ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮、同人誌の話他

描いていてよかったなと思うこととは?

2019年11月14日 | 雑記
先日、企業セミナーに行ってきました。
フリーランスとしてこれから企業する人向けでしたが
自分は広告漫画はホント、細々と続けているので「更に事業拡大したい」の野望と共にw

漫画を描くのは、大変しんどいです。
以前、仕事で漫画原作者の倉科遼先生にお会いした時に
「もうご自分では描かれないんですか」って話になりました。
先生はもともとは自分で描いていらっしゃったわけで…
「もうしんどい」だそうで
すんごい分かります><

文字で「スマホを取り出し」を描写するのは3秒かからんのよ!
絵にするのどんだけよってなる。

企業セミナーで「最近嬉しかったこと(主に自分の仕事、無ければ何でも)」を1分間
スピーチせねばならなかったんですが
ありますよ〜〜〜〜あるある、うれしいこと。

コミケスペース取れたあああ!
ていうのと、あと
まさかオリジナルでご感想いただけると思ってなかったのに
感想いただけてうれしい悲鳴でした。

私は小さい時から大げさと申しますか…
HSPですわ、完全に。
おかげで忌み嫌われ、何言っても信じてもらえない
理解してももらえない。
「普通平気だろこの位!」がいちいち平気ではないわけで
人より過剰にビビるとか傷つくとかは
親や先生としては「クッソ面倒な子」なんですよね…
トーゼン鈍感であってくれた方が手間、世話がいらない。

でも、小学校の時ですかね
漫画を描くの覚えたの。入門書いくつかあって
「なかよし」の付録で複製原画(下書き付き)ついてきて
「ヒョホーーーー!!自分も漫画描く!」みたいな。

親が書店主だったので、百科事典の装丁見本をもらって
(後ろの方は印刷されていない。真っ白)
それに描いてました。
夢想で無双というか、誰も何も言わないんでやり放題。

で、ある時そういうことやってると友人に見せたりしてるうち

誰かはわかってくれる、誰か知ってくれる
とりあえず、自分は一人ぼっちで孤島にいるわけじゃないとわかりまして。
漫画を描いてるおかげで知り合えた人って多いですよ。
遠く海外の方とか、有名な方らもそうだし


お金の事を考えるとまた別で
ニーズやクライアントの意見を大事にしないといけない部分はある
というか、サービス業に組み込まれる文化はそんなものなのですが…
伝えることができる、できたと実感できる時はやっぱりうれしいです。

広告媒体の事業モデルに関しては
まだあんまりモデル確立してないし
そもそもdpiの概念やWeb LPというのも、新しい業種。
試行錯誤もありますが

なんにせよ、面白いもんを掘っては作りー、掘っては作り
していきたいです。


2次方面でいいねして下さる方も
ありがとうございます。

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ハロウィンに奇妙な違和感を持つ

2019年11月01日 | 雑記
数年前まではむしろ大好きなイベント。

私の趣味からしても
ゴスだホラーだ魔女だケルトだと満載なわけで
楽しいに決まっているんだけど。

日本人はとにかく
集団行動を取るから
その心理を利用して
マスコミを使ってイベントを作り盛り上げれば、それ関係の物は確実に売れる。

そこにインできない人、これは恥ずかしい
深く意味を考えちゃう人、気持ち悪い!
仕掛けだという人、空気読んでほしい

てね。



何でもいい。祭りには
「躍らにゃ損」
「躍らす奴の利」
というのがあるから

オリンピックもそんな風にみんなで騒いでほしいわけだ。
ラグビーのワールドカップも
そうしてくれたかな?
自分の享楽しか考えなければ
それは相当楽しい。
そう、もう「不謹慎」なんて言わない方がいい。



祭り自体を否定はしない。
子供の仮想は楽しいものだ。
ハロウィングッズで100均ショップが彩られるのも。


けれど、渋谷に繰り出してるあれは
やっぱりちょっとついて行けない。
都会的「夢」とその亡者の集いにしか見えない。

もともと人混みは苦手な方だ。
が、目的があれば別だ。

いわゆる「陽」のもんだねハロウィンは。
たまに魔族のコスプレするから非現実的で楽しいんであって
魔族は魔族のコスプレしないし
オタクはオタクのコスプレしない。

そうそう
コミケの時はあんなに
コスプレに厳しく、家にコスプレのまま帰ると丸だしで恥ずかしいとされるのに
ディズニーアニメのコスプレはいいのか。
恥ずかしくないのはなぜなんだ。

アメリカ巨大資本に弄ばれるものは正解で認められ
国産だと揶揄されるのはなぜなんだ。
全てハリウッドの価値観で決めないといけないのか。
手作りのアニメコスは気持ち悪いが
ショップで買ったシンデレラは良いのか
その線引きは何だ。

そういう事は語れば野暮だと知ってるので
あえて言う事もなく
「ハッピーハロウィン」って言っとくけれど。
ええじゃないか運動とあんまり変わらないよ。
そういえば、ええじゃないか運動も維新派が仕掛けたものだったらしいけども。


私はあの渋谷の騒乱に対してどこか
「もっとやれ」という逢魔を期待してしまう。
それは、悪魔を召喚しておいて
自ら招いた悪魔に喰われるようなもんなのだが
去年のトラック横転のようなものを
どっかでこっそり期待もしていて
「誰か放火でもしてくれんかな」
「誰か爆破でもしねえかな」

という。
危険なテロ、デモに
(すごく自分で気づきにくい部分で)期待感を持ってしまう。
おそらくあの集団行動の中に何人かは
怖くてできない理性のブレーキをきかせながら
享楽と共存する僅かな暴力を認めているんでは。


「何をしに行くのか」

具体的な目的がなく、集団の中で流されながら
「なんとなくみんなと同じようにやりブラブラする」
私はこれが苦手だ。

その付和雷同っぷりこそ、日本人的であろうのに
コマーシャリズムな外国産の祭に参加すべしという風潮の奇妙さが
今ひとつ、腑に落ちなくなってきたんである。

まあ、無粋は言わぬが花だけど。
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なぜ許されない世界になったのか

2019年08月17日 | 雑記
最近話してて気づいたこと。

20年くらい前、少なくともSNSができる前は
まだ、みんな自分の「失敗談」を笑って話していた、ってところです。

うちの義理の母は自虐ではないのですが
失敗したら自分でネタにして大爆笑します。
お盆で気づいてしまったのですが、とりあえず和歌山の高齢者は
失敗したらネタで爆笑。

ところがこの空気は少なくとも東京の若い世代にはありません。
東京の若い世代にとって、失敗とは「Go to Hell」なのです。
失敗談なんて空気は凍り、どん引きになり、あるいは嫌がられ迷惑がられ
「蔑み、叩きの対象になる」のかもしれません。
まあまさか「殺して可」とまではいかないでしょうけど。

とにかく、他者に対しての目が厳しくなった。
同時に、かつて謙虚でよかったはずのものは
自己申告なのにレベルやステータスを誇ってなんぼになってしまった。
すごく「カサ増し」した外箱にラッピングされてる気がします。
またそういう事言うと批判になるだろうけど。

「完璧に安全な土台を築いてからでないと何もできない」

(うちの息子からしてそういうとこあるんだなあ、これは)

やってみたら?やってみてダメなら修正とか
という「試行錯誤」は無駄に思えるらしく
社会の方もそうなのでしょうが、無駄を省くために
最初からあらかじめまとまった状態を希望する。
「インスタンス」とでもいうのか
だから、異質なもの、驚きに値するものが入って来られると処理できず
戸惑いが起きてしまうのかも。

昔の世代にとっての失敗談は
試行錯誤の中の1段階なので笑えるけど
今はあってはならないバグ。

何も無いところから構築できた世代と
もう全てがあって、選択しか無いという世代。

でも、人間って多分それで本当に生き辛くなれば
またどっかで戻るんじゃ無いかな。

私はもともとはどっちかというと、結構厳しい人に育てていただいたので、失敗を笑えない方ではありますが
おおらかな先輩方を見ていると、豊かさって
失敗しても不安だ、潰される、もうダメだと思う必要がどこにも無い状態、
かもしれないとも思います。


とりあえずどこかには「ドンマイ」の精神で
試行錯誤はしていきたい。
失敗を怖がらないでやっていきたいです。
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「好きって言っていいか」

2019年08月07日 | 雑記
表現の不自由展だの韓国嫌いだの
いろいろ上がってる2019夏。

コミケも前にして、好きなもの自由に描きたいなとは思います。

私は小さい時は長女でして、昭和の(それも軍隊式の)
教育でしたから、「嫌い」は認められても「好き」はすぐ否定される。
なぜでしょうね、「嫌い」はOKなんです。
心を病んでいるとか偉そうに子供から言えませんでしたが
戦争のトラウマってのは確かに祖父母にあって
しかも年寄りになればなるほど、人間「好き」は減って、否定が増えて行く。
保守るんです。

特撮怪獣が好き、少年ジャンプが好きというと「女のくせに!」
デヴィッド・ボウイが好きと言うと「鬼畜米英!」
何かを好きになるにも、私には「許可」が必要で
だから、そばの誰かが厳しい顔で否定をすると
今も勇気を持って、面と向かって「好き」って言えないです。

でも「こっそり好き」ではいれる。
こっそり好きでいい、自由でいい
きっとだからこそ、家で言えなかったことを自由に言えるから
描くことを選んだのかもしれないです。

「みんなこれが嫌いって言ってるんだ、理由はこうだ、
だからお前も嫌え!でなきゃ排除してやる」

この身勝手な暴力、苦手です。
同人誌でもたまにいる。自分の認めないCP支持する人は敵って人。
幕末だと攘夷志士。


同調圧力は日頃の鬱憤と、認めてもらえる安心枠に無条件で入る時に手にする
一種の「権威」であり、どうしようもなく孤独で貧しい人が陥りやすい罠。
落ち着いたら案外ポリシーなんかは適当だったりする。
「ううん、言ってみたかっただけ」って。

天皇万歳も言いづらいが韓国大好きもいいづらい。
アニメ好きも特撮好きもV系好きもホラー好きもBL好きも

「嫌い」「つまらん」「キモっ」は聞いてもらえるのに
「大好き」は理解してもらえないだろうなあと
どっかで思ってる。

でも、嫌いしか言わない老人にはなりたくないです。
好きなもの無くしたらやっぱり「老化」か「鬱」だと思う。
横で大暴れして自分の価値観や趣味を押し付けて打った切り
そういう人と一緒にいると、賛同を強いられるので疲れるし
メンタル病むのわかってるからなあ。

人生一度きりだし
「好き」で生きていたいのよ。


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コミケの「外」から見たコミケ

2019年08月03日 | 雑記
10年ぶりに東京国際展示場に戻ります。

コミケのカタログ届きました。




これが…問題の今回から導入のリストバンドですな。
汗で破れそう…



ここ10年はコミケの「外」にいたのですが
当然ながら、そうするとオンライン、ネットのみってことになります。

しかしどうも、コミケのカタログを見る限り
そしてWebカタログも見る限り
(あ、関西コミティアのリストも見ました)

「全サークルが紐付SNSやってるわけではない」

みたいですね…。
個人サイトだけの人、ブログのみの人、ツイッターだけはやってる人
DL販売はしていないサークル、書店委託はしてないサークル
バラバラです。

でもなぜか
「外」にいると、
「今時の同人誌はすごいなあ」
「こんなにRTやいいねで評価されないとやっても無駄なのか」
「ハードル高いなあ、敷居高いなあ」
「自分にはもう無理なんでは」

って思っちゃいますね…不思議;
広く情報を集めるほど、視野としては狭くなってしまうのかも。
やっぱりそれは リアルではないのかもしれません。



コミケの「内」は海と同じで
あんまり変わってないなあ。

ジャンルの変遷は今更だし。
Web申し込みができて早いのとか台車とか
ゆうパックとかの変化はあるけど

中にずっといると気づかないこともあります。
外からは見えない物もある。

コミケに出たいけど出れない
あの自分だけ取り残されたような感は
そりゃあ辛いですよ。
でも、様々な事情で行けない人、行きたくない人、
行こうか迷ってる人

その人たちの気持ちも理解できるなあ。

あと
「本気でハマれるものが今無い…」
って時期もありました。
疲れてたり、他で大変でそれどころじゃなかったり
何より自由に使えるお金が無かったりでは厳しいし。
みんなが好きだというブームのジャンルの物を、自分は好きになれなかったり
「祭だから乗らなきゃソン。踊らなきゃソン」って言う人もいるけど
「好き」はいつも損得なんか抜きである場合もあって

