ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮、同人誌の話他

まず生きているだけ運が良いよね

2024年05月21日 | 雑記
自分は「ポジティブ」て苦手な方です。
あれは基本、親から愛され可愛がられてる必要があるとかで
だったらどっちかと言えば否定されて育ち、機能不全家庭な者にははなからムリだと思ったから、諦めました。

しかし
だからといって、ネガティブを肯定してどうすんの。

定期検診クリア!と思ったら
精密検査の連絡が来て
「え…」という感じです。
自分ではちょっと怠いな、位で
こんなもの更年期なら当たり前。

HSPでビビリ+ネガだから
不安で凹んでまた愚痴っぽくなってしまいました。すいません。
怖がりなんで検査嫌いで
検査だけでストレスなんです。

けれど
1つ間違いに気付きました。
それは
もしかしたら自分はどこかで
努力したら、頑張ったら
その先は報われる筈だと思っていたフシがあります。

歴史を学んでいながら
バカだったわ。
努力は実は報われない。
何をもって報われたと言うんだろう。
推しの歴史人の誰が報われたんだろう?

将軍で英雄の乃木希典か?
総理大臣になった犬養毅か?
華々しい活躍の福地源一郎か?

芸術家なら?

頑張ったから点を入れた
頑張ったから魔王を倒した
でもそれは漫画だから、良い所をクライマックスに仕立てるからで
「葬送のフリーレン」ではないけれど
人生はその後もある。
山あれば谷はあるわけで。

だいたい報われるって何なのよ?
とも思いました。

報われたかどうかなんて
数字じゃないなら
誰かがいてくれるだけで
もう既に報われてる。


今すぐ入院だと言われたんでもなく
まだ全然動けるし。
やれる事いっぱいあるし
まず生きてる。
運は良いじゃないか?と。

頑張ってるからスムーズにいかないんであり
頑張ってる「のに」ではないです。


ならばもうそこも見込みにして
仕方ない事は仕方ない、
諦める諦めないではなくて
報われるかでもなくて

やれるならそれをやるだけではないの?
それが自分の価値かもしれない

と、思ったら
なんか元気出てきました。

何事も、どうなろうが
変わらない自分とか
そんなものを再確認したかも。

ムリはしないけどね。
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近況、雑感と読書週間

2023年10月29日 | 雑記
秋で良い天気です。
でもあんまり出かけずに近所のコメダで読書してますけど。

秋というのは
「ヴィオロンのため息の」
ヴェルレーヌの詩ではないですが、ちょっと夏の疲れでセンチメンタルになりやすい…。

父が他界して半年経過しました。

父は35年くらい前まで、事業(書店と教材販売)を営んでいましたが
世間の波に勝てず、4000万円ほどの借金を残しました。
ああ、これが遺産だったらよかったのに(笑)

当然ですが亡くなったらその借金は
親族に降りかかります。
それの相続放棄の申立てをしなくちゃいけない。
それも熊本の家庭裁判所を通してということになります。
まず悲しんでいる場合ではなく
弁護士を通して書類作成、提出
それと並行して、実家の片付けに葬儀、初七日、お墓はどうする初盆は…(バタバタ)

夏はなぜか仕事が立て込んでしまったのもあって
弟の家族や弁護士さんその他のお力添えのお陰で(非力すぎて本当にすまない><)
なんとか乗り切りました。

やっと乗り切った所で新刊も準備、
という時に今度は新型コロナ感染騒ぎでした。

なんかちょっと疲れたな、やれやれ…で
休んでしまうと、今度は「忙しいから」で蓋をしていた
受け止めきれなかったものが表面化してきます;

葬儀の時は親の死って「こんなもんかな」って思ってました。
「うちは浄土真宗だからすぐ成仏」とか言ってたもの。


先日のイベントで、歴史サークルで出ているせいもあって
「うちのおじいちゃんは南満鉄だったんですよ」と言ったら
お隣サークルさんから「お嬢様じゃん!」って言われました^^

祖父はかなりの「役人」「軍人」で厳しかった。
芸術のげの字も無かったような。
むしろ嫌っていた。
それに反抗したかのように、
戦後の高度経済成長期を生きた父はギターを弾き
文学青年であり、ちょっと油絵なんかもやっていた様です。
だから漫画を描いても叱られませんでした。
(今でこそ大学で漫画教えたりするけどね!昔は漫画は不良がやるものだったのよ)

