命きらめいて☆馬、犬、猫など動物に関する理不尽な事件や心温まる出来事の記録

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ミャークヌーマ宮古馬の会(その後)

2019年01月16日 22時47分20秒 | 事件

一時的な開示なので転載させていただきました。
https://www.facebook.com/myahknuma/posts/469259140266747?__tn__=K-R

ミャークヌーマ宮古馬の会 (その後)
1月6日 6:05 ·
ウプカジの月命日の今日1月6日より
「ミャークヌーマ宮古馬の会(その後)」暫定的にオープンします

宮古馬を見守ってきてくださいました皆様へ
2018年12月6日に、荷川取牧場のリーダー、ウプカジが天に召されました。雄々しく立派な最期でした。その際には、たくさんの応援メッセージやサポートのお申し出をありがとうございました。
そしてそのあとを追うように、12月11日、小さなカイトが虹の橋を渡って逝ってしまいました。今回の報道で問題になった飼育者のもとにいた小さな命でした。カイトの痛々しい死は、ほんとうに心が打ちのめされるようでした。
その後の週刊誌やネットでの報道があり、2018年の年末は、この二年間ミャークヌーマのページでお伝えしてきたことが一時に表面に現され、大変な渦の中でした。対応不可ともなり、ページは閉鎖させていただきました。
その一ヶ月後の今日、1月6日、ウプカジの月命日からしばらく、暫定的にではありますが、続きのレポートをさせていただきます。
ページを閉じていた一ヶ月間は、あの劣悪な飼育現場からの馬の救出作戦に全力を注いでいました。
おかげさまで、生き残った4頭は救い出すことが出来ました。
幸せな馬たちの様子と共にページを再開できれば、と願っていましたが、まだまだ市の対応は予断を許さないものです。
とりあえずまずは、朗報をお伝えしたく一回再開の形をとり、馬のその後のご報告をさせていただきますが、次の形へ移行するかもしれません。
とりあえずのオープンですが、引き続き注視していただけましたら幸いです。

《個人のボランティアのページですので、基本的にコメントやメールなどには当分ご返信出来かねますが、お許しください。(やむなく対応不可になった場合は、閉鎖させていただきます)ここは討論の場所としては設定しておりませんので、ぜひ、お気持ちやご提言などは、どしどし市当局へお願いできればありがたく存じます。
これほどまでの騒ぎがありながら、馬の在り方は改善はされることなく、反省なく、ほとぼりが冷めるのを待っている宮古島市保存会当局です。またこのページも春くらいまでの暫定的なもので、今後のかたちは検討中です。》
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<これまでの経緯>
2017年3月に宮古島市が決定した「10才以上の馬の天然記念物除外」という事態を受けて、始まった「ミャークヌーマ宮古馬の会」
指定解除された馬たちの、行き場も救済策もないままのその決定には、宮古馬の存続の危機がかかっていました。
(※宮古馬は県の天然記念物で、市が管理を委譲されているので、所有者は市となり、飼育者はお預かりし、育てている立場です。そのため市が馬の扱いを決めてしまうと、飼育者は従わざるを得ません。といってもそれは形上のことであり、絶滅を危惧される生き物は、みなの財産で、市はそれをお預かりしているということ、それを市当局は忘れて本末転倒のことをしています。)
友人である荷川取牧場からSOSを受け、宮古島へ駆けつけたのが、ちょうど二年前の2017年の1月です。
馬たちの窮地を個人のページの記事でアップしたところ、シェアが2000件となり、宮古馬の危機が全国に知られることとなりました。
島内で最多頭数(27頭)を飼育している荷川取牧場は、当時宮古馬全体の保存を常に視野に入れた動きをしている唯一の飼育者でした。
その荷川取牧場(当時指定解除の馬を半数近く所有)を応援する目的が第一と、では宮古馬の未来をどうしていくのか、暗中模索しながら、ページを始めることとなりました。
立ち上げから今に至るまで、まったくの馬の素人の、頼りない個人(島外在住)がボランティアで細々と運営しているページです。
当初も問題が山積で、次々と来る宮古島からの信じがたい、また込み入った報せを、わかりやすく翻訳しなければ、とかみ砕いて記事にしていましたが、同時に、島でもただ一ヶ所、群れでの半放牧が行われている荷川取牧場の馬たちの素晴らしさ、愛らしさ、をぜひ見ていただきたい、こんなにステキな馬たちが整理されようとしている、と、次第にそちらの記事のほうをメインにしながら、合間に、厳しい現実を織り込んできました。宮古馬のほほえましい姿に魅了された、全国のみなさまからの応援に支えていただきながら二年間続けてきました。
当時、市が決定した「10才以上の馬の天然記念物指定を外し、それについては売買も譲渡も自由」という方針は、それに反応してくださった全国の方からの抗議で、同年6月、一旦見送りとなりました。(ですが、これは今も生きていて、保存外しが実行に移される予定はいまだ変わらずです)
さらに、他で飼育されている馬の状況に注意を払ううちに、劣悪な環境に置かれている馬たちの存在を知りました。
生き地獄のような飼育現場が2軒ありました。
正視に耐えない絶望の現場で、その2軒だけでこの3年に13頭が衰弱死しています。
市の担当課、市の保健所に改善要求をしても、そのような事実は確認されていない、問題があるとは思われない、と改善されることなく、この2名の飼育者から馬を取り上げることもない、どころか、さらに次の馬を持って行き、そこに行った馬たちは、何年もの間にわたり、そこで無残な最期を迎えてきたのです。
かわいい盛りの仔馬たちも数頭います。
島内にはデリケートな絡みがあり、無防備に動くと、情報提供者にも被害が及びかねない、そして、不法侵入として訴えられる危険がありました。市当局の無関心は絶望的で、事態を何年も放置、馬の命よりも怠慢が優先され続けてきました。
次々に死んで行く馬を前に手を出すことも出来ず、馬が人質に取られているような状況のなか、薄氷を踏むような難しい動きに、ときに絶望しながら、FBページでもそれとなく、そのことを発信したり、さまざまなイベント内で、その事実を伝えてきました。

2018年6月には、宮古島で「馬と人のこれからサミット」という催しを開催しました。
宮古島の地で、馬の全国的なイベントをすることで、行政にも協力してもらおう、という思いを込めて、タイトルは大きくサミット、としてみましたが、ごく小さな、あたたかな集まりを、との開催趣旨でした。
担当部署の宮古島市教育委員会、沖縄県の教育庁文化財課、それぞれにご招待のお手紙をお出ししましたが、お返事もなく、共に欠席という開催当日でしたが、ページ開催当初から、支援してくださっている馬関係者の方々が全国から手弁当で宮古島に集まってくださいました。
とても小さな規模でしたが、宮古馬を主役にした、初めての全国規模の馬の集まりでした。第一歩、序章でした。
その後も、さまざまな関係各機関にご相談に行き、霞が関へ国会議員さんに面会にも行って宮古島で起きている惨状を訴えましたが、なかなかどこも動いてもらえないなか、昨年の年末2018年12月11日号で、週刊誌の週刊SPA!がスクープとして、大々的に取り上げてくださり、ようやくこの事実が世に知られることとなりました。

〈それにより、ミャークヌーマ宮古馬の会へのコメントやメール数は、個人のボランティアでは対応不可の数となり閉鎖させていただきましたが、その間、虐待の馬たちの救出作戦に力を注いでいました〉


<週刊誌などの報道後のこと>
前述のように、劣悪な飼育現場で命を落とす馬のことを問題視しない市当局には、何年にも渡って良心的飼育者たちが抗議をしてきましたが、逆に市側には疎まれるだけでした。
狭い島のしがらみの中、問題の飼育者たちのことを世に問うた時、まずは馬への危害ーさらに見えないところに隔離されること、場合によっては始末されることすら心配されー、訴えた者が村八分にされるような状況で、手出しできず、事情を知る関係者はじりじりとした絶望の気持ちを抱えていました。
告発も検討しましたが、日本では動物の権利が弱く、たいてい不起訴になり、そうなるともっと難しくなるとのことで断念、そのようなときに、今回の一連の報道がありました。
SPAは本誌発売日に、ネットでも本誌の記事の全ページの掲載を敢行くださいました。編集長さんが宮古馬のために、と采配をしてくださったそうです。
馬の衝撃的な写真がネット上で拡散され、テレビの報道でも取り上げられ、これまでの宮古馬の最悪な飼育状況が知れ渡り、ご存じのように大騒ぎになりましたが、宮古島市はどこ吹く風の全面否定の姿勢、劣悪飼育者をかばい、真実を報道している側をデタラメ、と返答しています。
事実は違います。
週刊SPA!で取り上げられたものが真実です。
あの記事のとおりのことが、長年表に出されることなく、他からどれほど注意喚起があっても、改善されることなく、馬たちは充分なエサももらえず、不潔極まる環境の中、衰弱死していきました。
医師の死亡診断書に凍死と書かれているものもありました。
それほどの飼育現場です。
しかしながら、市は、言い逃れと虐待の事実を否定する姿勢を今も続けています。(2019年1月末現在)
さらに、市は今後、馬は一企業であるホテルに渡す、という予定でもあったようです。(現在はホテル側が困惑中)
いまだ全頭40頭に過ぎない宮古馬が、一企業に託される、ということは、とてもたくさんの問題をはらんでいます。
破綻したり、経営方針が変わったとき、馬が年を取って使えなくなったとき、簡単に切り捨てられる危険があります。
繁殖の管理や、保護育成も私企業まかせでは、不安があります。
もっとも、それはこれまでも市はまったく怠ってきたので、今よりはそのほうがよいということもあるかもしれません。
とはいえ、場当たり的な横流しとでもいった対応、できればホテルに全部を丸投げしたい、という、根本の改善はなし崩しのままの無策ぶり。
天然記念物の馬を活かすことではなく、なきものにしたいのでは、としか読み取れない姿勢です。
そのように、馬の現況はここに至ってもなお、市は反省も改善もなく、なにも変わりません。
そのようななか、一筋の希望の光もあります。


