アルケミスト

今この一瞬を大切に。明日のことはまた明日の今に考えよう。

なぜ

2022-09-19 07:43:00 | 日記
何故、あなたはいまのあなたのような人になったのか。今の考え方はどこをどう通ってきたのか。

突然そう問われた。


振り返ると、6.7年前からずっと感じていた違和感。うまくいかない。イライラする。私はこの仕事に向いていない。今の自分の何がいけないのかわからない。

この感覚に終止符を打った気がする。自分のやり方、方法じゃなく、私の立場そのものの意味が違うことや相手の存在の価値や、教育そのものの価値と危険性を根本から考えたときに、あらゆる現実の事象がどこからくるかがはっきりした。

根本から、私は間違ってたのだから。


そう学ぶきっかけは、コロナ禍。あらゆる大人が思考停止になり、誰かの判断を待つ。その判断に不備があれば、叩く。文句を言う。そういう世の中が日本には出来上がっていた。少なくとも私の周りのコミュニティには。

その時に、この社会の一員なのは私だし、この社会を作る大人を育てたのも私。自分の責任の重さに押しつぶされそうになった。

良かれと思ってしてきたことは、思考停止する、言われたことだけをする、裏で文句を言ういい子をたくさん量産した。自分の人生を自分で創ろうとしない子どもを育てていた。

それが、自分の人生の中の長い時間を無自覚に費やした時間なのだとしたら、私の生きる意味とは?と。絶望感でしか無かった。

考えすぎだと人はいうし、真面目すぎると笑う人も多い。

でも私は、事実この社会の一員だし、その社会の一員になる子を何百人にも関わったのだ。その間の1年間に、本当に彼らは自分の人生を生きられたのか。答えはNO。私の敷いたレールを生きさせた。

私の課題意識はここにある。きっとここから、私は海外の教育に目を向け、国内での取り組みに目を向け、今の仲間の中に入り込んだ。そこで知ったことが、絶望の中に希望の光を見たのだと思う。万能じゃない。でも確実に、今は前へと進んでいる。

人は目の前の目標を目指すと、もっと大きな目的を一瞬忘れることがある。時々ここに戻ろうと思う。




職場の廊下で、何気なく私に問いかけてくれた本質的な問いが、私を元に戻してくれた。ありがとう。

タイミング

2022-07-30 19:44:00 | 日記
色んなことが、その時必要なタイミングで起こっているのだと、本当に不思議に思う。

今日の私は、あの時何かに駆り立てられるようにある人に連絡をした私でできていて

あの時、ふと思いつきでクリックした自分でできていて

あの時、真っ向から向き合った自分でできていて。

今するしかない、せずにはいられないと心から思って動いたほんの一瞬が、私を想像もしていなかった世界に連れて行ってくれています。


昨日、本や画面で見るだけだった人と、自分の信念を電話で語り合い、自分の思いをぶつけた。電話を切ったあと、不思議な感情に襲われた。
憧れの存在が、日常に入り込むことの喜びと少しの恐怖。憧れの存在が、日常になることの心の平穏。会えて嬉しい、話せて嬉しい、分かり合えて嬉しい、ただ、人との関わりでの、この心の満たされ具合はなんなんだろう、と。

あの時の一歩がなければ、経験することなんてなかったかもしれない。

歩み出したい、と思ったその時に、きちんと前に出ること。同じ志の人が、必ずともに歩んでくれる。そう今では心から信じることができている。

思うに

2022-06-01 22:21:00 | 日記
自分を大切にしない人間は
人から本当の意味で大切にされることはない。

自分で自分に冷たくする人を見ると
私も、きっと同じ扱いをうけるだろうことが予測できてしまうし

そもそも
自分を大切にしない人間に
大切な自分をまるごと預けることなどできない。心は預けられない。

私は
これまでとてつもなく自分を蔑ろにしてきたと思う。

でもある時
私を私自身が誰よりも大切にしようと決めてから
私を粗末に扱う人に対して
私はちゃんと意思を表明してきた。

そんな私を嫌う人もいるけど
でもそんな私を認めてくれる人もいる。
認めてくれる人は、少なくとも、私が心から愛する人ばかりだ。そして私が尊敬する人ばかりだ。

私は自分を後回しにし始める時には、いつも自分にこう問う。
もしも。いま私自身が、私の大切な人であれば、私は何と声をかけるだろう。
私自身を、私が愛する人たちと同じように扱うこと。それが、私が人を大切にすることにも、必ずつながる。

