何故、あなたはいまのあなたのような人になったのか。今の考え方はどこをどう通ってきたのか。
突然そう問われた。
振り返ると、6.7年前からずっと感じていた違和感。うまくいかない。イライラする。私はこの仕事に向いていない。今の自分の何がいけないのかわからない。
この感覚に終止符を打った気がする。自分のやり方、方法じゃなく、私の立場そのものの意味が違うことや相手の存在の価値や、教育そのものの価値と危険性を根本から考えたときに、あらゆる現実の事象がどこからくるかがはっきりした。
根本から、私は間違ってたのだから。
そう学ぶきっかけは、コロナ禍。あらゆる大人が思考停止になり、誰かの判断を待つ。その判断に不備があれば、叩く。文句を言う。そういう世の中が日本には出来上がっていた。少なくとも私の周りのコミュニティには。
その時に、この社会の一員なのは私だし、この社会を作る大人を育てたのも私。自分の責任の重さに押しつぶされそうになった。
良かれと思ってしてきたことは、思考停止する、言われたことだけをする、裏で文句を言ういい子をたくさん量産した。自分の人生を自分で創ろうとしない子どもを育てていた。
それが、自分の人生の中の長い時間を無自覚に費やした時間なのだとしたら、私の生きる意味とは?と。絶望感でしか無かった。
考えすぎだと人はいうし、真面目すぎると笑う人も多い。
でも私は、事実この社会の一員だし、その社会の一員になる子を何百人にも関わったのだ。その間の1年間に、本当に彼らは自分の人生を生きられたのか。答えはNO。私の敷いたレールを生きさせた。
私の課題意識はここにある。きっとここから、私は海外の教育に目を向け、国内での取り組みに目を向け、今の仲間の中に入り込んだ。そこで知ったことが、絶望の中に希望の光を見たのだと思う。万能じゃない。でも確実に、今は前へと進んでいる。
人は目の前の目標を目指すと、もっと大きな目的を一瞬忘れることがある。時々ここに戻ろうと思う。
職場の廊下で、何気なく私に問いかけてくれた本質的な問いが、私を元に戻してくれた。ありがとう。