小さい時に、熊本の城下町の、町家を改造して作られた書店の
奥にある在庫の、売れ残った在庫
ヘルマン・ヘッセもあったしポルノもあったw
教育には全くよろしくない所で育ってしまいました。

父は一部の親戚とお金のことで揉めてしまったり、妙な詐欺にも遭ったり
再婚したせいで実母の実家とは疎遠になったり
借金取りの電話に怯えたり、色々ありましたが

「熊本で書店をやる」というのは昭和時代までは
とても大事なことだったんだなと
最近あれこれ研究し出してから感じたことです。

さて時代は進んで、徳富蘇峰らを出した
ジャーナリズムはどこ行ったのか
書物は…
今ではネットでダウンロードです。
いやはや!21世紀だなあ。

父と母はもうこの世にいませんが
本というのは「単なる物販であってはならない」と教わりました。
(まあそんな理想のおかげで商売が上手くいかなかったのかもしれませんが)

読書の秋。
読書週間です^^

時代から時代へ、心のバトンを繋いでいく
人の魂が健全でいられるには
世の「まやかし」に従ってはならないのだと思います。

その眼力は、読書で培われるんではないでしょうか。

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未だ自分の家への道順がわからない、という話

2023年04月19日 | 雑記
先日、父が亡くなりました。
が!
とうとう熊本駅から実家までの道順がわからないままw

継母も特養に入るそうなので、
まあ今まで入居していた物件どうなるのか
解約の問題でちょっと色々あるようですが
弁護士入ってるので大丈夫でしょう。

家までの道順がわからんというのはですね;

私が生まれた家は祖父の土地に建っていたので
父が事業倒産した時に土地も家も抵当に入って失ったのですが
その頃もう私は実家を出て大阪で働いておりまして。
まだ存命だった祖母と、継母と父とで、賃貸アパートに移ったのです。

それが結構駅から遠い…

前住んでた実家というのは、駅まで歩いて行けたんですよ。
石光真清の生まれた家まで超近所。

それが引っ越したら、子供の頃はあんまり行った事がないとこで
いや正直「全然知らん」とこでした。
結局、父が元気だったときは車で空港や駅まで送ってくれていて
元気でなくなるとタクシーで行ったわけで
「自分の足で行ってない」のです。

タクシー使っても自分で行ったことになるのか…?

要は家から駅までの道程てやつを知らない。
Googleマップとか見て行けたのかもしれないけど。

実家が別の場所になって以降、あまり頻繁には帰れなかったのもあり
何度も「あれ?駅からどう行けばいいのか…道わからん」という
夢を見ました^^何度も。
途中で道が塞がってるだの、道が地中にめり込んでモグラみたいに進むだの
(まあ夢ですから)

結局、どうしたかというと

GoogleEarthで辿る!実家までの道!(笑)

便利だなー。疲れねえなー。

もうこれで、家にたどり着けないという夢を見ることはなくなるのでしょう。

今住んでるとこが実家だよ。
駅から若干遠いけどな!(歩ける)
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SNSにおける世代間での「自虐ネタ」とコミュニケーション構造

2023年01月16日 | 雑記
先日、正月のテレビ番組で明石家さんまさんのトークを聞いていまして
ふと気づいた事があります。

「もしかして、バブル世代より上の世代は自虐ネタ多い?」

そういえば…昔は同人誌におけるゲームレポなんて
「攻略」ではなくて「こんな失敗をした」というのをネタにした本は多かったです。
今のSNSで育った世代からは
「意味不明」とドン引きされるのかもしれませんが
わざわざ、自分のダメさでアピールしていた…ような気がします。

最近は、ゲームで失敗したなんて侮蔑すべきことで
「謙遜」「能ある鷹は爪を隠す」とは真逆です。
ゲームもソロでやるものから
「ジャンル知識を網羅した上で強さを極めたヘビーユーザーが尊敬される」
特にマルチ、オンラインが進んでからはそうなりました。
「ゆるくてへっぽこなゲーマーで」なんて言えば
「そんな人はついて行けないんで。辞めたらどうですか」って返ってくる。おいおい。
「(笑)」ってつけないといかんのですかね?
ゲームは既に遊ぶものでは無くスポ根だ…。


