#マダム路子と品川路子・昭和18年
空爆におびえる日々!
昭和15年に誕生した私の住居は東京都中央区日本橋。
日本橋中洲、江戸時代から商業の中心地として栄え歴史的な
価値と風情は、今でも観光客に抜群の人気。
近所の中州橋をバッグに立つ私のエプロンは、母の手縫い!
国旗がアップリケに。空爆数が日ごとに増えていきました!
よく笑った子だったのに笑顔が消えた!
何もかも物資不足。父のコートを仕立て直して成長しても
着られるように母が大きめに作らったのでブカブカ!
年の離れた従姉。日本橋箱崎町。
空爆におびえる日々!
昭和15年に誕生した私の住居は東京都中央区日本橋。
日本橋中洲、江戸時代から商業の中心地として栄え歴史的な
価値と風情は、今でも観光客に抜群の人気。
近所の中州橋をバッグに立つ私のエプロンは、母の手縫い!
国旗がアップリケに。空爆数が日ごとに増えていきました!
よく笑った子だったのに笑顔が消えた!
何もかも物資不足。父のコートを仕立て直して成長しても
着られるように母が大きめに作らったのでブカブカ!
年の離れた従姉。日本橋箱崎町。
どこもかしこも国旗が掲げられていました!
笑顔の絶えた時代の七五三の祝い。
空襲警報が鳴り渡ると、母と兄弟で防空壕に逃避する日々。
空爆で、昨日まであった家が消失!和やかな日々が恐怖の日々に
変わって行きました!
よく遊んでいた隣組の友達が亡くなり悲し気な顔!
もう日本橋には住むのが危険だと大人たちは、次の避難場所を
考えているようになっていたようです。