本当は悩んでる人も多いだろうな。
競争めいたものがあれば、なおさらです。


当たり前にあった物が、当たり前でなくなることや
なんとなくついていけなくなる気持ちや
頑張ってるのに誰〜〜も来ないってことや

あったなあ。
なんか色々あるよ、本当。


「ただいま」がどうして「只、今」なのかわかった。

冬コミの申し込みが早い><


出れるだけは出たいな。
描けるうちに描き倒したい。

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法事だった

2019年07月24日 | 雑記
義理の父の初盆で浄土宗のお寺へ。

実家は浄土真宗だから、あまり経験が無い儀式の連続で
同じような系であるとはいえ大変だった。

宗教といえば
なぜか私には少し「キリスト教」がちょっぴり微妙にインストールされている。
英語の塾のせいかもしれんし、少女の頃に流行った漫画のせいかもしれんし
そもそも熊本って所は、歴史上熊本バンドやらあるわけで割と多かったのかもしれないんだけど。

聖書は、西洋美術史をやりたいなら基本的に読んでないとかなり厳しい。西洋美術はニーチェの後も
いやそのニーチェすらも、聖書からは出て行けないのだよ。

聖書アプリを一部に入れたようなかんじかも。

でもガチでカトリックやプロテスタントではないという…
そうでないと日本に生きる限り困難な事が多い。なんせプロテスタントに改宗すれば、仏壇すら取り払われるから。宗派の問題で葬式で揉める。

日常的には、人間関係もあって自分の宗派信仰よりは周囲の宗教に合わせる。

法事は、最寄りのお寺で
複数の檀家まとめて集まって
親族ごとに順番に供養。

お経読み上げながら
毛氈の中に詰めこまれた親族を囲んで
坊さんがぐるぐる回ったり
歌が歌われたり
卒塔婆を笹だか?で水つけてなでる。
何かの丸いカードがばらまかれ(名称知らない)
ジャンジャンと銅鑼やら鳴らされる。

浄土真宗では卒塔婆供養はやらないのでよくわからない。撫で物や、先の法事でやった、お餅を人型に切り分けて持ち帰るのも知らなかった。

ダンナの親戚ある和歌山の方に行くと更に、その土地だけに残った熊野信仰のようなのもある。日本の中世文化が残っているけど、熊本には無いからなあ。

そのような場合は
わけわからんでもとにかく前の人の真似をし
「さもその土地に10年以上います」程度の馴染みっぷりを示さねばならない。

私はこの土地は知らない、だって嫁だからなどと言おうものなら、たちまち先輩方の怒りを買い、超村八分状態がまっているからだ。

日本というのはどこへ行っても「村」である。村を出ては生きられない。

というのは心得ていて損は無い。
それがミュージシャンのファンクラブであろうが会社であろうがコミケであろうが
ある家族的な共同体意識で出来ている。

「部外者なんでわからない」という
「私は異端児」を見せると大変生きづらくなる。好奇心とイジメが待ちうける、と長い学校生活叩きこまれている。
しかし逆に、村には「自己責任」は無かった。
人類皆兄弟にするとキャパオーバーだけど
小さい集団に帰属する事がセーフティーネットになってきたんだと思う。


知らない宗派や信仰と文化を知るのは面白い。
どれ、という宗教を信仰しないのでなく、嫁は基本的に嫁ぎ先の宗教とその村に入らない限り、余計なトラブルを巻き起こしてしまい、嫌がられるので選ぶ権利を主張したければ戦闘モードになってしまう。自由度はそんなに無い、って所だ。

でもそれはさほど不満ではないよ。

まあつい、念仏を唱えながらも
心の小さいキリスト教アプリが起動して
「なぜアーメン…」ってなったりするけどね。

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京アニの事件後のツイッターの放火炎上

2019年07月22日 | 雑記
京アニの爆発テロ(あえて言うけどあれはテロ。シャルリーエブド事件をテロというならだけど)
あれの犯人というのは、誰がどう見ても悪の中の悪で「凶悪」だと思う。
何か特別な犯罪心理学か、反社会的であるとは何かを論考するために
善悪の基準を一旦外すという前提が無いならば。