今の私の周りの20代(仕事先や親戚に限ってしまいますが)
完全にSNSありきで育った世代は、自分がいかに優れているかをアピールする
「自己顕示世代」です。

SNSには「いいね」ボタンがついています。
これは外したくても自分で外せない枷です。
いいねを目に見える数値でいかに獲得したかはステータスです。

一方、SNS無き時代に育った世代は
親や先生からは厳しく躾され、競争させられていただけに
人間関係をうまく築いていくにあたって
より「嫉妬されないようにする」必要がありました。
今時よりも幾分「密」な関係性の中では
いかに自分がダメかで、相手に対し「あなたの敵ではない」 と
安心してもらうほうが良かったのです。

視覚を伴わない言語表現のみでの話になりますが
いずれにせよ、SNSに浸かりきった人ほど
「自虐ネタはウザい」と感じるのではないでしょうか。
それに対してどうリアクションをしていいか解らないからです。
「良かった自慢」には「いいね!」できる。
日常でも同様。「ええ〜スゴいです!良いじゃないですか!」
でも、「失敗した」って、何て言えと言ってるの?まさか「ざまあw」じゃないよね? 苦笑しかできない、どうしろと…


最初から「同じ」を共有できて、表情を伴う音声会話をしていた
バブルより上の世代と
価値観が多様化した中で音声表情はない「情報」から何かを共有していかねばならない世代とで、コミュニケーション構造が変化しているのではないでしょうか。


SNSでは不特定多数に「見せる」必要がありますので
「文脈」は寸断されます。
このような人物(既知)が、これをこうしてこうなった、だから失敗した
という流れが消えて誰か知らない人が「失敗した」部分だけ切り取られる。
しかもユーザー、見る人は全て一人の「批評家」です。

そうすると大多数の批評家の前にわざわざ「悪い」を提示して「いいね」を求める
目的が解らなくなるわけです。

コミュニケーションに必要な安心感が必要なら
ミュート、ブロック(これは昔はリアル人間関係では難しかった)
あるいは例えばオタクの間にある独特な専門用語、テンプレートなどを用い
自虐とは別な方法で先に「あなたの仲間である」を「見せる」
必要があるのでしょう。


もしかしたらSNSの登場は
思っている以上に、日本人の精神構造、特にユーモアや笑いの構造を
変化させているのかもしれないです。
それが決定的事実なら、「お笑い」の内容も時代の変遷で変わるわけで
バブル時代なら爆笑だったものは、今は「困惑」になってしまうのではないでしょうか?
どうなんでしょうね。

と、そんな風に感じた2023年のお正月でした。

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意味の消費と残念なコラボ

2022年12月13日 | 雑記
シンボルや象徴とポストモダンあたりを学んでから
もう随分経ってしまいました。
いくら勉強したと言っても、すぐに世の中は変わっちゃう。
既に昔は「未来」だった時代に生きてるなあ、と思いながら
2022年も暮れようとしています。

最近仕事でいただいたプレゼン資料の中に
現代は意味の消費の時代である、というのがありました。
これについては「オタク」というのは「大先生」なのです。
世の中がオタク化したというとまた語弊がありますが
二次創作もコスプレもグッズも全て、オタクを繋いでいたのは
「意味」に他なりません。

企業側は人気を利用しようとして
「人気あるキャラクターのグッズを出してコラボすれば売れる」
と単純に考えがちですが
これはいささか甘いかと思います。

確かにお気に入りのキャラがついた商品は、その時は売れるかもしれない。
しかし持続はしない。次ヒットの作品を狙う。
単に「売れてそうだからコラボ」と考えると
その意味を知らずにローンチした場合、下手すりゃ返品在庫の山になります。

童話に「オオカミと7匹の子やぎ」の話がありますが
オオカミ(収益を上げたいだけの業者)がいかに手に粉をつけて声色を真似しても
子羊(消費者)は「つられるか」と見破ってしまう。

「合言葉を言え」
お前はそもそもこの作品世界を理解しているのか?
「好きですよ」なんて社交辞令で言えるよね、
「うちらの好きを利用して稼ごう(そしてオタクは結局搾取される羊だとして軽蔑しよう)」という連中なのか、
それとも本気でその世界のアイテムを具現化してくれる仲間なのか?
子羊はそう思うでしょう。

相変わらず上の世代の経営者には
「コラボで稼ぎたい」が、「オタクなんかはダメな人間」という方はいます。
しかしこの考えは既に20年前の旧人類のものになりました。
なぜなら、意味を理解した象徴交換に関してはオタクの方がずっと先進的で
今、世界を見渡せば、ITの発達によって
どうもそちらに動いているという空気を感じるからです。
今後はより個人的で、より自由で、よりイマジネーション豊かな世界が求められると思います。


