろう
それは自由? それとも議論? それともまず自分自身でいられること?
それともカフェ? それともテラス? 美しい街並だろうか
それにあのアパルトマンからもれる間接照明?
それにラジオクラシック? まあきっと 全てだろうけど
やっぱりなー 私はできる限り自分のやれることを活かして
パリでもっと楽しく仕事をしていたい。もうちょっと気合いを入れよう
ちゃんと現実化できるように。自分の意識がもし一番の足かせなのなら
もう少し未来にワクワクしてみよう。パリにはきっと 何かがあって
それは日本の未来の役にもきっと立つ。まだ言葉にはできないけれど
そんな気がした いつか持った確信が そのうち言葉になるといい。