今回のことは私に本当に希望を与えてくれた気がする。
①本物は本質しか問わないこと
②開示が情報を集めること
③尊敬できる仲間に学ぶこと
④力ではなく、リラックスして楽しむこと
⑤全ての人の幸せをめがけること
そういう世の中は、まだ存在している。
私は、全ての人が自分と人の自由を互いに認め合える社会をつくる、その土台をつくる教育を、次の世代につなぐことを生涯の目標に設定した。やることは多分無限にあるし、何もやれなくなっても、つなぐことだけはきっとできる。
苦しくなったとき、この目標に戻れば自分の存在意義を思い出せる。
そして全国に、そして世界に、色々な現場に、世代も様々に、仲間がいることを知れば、自分の視野がいかに狭いかを実感できる。
皆が幸せに生きられる社会はどうつくれるのか、という思考が同じ方向である集団ではあるけれど、それだけ同じならば、互いが理解し合える関係は創れる気がしている。
自分と目の前の人の幸せを願うことができなければ、いい世の中をつくることなんてできない。そう思えた。
このまま地味に地道に進もう。
攻撃の裏にはその人の幸せへの自由への制限があることが分かれば、アプローチはかわる。そんな気がしました。
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