何が創られ、我々が何を重要として欲しがるのか。
「竈門炭治郎の絵がついてりゃバカでも買う」と思うのが残念なコラボです。
逆に緑と黒の市松模様、あれはシンボルとして
著作権論議にまで発展してしまった。

個人での通販「スズリ」あたりは全ての商品にドラマ性を持たせましょう
というような「ご指導」が入るのですが、さすがに過度なそれはそれで鬱陶しい。
最初からそれを当て込むというのもいささか本末転倒です。
まず先にあるのは自由にキャラクターを育てたり
クリエイターが素直に感性を出していくことではないかとは思います。

キャラクターというのは創られた何かではなく
「別次元の実在」
さてそこまで思い切れるかどうか。
それを狂気のように見做すなら、安易な「コラボ商品」はやめたがいいのでは
と思います。


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「物」の世界

2022年09月12日 | 雑記
久しぶりに日本橋へ行きました。
デジタルグッズ調達しに行ったんですが
「ボークス」とかにも寄りまして

裏通りには激安パーツや無線、
アナログレコード、カードダス店などもあり

もちろんガンプラも。

オタクなら大体ここで解決する…
「物」の街でもあります。

ここに羽生選手も来たという
ヘッドホンとイヤホンの専門店があるんですが
そこの店、ひとつひとつに
手書きでポップが添えられていたのです。

なんかちょっと感動。
デジタルの街だし、デジタルで作成して出力とかできたはずで
いや、でも良いですよ
手書きポップ…

というわけで
うちもやる!ことにしまして


効果あるかは知らん!
ただやはり

オフラインのイベントはライブ。
「楽しい」が前面に出ればよいちゅう事で。
9/19 京都パルスプラザ
頑張ってみます。

全然関係ないけど
最近3D CADを習ってます。
漫画に使えるかもしれない?
まだ茶碗作るのにゼエゼエ…エラー連発ですが
(PCが古いからなあ)
なんか超楽しい。

これは出力してなんぼなのでしょうね。



日本橋で「モノ」の感覚を吹き込まれて
フィギュアの素体だけ買ってみたり(いつやるんだ)

アナログ、というより
「物」か「データ」かって事ね。
漫画なんかもうデータで入稿して電子書籍で全部出せますが

「手」でやるものって楽しいかも。
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おのれ金峰山!

2022年07月06日 | 雑記
今回の新刊、裏表紙に田原坂周辺のマップを入れておきました。
実際の縮尺でGoogleマップを下敷きにしようとか思ってたら
難しいので、あくまで「略図」です。

それで

ああ…いらんこと思い出してしまった。さすが故郷。





この「金峰山」と言う山に「少年自然の家」と言うのがあって
小学生の時にキャンプ合宿で行くのですが。

班長さんが別の人らと大声で話するのに夢中で
私の指がドアの蝶番側に挟まれてるのに気づかず
ドアをずっと開けたまましゃべっていたのです。
「ドア閉めて!」と言ってるのに
隙間にギュウギュウ挟まれる指…
生まれて初めて「血豆」を作ったという。

保健室はあったので大丈夫でしたが

問題はその後で、保健室に行って治療してましたと言うのに
教師が聞いてくれず
「なんでお前は団体行動を乱すんだ!」
の一点張りでした。
(軍隊教育だなあ)

いや、まず5〜6人以上の団体行動は割と苦手です。

ドラクエのパーティーが四人なのは理由があると思います。

みんなに合わせ、皆の声が自分の声でなければならない
それを協調性という

う〜ん
大人になった今はそうだね、と思えるけど。


夏休みはまだ先だけど
旅先でのケガには気をつけましょう。

そして団体行動って
団体であるが故に見落とす、気づかないこともあるので

「常に大多数が正しい」
かどうかは

自分で考えた方がいいぞ。
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水墨画チャレンジ! その3

2022年03月24日 | 雑記
水墨画チャレンジその3

ようやく筆に慣れてきました。

さすがに10年のブランクは最初、自分にイライラ!!しかなかったのですが。

まず、アナログにかかる時間よ…
「デジタルならこんなもん一発」が緩やかな時間の中にある。
でも実は、その時間はとても大事なのではないか
なんかそんなことをジョン・ラスキンが言ってたかもと思います。
詳しいことは忘れたけれど。

とりあえず近場のもので描こうという。
(寒かったから川に行くのやめた)

で、
スズメ。

紙は結局
「障子紙の裏」です。入手しやすいから。

あんまり高いと練習できない。
吸い込みの強い和紙買ってみましたが、扱いづらすぎました。
だいぶ上級者用かも。

濃い部分描いてから薄墨です。
頭部分は「たらしこみ」でやってみました。



あれ、でも
濃い色から描くんだったか??
ぬ?
水彩画と逆かも…?


