78年前の説教メモ 2020-08-29 10:20:00 | 日記 1938年頃の父の説教めもをこの夏読み返しています。写メの二行目に書かれたそれは「*」である が解読できない。喉に刺さった小骨を取ろうと1ヶ月くらい 読み返すが牧師でない自分には歯が立たない。京都の牧師にもメールで矢張り「不明」とあった。今朝、所属する教会の牧師に教えを乞うた。文脈からすると「こうでしょうとあった」=「偽」で意味が通るやっと小骨が取れた。一クリスチャンより #78年前の説教メモ « 夏季特別伝道礼拝 | トップ | 新型コロナ禍は時短促進 »
コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます