マダム路子のブログ 

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品川路子#丹下キヨ子主宰劇団エトセトラに入団!

2025-02-23 19:57:27 | マダム路子の品川路子時代
品川路子#丹下キヨ子の劇団エトセトラに入団!

母は、自分が重度の関節リューマチに罹患、発病当時6歳だった私が、
幼いながら母の介護や家事、弟たちの面倒を嫌な顔やわがままも言わず
担ってくれていた行動を親の立場で感謝をしくれていたようです。

そのため、症状が緩和した頃からは、私のやりたいことにはほぼ何でも
賛成してくれていました。しかし、高校に進学せず、宝塚か松竹歌劇団の
テストを受けたいとその気持ちを母に打ち明けると母は大反対。

なにをするにしても高校退学だけは、断じて許せないと言われました。
当時は女優になりたい熱烈な思いにとらわれていたので、母の強い反対は
ショックでしたが、反面、やっぱりそうだと納得する気持ちもありました。


すでに山脇学園の「演劇クラブ」を中学でやめてから、二つの劇団に入団。
劇団からの紹介で、映画のエキストラや吹込みなどの経験を積みました。
高校2年頃、学園から近い所に劇団が開講されました。

私が目指していたのは、ミュージカルや映画女優になるのが夢!
目指す演劇の方向とは違いましたが、喜劇界で有名な丹下キヨ子さんと
中村メイコさんのお母様との共同主宰なので安心だったのです。。

それに学園から近い赤坂の所在地というのも、肉体的な負担が少ない。
お二人のお名前があるので、メディアでも話題にもなりました。

丹下キヨ子さんと取材をうけました。
私の高校生活は女学生生活と、将来の夢の俳優修業の二股生活でした!





高校生になると、多くの生徒がご法度の前髪を短く切るようになりました。
ただし学園に登校するときは、整髪剤でおさえて隠しました
プライベートではメイクもするようになっていきました。





劇団エトセトラの初公演が赤坂公会堂で開演されました!
私は新婚の花嫁役の主役!観客席は満席!セリフを度忘れした私は
思わずアドリブ!!拍手と大きな笑いが会場に響きました!
切り抜けられたとホットして幕がおりました。

しかし、このことが丹下キヨ子さんの怒りを買い、楽屋にもどり
全員の前でお叱りを受けたのです!




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