というので水彩でも描いてみましたが


スマホ撮影ですいません。
スキャンすると全然色が出ない悲劇w
 
そういやそうだった…家庭用スキャナーなんぞ性能は知れてるわ。
(しかし何度同じ道を…それでアナログやめたんでしたね)


やっぱり水彩と描き方の段取りは逆かもしれないです。

水墨画は「居合い」に近いものを感じる;
集中力と勇気がいるのよ。

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平和が好きな不良

2022年02月25日 | 雑記
今年のイベント参加どうしようと思っていた時、飛び込んできたウクライナ侵攻のニュース。
話というかTwitterの不安はどんどん膨らみ、次は日本だみたいな。

何かある度、必ずやってくるのが
「不謹慎」という言葉です。
また何も描いたり言ったりできなくなるのかもしれない。

日本人は明治の表現規制以降、まことに
規制が大好きで、上から報道規制なんかはしなくても自主規制するんです。
お互いに監視しあってしまう。

私は小さい時は両親と接した記憶は数えるほどしかなく、ほとんどは祖父母に預けられていました。
厳しい軍国主義の人たちで、痛いと言っても聞いてはくれない。
今時みたいに、「描いたから見て〜」なんて言っても、褒め言葉なんか来るわけない。
ムダをやったら叱られる、漫画なんかろくでなしの所業。

で、いつしか、「なぜそんなに漫画は弾圧されたのか」なんかも調べるようになりましたが。

戦前の事は祖母からよく聞いていました。戦争はイヤだとは一言も言わなんだです。
ひたすらペシミズムと諦めと
わけのわからない言葉の暴力。
今時なら虐待だのアダルトチルドレンだの。でも戦時中アタマの人らには、暴力否定の方が「何バカ言ってるんだ」だったかもしれない。

でも唯一、自分が全力で呼吸をしてもいい場所として
漫画があったかなと思います。
まあ昔は不良がやるものでしたが。

コミケ合わせ新刊、
シリーズ其の六の巻末に書いた言葉は
修正しないでおきます。

他は何やってもダメっ子な上
生きるの下手くそすぎなんですが
創作するのは辞めないかもしれません、ごめんね。

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アナログ回帰その4

2022年01月31日 | 雑記
どうしても墨が黒くならないのは何故…

そもそも昔、習字は習っていたんだが(母方の親戚に書家がいた)
フラッとやめてしまったのですよ。
漫画以外のことはあまり続かないまま人生を送ってしまった。

そうそう、等級が上がらないうちはみんな墨汁だったし。
漫画も最初は墨汁。昔は「薄墨不可」で
今みたいにスキャナーだのグレースケール印刷だの無い時代でしたから
完全な2値のモノクロ原稿こそ美、でしたのよね。

前回購入の墨がですね
まあどんだけすっても
薄墨にしかならない…

疲れやした…。

これは多分、ダイソーの硯が悪いんでは。
プラスチックでツルツルしすぎ…

という事で、お習字用のを買ってみました。

おいいいい!!墨池どんだけ広いよ! 
うええ;今のはこうなの?
墨汁専用ではないか!

とおもったら


なんやて?!!リバーシブル? ひっくり返すのか!!
こうじゃよ。
裏は墨をする人仕様です。ざらっとしてます。おおお。
そうか、墨汁で書くならDAISOのツルツルのでも問題ないですものね。



無事、黒くなりました。
墨の方は100円均一でもあんまり変わらないみたいです。
若干、400円くらいの方が柔らかいような。気のせいかな。

墨絵ではイッパツ筆での濃淡が必要
でもなかなかうまくいかず、あれこれ試したところ


書道では紙を回すのはタブーだろうけど
絵だしなあ
まあいいか。
そういう流派を作ってしまえば良いですわ。


紙は画用紙だと途端に「グレー水彩」になってしまうようです。
試しにまたDAISOで書道用半紙を買ってみました。

筆運びや滲み具合はやっぱり和紙がとんでもなく良いです。
筆には和紙なんですね…
ただし、書道半紙はあまりにも薄いので
保存するなら裏打ち(補強台紙に貼る作業)しないといけないです。
これなんとかできんかね。