ところが、事件後にTwitterで
犯人擁護の動画が出回る。
それに釣られて「いくらなんでもありえない!!」と怒りをぶつけりゃ
これこそ先方の罠であり「よくぞ釣られました」
「バズったので広告します」と来る。

今や、「炎上案件」
Twitterは脊髄反射によって釣られる「ガッチョ釣り」になってしまった。

ガッチョとは大阪湾で釣れるコチの一種で
餌が無くても自分から食いついてくる魚。
Twitterでいうと、フリーランスあたりで「自己顕示欲」によって生き残らねばならないと信じてしまったガッチョがうようよいて
そういう部分が釣り人には「入れ食い」なのかもしれない。

問題は、広告を「真摯」にやろうと思ってる者にとって
これはすごく悩ましいな、というところだ。
もはや、正攻法での広告は通用しない、
てっとり早く炎上案件、バズリを狙ってわざと
汚い言葉で罵ったり、ヘイトしたり、マナー違反をやったり
そういう事が日常的になれば、当面の仕事はあったとしても
本当にそれでいいのか?と思ってしまう。

京アニの事件ではあまりのひどさと
いろいろアニメを楽しませていただいたので、つい感情的になってしまう部分はあったのだけど

Twitterはとうとう、「言論コロシアム」になってしまった。
誰が嘘で誰が間違いでを吊るし上げ、全員で容赦なく攻撃する
集団リンチの道具として使い、それによって「自己宣伝」をしたいと
狙う人らの場所になり
更に今は、そういうリンチに群がるバカを利用して名を売りたいという
アモラルにアモラルを塗り重ねるソドムの市のようになってしまった。

これを緩和するために猫画像が貼られるけれど

SNSは使い方は未知のまま
何かを変えたとするならば
ユーザー1人1人は、変えたことに責任を持てるのか?

誰だって、無意識の加害者にはなりたくないはずなのだが。

アナログ的速度は、クールダウンとして見直されるべきだし
感情と反射と短絡的な叩きしか無くなった世の中から
「テロ」がなくなるとは到底、思えないのだ。

少なくとも、それは「表現」などには値しない。
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八郎追っかけ高瀬屋の浪子(おてもやん的な)

2019年07月14日 | 雑記
高瀬屋という旅籠にお浪という女性がいて
やたら宮崎八郎を追いかけていた
 という話は結構有名なのか
あちこちの小説にも出て、ドラマにも出ています。

てっきり旅館の飯盛女(給仕もするけど夜の相手もしたりした)
と思っていたけど
そうでなく;
ガッツリ堅気…

八郎が死んでしまった後の「伝説」で
気がおかしくなった(らしい)というのはありますが、どうだろうね。
確たる証拠がないのと、どうもこれ
男のロマンのような気がしてならない。

新選組の原田左之助の元奥さんとか
西南戦争でも与倉連隊長夫人の鶴子さんとか
「その後」の女性を見ますけど、明治の女性ってとにかく強い。

明治でなくても女性って案外現実的で
恋に生きて男を慕って死ぬとかいうのは
男性側がそうであってほしい、という理想ではないのかね?
って思うんですよ。
ちょうど、女性のロマンが
「命がけで私を守った」であるような。

ドラマ「田原坂」だったかで
ちょっとお色気ギャルっぽく登場してましたが
どういう路線でいこーかなあと。
これ漫画であって「劇画」じゃないしな。
18歳の浪子、当時の18歳はもっと大人だったかもしれないけど…

そう、それでも浪子お前は宿命的に肥後の女。

おてもやん

なんだよ…

避けがたいだろ、おてもは。

そんなわけで、肥後女性から見たお浪ってことで
可愛く強い路線で行ってます。


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不眠にバレリアン

2019年07月10日 | 雑記
もともと不眠症といいますか
すぐ寝れないスイッチ入る方です。

といってあんまし睡眠薬に頼りたくない。

そこで
買ってみたよ

バレリアンティー



楽天で。ポイントちょっと使って
1000円ぽっきり。

お茶にしては高いが。
更年期障害、自律神経にいいらしい。


鬱とかでは全然ないんだが

夜中にサッカーで起きてたら
そのまま夜中に起きるのが普通になってしまった;
いかん。
ちゃんと寝よう。
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制作環境をちらっとだけ紹介

