アルケミスト

今この一瞬を大切に。明日のことはまた明日の今に考えよう。

2022-03-08 22:15:00 | 日記
目立たないというのは
楽でいい。

誰かの後を歩くというのも
楽でいい。

綺麗事を言うのは簡単だ。
でもやる人間は一握り。

本当は先頭になんて立ちたくない。

でも

自分が世の中を動かす市民だということを
もっと私たちは取り戻さないといけないと思う。


この不満だらけの世の中をつくったのは
自分自身だという責任を自覚することからしか

より良い世の中はこない。

自分のコミュニティを嘆いた自分を心から恥じる。そのコミュニティの構成員は私自身だからだ。私は、自分のコミュニティを悪くいう時間があれば、よくするために出来ることにエネルギーを費やしたい。そういう人からは遠ざかりたい。


私の人生を誰かが変えてくれるなんて思うな。私の人生を包み込む社会を、誰かに任せるなんて思うな。自分のいるコミュニティを、自分の人生の主導権を、誰かに奪われる恐ろしさを、私たちは自覚すべきだ。






ふりかえり

2022-03-05 11:21:00 | 日記
今回のことは私に本当に希望を与えてくれた気がする。

①本物は本質しか問わないこと
②開示が情報を集めること
③尊敬できる仲間に学ぶこと
④力ではなく、リラックスして楽しむこと
⑤全ての人の幸せをめがけること

そういう世の中は、まだ存在している。
私は、全ての人が自分と人の自由を互いに認め合える社会をつくる、その土台をつくる教育を、次の世代につなぐことを生涯の目標に設定した。やることは多分無限にあるし、何もやれなくなっても、つなぐことだけはきっとできる。

苦しくなったとき、この目標に戻れば自分の存在意義を思い出せる。

そして全国に、そして世界に、色々な現場に、世代も様々に、仲間がいることを知れば、自分の視野がいかに狭いかを実感できる。

皆が幸せに生きられる社会はどうつくれるのか、という思考が同じ方向である集団ではあるけれど、それだけ同じならば、互いが理解し合える関係は創れる気がしている。


自分と目の前の人の幸せを願うことができなければ、いい世の中をつくることなんてできない。そう思えた。

このまま地味に地道に進もう。

攻撃の裏にはその人の幸せへの自由への制限があることが分かれば、アプローチはかわる。そんな気がしました。

命の器

2022-02-28 07:19:00 | 日記
永遠のバイブルだと思います。
私の周りには
今、
尊敬できる人
大切な人
優しい人ばかり。

私の器を大きくしさえすれば
きっと同じ器の人が集まる。

そう信じて生きていくことは
とてもいいことだと
改めて実感しています。


みなさまありがとう。

本質

2021-12-29 00:40:00 | 日記
申し訳ないという感情に飲まれて
前を向けない日が続いています。

哲学を勉強している身として
また感情に飲まれるのはちょっと情けないじゃないかと
申し訳ないという思いの本質ってなんだろうと考えてみた。


自分を犠牲になにかをしてもらうとき
身に余るものをいただくとき
時間を割いてしてもらったのに役に立たなかった時
準備してくれたのに気付かなかったとき
誰かの努力を無駄にしてしまったとき

ここに上がる事柄の本質は

取り戻せない他者の労力の損失に対する畏まり、と結論づけたけれど

でもねえ、なんか足りない。
そんなに純粋でもないんだ。
もっと不安に塗れていて、
この不安ってなんだ。
何が不安なんだ、と問うた時
私と言う人間が、人の労力をたやすく損失させてしまう人間だと、そんな酷いやつだと思われたくない、というところに辿り着いてしまいました。なんてこった。なんて自分勝手な。結局は自我にたどり着いてしまったよ。

申し訳ない、は、私への赦しの乞いだったのか…

これは仕方がなかったんだ。
当たり前だなんて思ってないよ、私は。私は本当はそんなに図々しくないんだ。
本当の私はこんなんじゃないんだ。


平野啓一郎さんの「最後の変身」を読んでいてどきっとしたあの感覚が蘇る。

そうか。
私個人の申し訳なさの本質は畏まりだけじゃなくて、私という人間の価値への承認なんだと。

ここまで気づいてなんとまあ恥ずかしいことやら。

こんなにみんなに思いをもらっておきながら、私は自己愛で苦しんでたのか。恥ずかしい恥ずかしい!とにかく恥ずかしさでたまらなくなりました。

こんなくだらない申し訳なさに飲まれず、ありがとうを1万回くらい言う方がマシだと思う。

最近読んだのに、すぐ忘れる。
戒めと自己理解のために。

人間が生きている間、決して消え失せることのない唯一の情欲は自愛である。ルソー



生きるとはなにか

2021-12-20 23:05:00 | 日記
この秋からずっと
私は生きるとは何かを考え続けていて

生きるとは何なのか
全然答えが見えないのです。

ただ生かされている
生きてしまっている中にいて
小さな私の生きる意味をどうにかして作ろうとしてもがいている。

誰かのために生きる自分の意味
何かに尽くす自分の意味

生きることに意味がなければならないのは私のエゴでしかないのだろうと思う。



日常への不安も
一瞬の喜びも
小さな期待も
大きな悲しみも

ただそれを味わうことだけが
今の私が生きていると感じる瞬間かもしれない。

もしそうだとするなら
わたしに起こるすべてのことが
わたしを生かす理由になる。


不安な私も
自信のない私も
楽しめない私も
寂しい私も
よくわからないこんな私も
みんなみんな
愛すべき
愛おしむべき
生きている私なのだと
そう認めてあげればいい。

そう
私に伝えてやってほしい。


明日もただ
どんな私であれ
生きればよいのだと。


それがまた
私を生かすのだと。