それか厚めの和紙か
洋紙ならワトソン水彩あたりか…

京都に紙を探しにいくまでは
DAISOの落書き帳。
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アナログ回帰その3

2022年01月26日 | 雑記
出した絵の具やカラーインクのチェック。
さすがに月日は侮れない。
殆どの絵の具が固まって出ない。
方法が無いわけではないですが
も、もったいない事してしまった…

アイボリーは使えたんで
黒だけで塗ってたら

なんか逆に?水墨画とかいいかもしれないと…清親の模写やら、やってみました。

しかし、どうもアートインクでは
のびが良すぎて難しい。
上質紙に墨汁インクの世界ではないのやね。

というわけで
100円ショップで
墨と硯をゲット

すぐ飽きるかもしれないから
本格的なのは手が出ない。
上手くなったら買いましょう。

先日の美術史学会のオンライン会議で
明治期の絵手本、粉本教育についてやった時、当時の教本見せてもらいました。

なんかとにかく人間描く前に
自然物だったわ…

やってみた。



激ムズすわ。

墨って
なかなか濃くならんのね。
安物だからかなあ。



グレー入れてから濃い黒を重ねてはダメ
なんだろうね。

早く人間を描けるようになりたいが。
ちょっと練習。

紙もDAISOです。
まだ高い紙にイッパツで描く自信無いから。
今まで下書きやりまくりで、しかもレイヤーをオフにすれば楽勝だったデジタル世界にいたので
下書き無しは緊張しますなあ。

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アナログ回帰その2

2022年01月12日 | 雑記
年末に厳しい仕事に追われたせいか、
どうも…
「パソコンの前に座りたくないよ…」

寒いとか老化もあるんだろうかw
集中力は無いよ。
久々徹夜したしなあ。
コミケ行ったけど通常どおり人は来なかった上、雪で超寒かったとかも…
変更点が多いわりに電子決済などは上手くいかずじまい、そこにまたオミクロン株だ。疲れたのもあるかも。

で、SNS時代はこれもまた厳しい。
しょっちゅう洪水のように流れてくる名作力作の数々、バズり絵の数々に
なんか焦るだけ焦ります。

今時の若い人は皆上手いなあ、
自分なんかゴミやわな、
でも〜まず冷たい液タブを触りたくない
などと、
ちょっと重さを引きずりながらすごしてたりしました。


疲れたら別の事!
疑問を持ったら逆ベクトル。

つ〜わけでとりあえず

インク買いました。
ちょっとテンション上がったわ。

アートの漫画インクと
アイシーコミックインク。
ずっと置いてあったパイロット製図用インクはさすがに使えなかったです。なんか固まってゴムみたいになってました。

久しぶりだし
このさいインクの銘柄を変えてみました。

15年くらいペンで描いて、その後15年位デジタルでやった事になるのか。
なんだか丁度、過渡期を通ったんですね。

何を描くにしても
液タブとアナログでは力の入れ具合が違うので、古い紙あるからリハビリします。

フラッシュとかカケアミとか
まずはタッチから。
アナログに戻ったら
アンドゥが無いから失敗が怖いけど
失敗しても大丈夫、紙はあるから!
ぐらいの気持ちです。






やっぱり紙は広く感じるというか
視野的な問題でしょうか
腕の可動領域も広いし、気分的には楽。
まるで実家のよう。
アウェイ感がない。

SNSも、何がなんでも上げなくちゃいけないわけではないしなあ。
その為の個人サイト。
コロナ次第だけどオフのイベントもあるし。
少し遊びたいです。


田原坂46の方は始めてから
ずっとデジタルだったけど
(台風の被災のせいで賃貸暮らしで全く場所が無かったんで仕方ない)

今年はアナログでもやりたい。
よし、なんかぐるぐるしてきたぞ。

まだ準備しただけだけども!
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想像力の無い人たちを相手に仕事するということ

2021年11月27日 | 雑記
明日の名古屋COMITIAおやすみします。

以前、1pも描けない(ネームすらできない)
っていう苦しさの中にあったので、朝から晩まで描けるというのは
嬉しい地獄峠なのですが;

同人誌というのは「漫画オタク」漫画が好きであり
その表現がどんなものか、漫画のルールやマナーを知っている人らが相手です。
だから、同人誌はとても読者に恵まれた、暖かい海のようです。