2019年07月05日 | 雑記
「コミックスタジオ」のフラッシュとカケアミのフィルター
あれは捨てがたいのに、CSPには実装されませんね。
それっぽいのをダウンロードはできるんですが。

コミスタさえ使えるならOSを上げるんだけどなあ。
一応メインで使ってない方は最新OS
(使ってないからこそ安心してアップできる謎)


茂はラフ、史実に近づけるのか?
お嬢さんの理想でいくのか?と他の執筆者をキョロキョロ;
(よそはよそ!)
…してみたところ、ありえねえくらい美化してるのもあったわ。安心した。
逆に好きだぞ^^そういうの。でなきゃNEO ROMANCEは無理だよねん。


と思いつつラフ提出。

「史実の雰囲気は残す」
「お嬢ちゃんの理想も残す」
「この人のはこれだというアトリビュートは外せない」
あたりです。

ラフ出したら先方が恰幅の良さは残したいというのでやや太めになり
あと、帽子は最初ホンブルグだったのをボーラーにしたり
葉巻は太いのが好きだったようです。
茂はバラ好き。
時代的なアイテム拾い。


作業環境を参考までちらっと出します。
まだ途中ですが;


レイヤー名は
レイヤー分けしたまま提出の時だけつけてます。



これはCSPの画面で
漫画はまだ今回はコミスタで描くからね。



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明治天皇にびっくり

2019年07月02日 | 雑記
ガールズ向け歴史本の4コマ、
明治天皇も描いてまして。

でも、あんまり知らなかったんだよなあ。
ざっくりとしか…
西郷と仲はいいよね。

漫画にするにあたっては、例え4コマだろうが全力で挑まないと…ってこだわり
(人それぞれだと思うが)
私の場合はキャラだな。

それで、明治天皇がどういう人かを知りたかった。
何をしたとかウィキで出るそういう知識でなく、もっとキャラな部分ないかと。

そしたら、ドナルド・キーンが残してました。
「明治天皇を語る」
ありがとうキーン先生。アイラヴユー
しかも、同じ事を考えたらしい。人間的な部分無いのかと。
おお!

すると色々出てきまして
まず明治天皇は

お刺身が食べられないww

あと
風呂が嫌い
(うはあ)

アイスクリーム大好き!(笑)
アスパラ大好き


うわあ。攘夷とか言ってた奴ら
何なの。

お酒大好き!
大酒飲みだったそう

音楽も花火も、晩年は映画も
退屈が嫌い、面白がり。

字が下手。基本「ぼっち」

嫌いな人物は陸奥宗光、尾崎行雄。
あと、乃木は「片思い」みたい。

贅沢嫌いで割とラフ。
でもダイヤモンドと香水は好き
(乙女かよ)

血をみるの嫌い(公家やなー)



送られてきたプロットは
天皇としての威厳、威光てかんじだったんですが
これは違うなと思ったんで

おちゃめ愛されキャラに描いときましたぜ!
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夏コミ合わせ

2019年06月20日 | 雑記
印刷所の予定もはっきりし、夏コミ新刊制作に入りました。

仕事の方は7月入稿分を全て6月納品にしたので、がんばってやってます。

さて、次回
宮崎八郎。それと、お浪。
あんまり有名ではないのでなあ。
全く無名でもなくて、ドラマではごくちょろっと脇役にいたりします。

結局、熊本ではもう一方の実学派の熊本隊の方が、後に熊本の公立高校を創ったり、地元企業関係で出世しているので、協同隊の方はイマイチなんだと思います。(漫画向きではあるんだが)

自分はこう考える、というのはいつも
短絡的な人からは誤解されて叩かれたり、下手すれば命すら奪われる。って知っているけれど

今年は板垣退助の没後100年にもあたります。
(コミケ前に品川神社に行こうと思う)