私は、貧しい心がたくさんある。
汚い自分によく出会う。
でもいつも問う。もしそれが大切な人なら。

きっと私は
それもいいと受け入れるだろう。

私を私が受け入れる。
そんな私でありたい。


風穴

2022-05-27 05:08:00 | 日記
先が見えず、突破口も見えず
苦しいと思ったその時に、
風穴をあけたいと
ある人に連絡をしました。

ほんの数年前までは
ただただ憧れ、一方的に話を聞くだけの相手であり、著書を読むだけの人。

なんとか前に進みたいと
ただその想いだけで突き進む私を

この先の国の未来
この先の子供の未来を本気で考え
共に悩みを共有し、支えてくれる
その深い深い愛情に
心から感動しています。

国をよくしたいという人は
社会を変えようとする人は
目の前の小さな苦しみを見捨てず
自分の力をどう使うかを考え
歩みを止めず
我が人生を最大限楽しむものなのだと
そのスケールの大きさと
緻密な計画と大胆な行動力に
圧倒されるばかりです。


私なんか、本当にちっぽけ。


思考の海のような
ものすごい頭と心をもった人なのに
どうしてここまでの共感が可能なのか。
不思議でならない。

私の人生において、心から尊敬する人と出会えたことに感謝すると同時に、彼に恥じない歩みをしなければならない。そう強く感じます。

尊敬する人と
関わりが深くなればなるほど
私の歩む道の精度を上げることに本気にならなければならないし、その思いは強くなります。


何度も思う。
命の器。
私の器は
彼の大きな器に
のせてもらっているだけ。

彼のように、強くしなやかで
一点の曇りもなく
世の中の幸せを思える人間でありたい。
強くそう思いました。


人の力を借りることが必要であること。
私の心身の健康が優先事項であること。
支える人はたくさん周りにいること。
火は、絶対に消えないこと。


私がこれからを生きるのに
何の迷いもない、大切な言葉たちでした。


思いを同じくする者は、必ず交わる。
私が彼と同じ思いであることが
何よりも何よりも
私を支える大きな土台であると思います。


いつも彼は言います。
全ての人に、最大限の尊敬の念を。
全ての人の幸せを大切にしようと。
人は助けを求め合い、認め合わないといけないと。
私たちは、世の中の幸せを実現できなくとも、目掛けていかねばならない、と。


その人を知り、信じ、大切にしようとすることは、こんなにも生きる力をくれるものかと驚かされる。

私はそれを人にしているのだろうか。
彼と会話をし、その心地よさを感じるたびに、私はそれをいつも問い直します。


彼のように
国を世界を動かす大きなことは
私にはできないけれど
私自身を、目の前のことを
よりよく導くことは、
もしかしたらできるかもしれない。
ゼロを1にすることだけならできるかもしれない。

未来を話し合ったこの数時間。
ただ、情熱しかないこの時間。
嫌なことも希望に変え
未来を見ることを学んだ。

世界を見る人の視点は
緻密で繊細で、そして大胆で豪快。
そして何より、優しい。

改めて
たくさんの人とのご縁に
心から感謝します。




ときどき

2022-03-19 09:41:00 | 日記
自分が発した言葉の中に
自分の奢りや
自分の信念がボロボロに出ていて

ふと 蘇って
恥ずかしいやら
情けないやら

反省したとて
自分の信念が同じなら
また繰り返すだけ。



自分の大変さを伝えてくる人や
こんなに大変なんだと苦労を主張する人
とても好きな人なのに、それでもなんとなくモヤついている自分がいやで
一呼吸おいてみた。

自分が自分のキャパギリギリのことをすること。自分が人より苦労をすること。そのことが自分をよりよりものと見られるという訳のわからない信念があるような気がする。だから、大変さを主張する人に、大変だね、頑張ってくれてありがとう、と言えず、自分の中に、いや、自分はもっとここも苦労してるし、あなただけえらいんじゃないし、私だってあなたと同じように苦労してるんだから、と情けないながら思っていた。そして、自分もその人よりもっと苦労しなきゃ、その人より価値がないダメな人だと。

恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。
きっと同じことを私は長いことやってきたはずだから。
恥ずかしくて消えてしまいたくなる。

苦労がその人の価値を表すわけではない。
苦労があるから、その後の成果が素晴らしいわけではない。私が信じていきたい信念は、そんなものではない。

どんなことも、ただ自分の楽しみに変えて一つひとつを楽しみながら、出来るだけ自分がいつも通りの自分を保って、キャパを超えるような苦労なく、スイスイと渡っていく、そんな余裕のある姿が一番の理想のはず。

そういう自分であれば、きっと、苦労してるんだ、認めてくれって言う人に、頑張ってるね、頑張ってくれてありがとう。お陰でわたしはこんなに楽しく過ごせています、と心から感謝が伝えられるはずなんだ。これまで素直に労ってあげられなかったみなさん、ごめんなさい。

遅いけれど、わたしが変われば何かが変わる。いくつからでも自分も自分の生きる世界も変えられる。そして、気付いた今が人生で一番早い。そうやって挫けた自分を励まして、過ぎた恥ずかしい過去は忘れるのみ。


苦労する自分が人の役に立っているという信念は、感謝の押し売りにしかならない。そんなことも無意識にしていたなんて、情けない数十年でした。これまでの私、お疲れ様でした。


今までの信念を手放して
新しい信念と共に。