しかし、広告は漫画オタクでない人ら
下手すりゃ忌み嫌ってきた「リア充」「陽キャ」相手。
昨日も電話で担当が「ストレスで胃が死ぬ」っていうてましたが
要するに、漫画をミリとて知らん人は多いです。

そうするとまず何が起きるか。

1、「ネーム」「下書き」「線画」の区別がついてない

厄介です。ネームというアタリでは理解してもらえず
「ここきちんと描いてない!なんでこんなに下手なんですか。なめてんですか」
いやそれ設計図だから…設計図見て「できてない」とか怒るのやめて…
マジでいるんですよ。それも結構複数経験ある。


2、漫画のお決まりの省略が通じない。

例えばありがちなんですが、ギャグ場面で手を丸、ドラえもんの手のように描く。
これを想像力の無い人間はどう見るかって(漫画好きにはあり得ないんですが)
「なんでこの場面は手が丸いんですか?障害者のようなのでやめてください」←(ちなめっちゃ差別やん)


例えば、無表情を示すのに顔を描かない
「なんでのっぺらぼうなんですか?全て顔を入れてください」
(泣く泣く背景モブ全員に顔を入れたことあります)
普通は省略するって手塚の入門書にあったんだけど通用しない。

他にもいっぱいあります。「金払ってんのに」でしょうが
漫画は一応計算して省略化するんだけど、理解してもらえない。

3、漫画ルールが通じない

もうね、まず「アニメ作ってください」に始まり
「100ページ、二週間で!」
「全コマバラバラにして」

回想場面で枠線を黒にしたら「白にして。なんでここだけ黒いんですか!」
モノローグ(書き文字)「吹出しを描け」
「なんで突然子供になったんですか(ちびキャラ)? ここも八等身で描いて」


もうね、いちいち「ええと、漫画では」って説明すんの疲れて
それで一時期、鬱になったわけです。



学んだことも多いのですが
精神的に壊れた部分はその3倍あるぞ。

だから同人誌はやります。
険しい山歩きばかりより、自由な海で泳ぎたいから。



















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アフターコロナの関西コミティア

2021年10月17日 | 雑記
「アフターコロナ」とかいう言葉、よく聞くようになりました。
アフターコロナで開催された、2つのイベントに参加してきました。

1つは、京都国立近代美術館の講演会です。開催中の「発見された日本の風景」展について。
明治の外国人による日本の風景画や、
それに学んだ日本人画家の風景画。
あのポンチ絵漫画家のビゴー、ワーグマン、小林清親の本気絵、油絵や水彩画の展示。
いやあ、初めて見ました。スゴい!
しかも「やっぱりワーグマン 」的な部分もあって感動。
展覧会は作品点数286という…多!見るの大変でした。
今、川瀬巴水と並んで人気の新版画、吉田博の油彩水彩作品もありました。

講演会の方は満席で20位で、参加者15人位。リモートでYou Tubeでも配信していたようです。
お話が尽きなくて、2時間で終わりませんでした。
海外の画家紹介で終わってしまった。
この展覧会は、かつての日本の風景へなノスタルジーも無いわけではないですが
それより、当時日本に滞在した外国人が、日本のどのような部分を美だと捉えたか、それを受け継ぎ、日本の美を海外にむけてアピールした画家らが
どんなものを美としたか、みたいなものでした。
会場を出るとバス停で「日本の昔の風景見たってねえ」とおっしゃってた方いましたが、そりゃ京都に住んでたらそうかなあ。

西洋では、上に立つ者(貴族)とかは美しいが労働者は悲惨陰惨
ところが、幕末明治の日本人は労働者ほど美しく楽しい、
子供なんか世界一可愛いと言われていた。
川端康成なんかを読んでますと、もう昭和初期にはかなりブラックで
プロレタリアートの憤怒が渦巻き、子供も不幸という
かつて19世紀末に西洋が体験したものをトレースするんですが
幕末〜明治はまだ「タブー」が少ないのです。


そして今日は、京都で開催された関西コミティア。
ウチは1月のに出ておらず、春は中止。実に久しぶりでした。
ブランクがあって…ポスターが無い。
絵葉書サービスとかも無しで…
あれもダメ、これもダメかも…それより感染対策をというので
本調子にもなれず、どこまでOKなのか顰蹙でないかキョロキョロだし
元の世界には戻ってないかな。

そんな中、立ち止まって下さった方、買って下さった方ありがとうございました。出会いが嬉しいです!