私の中でも、考えたり思ったりした事を言える自由が死んでいないといいなと思いながら。

二次創作だと、最近はどうも自分
「皆さんに喜んでもらうため」を意識しすぎてしまう部分があって。
あと、広告だと自分で自由にシナリオ書けないし。
ちょっとだけ、自由にやってみたいです。
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サイト更新しました

2019年06月04日 | 雑記
個人サイトってジオシティーズ終了の時
削除とか、その他放置も多いんだけど

あんまり更新しないままちょいちょい体裁をなんとかしてる感じです。

サイトトップにも書きましたが
ここ当分は「田原坂46」の歴史オリジナルで出てます。
更新もこちらをメインにしていくとおもいます。

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関西コミティア楽しかったです

2019年05月26日 | 雑記
暑くはあったけど、しのげる程度でした。
ありがとうございました!
盛況でした!



例のとらのあな便
結局、委託はしませんでした。
しばらくは自家通販のみにします。

うーん。見たらあんまり?
委託してるサークルより委託しない搬出の方が多いし?
いや、周りはともかくなんですが

ていうか在庫を送ったはいいが
次のイベントへの搬入どうすんのさ。混雑する時そんなのパッとできんにきまっとるよー。
で、
やり方よーわからんかった(x_x)です。

それからあれだけ会場で
「在庫が一旦倉庫に保管になって家にはすぐ届かないんで、新刊は手で搬出」
と思っていたにも関わらず!
全部箱に詰めちゃった(^-^;
アホか自分。

てなわけで
通販は在庫戻ったらです。

それと、いつかイベント販売、スマホで電子マネー決済出来るようにしたいです。
楽天ペイとか見てるけど
まだ送金に慣れてないんで、しばらく練習。
小銭のやり取りの方が早いうちはダメだわな。


とにかく今は
義務感でやるのはタブーにして
楽しいだけにしようと思う。

個人的に苦手な事があります。
数の見える比較とか、過度の競争。
そういうのが得意で大好きな人はそうすればいいし
苦手意識あるのにわざわざやんなくてもいいかと。


1話完結させてはいるけど続きモノなんて出していいのか?
と思ってたら、そういう形式のサークルもあったり
自主制作映画や音楽や
創作の幅広さを感じます。
いろんなものにアンテナはってる雑食度高い人が多いかも。

イベント参加は
いつも出れるわけでなく、
健康、周囲の理解、経済的事情、時間、メンタルヘルス、自分の創作の都合とペース、
実は様々な条件を満たさないといけないので、出れるって幸せな事ですよ。
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時代をゼロから始めてみた

2019年05月02日 | 雑記
令和一発目。

平成の時は、なぜあんなにも自信がなくなってしまったものか。

きっと、ネットの登場で
それまでは気にもしなかった
私の知らない人の「声」を聞いてしまい
世間でも「空気読め」が流行り、
周りに常に気をつけてないと死んでしまうような…
なんかそんなようなことがあったかも。

揚げ句、何かを発信しても
そこに資格とか根拠を求められたり。
誰でも気軽に表現できるようになったのに、逆にハードルだけは年々上がり、二極化し、
ノーマルモードが選べないゲームのようになって行ったかもしれません。


でも、少しやり方を覚えました。


暇な時にダラダラ他人の意見を見ない。SNSで悩むくらいなら、気にしないで発信し続け、その間はきちんと書かれた書物を読もう。
いろんな意見はあっていいが
それがもし自分を傷つけたり、落ち込んだりするのなら、そこからは離れよう。
そして、自信はともかく
やりたい、やらねばと思うものは
どんなにアウェーであろうと
勇気を出してやってみよう、
何か開けるかもしれないと思った次第です。


あと、とらわれない活動がしたい。


今の私は
広告その他の受注生産もやめてしまいたくはないのですが

以前のように、二次創作/コミックシティを含めたイベント活動をすると、どうしても新刊まではムリだったり、
同人誌とはいえ締切に追われたり
トレンドはそれなりに気にしてしまったり
上手くいかない自分に苛立ったりするだろうから

のびのびとしたスケジュールの所で、本来やれていた事をやる必要があるかも。


より無理せずに楽しめる方法を選択します。
今時は同人と言っても選択肢は増えたので

形式にとらわれずやりたいようにやろう、と思います。



新刊はコピー本
頑張って作りました。
難しかったです…









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