さて、そんな状況の中で最近
「サステナブル」という言葉もよく聞きます。

何かを「どうしたら続けられるか?」

時代が変化して、あれこれと禁止は増えて
今まで通りに行かなくなってきた上で
「自分」を貫いて、どうやって続けていくのか。
難しい。

私の出した答えは
「こだわらない」です。
まあ、一度オフ活動をやめたり
あれこれやったからこそ言えるのかも?


明治初期から中期を生きた画家文人は
元は幕臣だったりで、こだわったら自分を持続できなかった。
こだわった人らが西南戦争に行ったりして。
田原坂を抜刀でゲリラ戦で戦っていた薩摩軍の一部は、戊辰の土方歳三よりもこだわっていたのかもしれません。

拘らないがゆえに、そこでの成果を出せずじまいの人が
明治初期くらいには多くいるのですが

福地源一郎についての伝記に「生涯を通じて書いていた」
とありました。
小林清親も、漫画やったり油絵やったりですが
生涯を通じて描いていた。

サステナブルでいくには
「生涯を通してこれをやる」のジャンルのキャパが広いほどいいのかも。

関西コミティアで
「あの、昔どこぞで連載してませんでしたか?」ときかれました。
どっかで出ちゃうのね、自分てヤツは。
「ベタのやり方とか癖ある」だそうです(ギクッ)

自分ではわからなくても自分なのだなあ。

新型コロナ後が完全に元に戻るには時間がかかりそうです。
いや、もしかしたら不可逆を含んで
「完全には修復できない」かもしれない。
なんか人生そういう事多いです(身体にメンタルに人間関係に…)

ならば、どこかでは時代の変化を受け入れつつ
心の片隅に消し去らないでいい風景を持ち続けていこうと思います。




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池袋暴走事故の飯塚さんが謝らないのはなぜか

2021年09月04日 | 雑記
禁錮5年で判決が出た、池袋暴走事故。


「人間だもの、間違いはあるからそれを認めたら…」
「身分や経歴がどうであれやったことに変わりはないし、奪われたものは帰らないんだから…むしろ5年で済むのかよと」
と言う気持ちですが

ここでふと、疑問が湧きます。
この事件も、オリンピックの時の森さんの発言もなんだけど
なんで謝らないの?
謝らないのでなく、謝「れ」ないのか?

戦前生まれって…とにかく謝らない。なんで?

いや、います。いますよ、謝ったら死ぬんかいという男。
頑固オヤジ、昭和時代の男は絶対に、自分より若いやつや女と子供に頭を下げない。


もしかして、これは「反省」「謝罪」という言葉の意味自体が違う?
ものなのかも?

推論ですけど
謝らない頑固者の頭の中では

「謝罪、反省とは」:相手の考えに屈服し、平伏し、服従させられること。
敗北を認めること。相手の下になり、相手の意見に従うこと

なのではないかと…;
もしそうなら、死んだって謝らないと思います。


「反省して」と言ってる側は大抵
「お前を征服してやりたいからこの俺にひれ伏せ」などとは言っておらず
「この痛みを理解してほしい。同じ気持ちになって、気持ちをわかってくれたらそれでいいし、気持ちがわかれば同じミスはもう起きないだろうから。
世の中から不幸が1つ消えるから」
って思っているでしょう。


しかしながら、あの暴走事故の場合
相手とまず身分が違う…おそらく周囲にいた人間の質も違う。


非常に残念ですが私は
「全ての人類が同じ気持ちを理解しあえる」というのは、幻想だと思います。

人は生まれ育った時代、その価値観、宗教、取り巻く環境、常識、文化、言葉
そういうものに随分影響されて生きている。

そして「気持ち」というカードは使用限度が限られている。
同じ空間、同じ世代、同じ空気、同じ価値観。
家族なら「同じ気持ち」であることは可能でも、それが遠ければ遠いほど
「気持ち」より「理屈」でないと話は伝わらない。

だから、人間は理性的に話し合う事を覚えたんでしょう。

私たちは「同じ人間」ではあるけれど、実は断絶して生きているというのが現実だから。

求刑より2年少ないのは
SNSその他で正義の味方さんが
被告に凸してたから、だそうで。
ではそういったネットの正義の人らに
「謝れ」と言ったら謝るでしょうかね。

自分はわりとおっちょこちょいなんで
アンタ間違えたんじゃないの?
と言われたら
あそこまで自信は持てないです。

でも、完璧じゃないからこそ!
謝り方も覚えたのかもしれません。





















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