<馬の救出>
今回の報道、その後の一連の市に対するプレッシャーにより、2軒で生き残った計4頭をようやくひきだせる運びと成りました。
それでも市役所は最後まで意味不明の抵抗をしましたが。
4頭のうちの一頭、あのカイトくんのお義父さんには、これまでの心の傷を癒してあげて大事に飼ってあげたい、と、ある飼育者が名乗り出ました。
ところが市の担当者はその人には渡さない、と言い出し、ではどこに持って行くのか、との答えには、今は言えない、と。
ここまで来て、カイトくんのお義父さん、シンゴくんは、また闇に消えて行くのか、と、馬の救出に関わっていた一同絶望の淵に落とされました。
結局最終盤で、その不明移動先の話はなくなったのか、無事、その飼育者のもとに引き取られることになりましたが、市側のその理由が不明なのもたいへん不可解なことで、今後もまだまだ全く油断できません。
とはいえ、ともかくも、まず一頭は、やっとの思いで、安全な場所に救出することができました。
残りの3頭(何年も縛られた後、糞尿の池のなかに閉じこめられていた馬)もそのあと移動されました。
が、これは市側が仮に引き出しただけ、多分に不透明で、注視を要します。
みなさま、ぜひ、見張っていてくださいませ。


<これから>
ミャークヌーマ宮古馬の会は、荷川取牧場を応援する会として始まったものです。
現在全40頭中27頭、2/3の馬たちを、健全で幸せであるよう、そして少しでも頭数を増やそうと、自己負担で飼育維持をしている、馬が安心して生きることのできる牧場ですが、そこがもう立ち行かないほどの負担で限界であることから、そのサポートとして始まりました。
このページでは、荷川取牧場に居る馬だけでなく、全宮古馬を視野に入れて問題を把握してきましたが、小さな規模での動きで、これまでの抗議では、市は聞く耳をもっておらず、事態は何年も動きませんでした。
今回ここまで問題が大きくなって、なお、根本的な改善策を持たない行政ですが、今後はもっと市側と関わり、市をサポートしながら民間での動きを立ち上げることが必要と思います。
それについては、現在少しずつですが進行中です。
また具体的になりましたら、皆様からのご協力も賜りたく、よろしくお願いいたします。
宮古のお馬たちのことをどのようにしていったらいいのか。
これまで、机上の「保存計画」という、馬のこと、現場のことを知らないお役所が作りあげたものでの、心もなく、実態に即さない計画先行でした。
一度それも白紙に戻して、頭数計画などもやめてみて、目の前の馬たちと向き合いながら、ではどうするのが一番いいのか、たとえば職員にも飼育体験の義務を課すなどしながら、現場で起こることをひとつひとつ改善していく、そのなかから拾い上げていくものこそが、現実を変えて行く具体的な力となるでしょう。
そういうのがいいなあ、と思います。
ゆるやかな保存の形を何年かかけて、現場で関わる人たちとも共によくすり合わせながら。急ぐことなく。
なにしろ40年たって、たったの30頭しか増えてないのです。
種の保存上安定頭数は200頭と言われています。
このペースでは、それまで、あと何十年かかるでしょうか。その間に柔軟に、より良い形を見つけていけばいいです。
底の浅い「保存計画」など要りません。
人も馬も幸せな形、きっとあるはずです。
今回の悲惨な馬たちの写真は、それを見た、たくさんの人の心を深く傷つけました。
逆に、生き物たちが幸せにしている光景は、多くの人の心を救います。
生き物たちの幸せを実現することが、人をも幸せにすることに繋がるのではないでしょうか。
宮古馬は宮古島の宝です。
絶滅寸前だったのを、当時の関係者、そして馬たちの頑張りがあって、ここまで命を繋いできたのです。
絶滅を乗り越えてここまで生き延びてくれた馬たちは、いまではお荷物のようにその命を切り捨てられていますが、いまだに全頭40頭、一年でたった一頭も増えていません。
劣悪な飼育で馬を死に至らしめた飼育者、それを放置していた市当局は、当然その罪と責任を問われるべきでしょう。
その上で、ではこれからどうしていくのか、これまでのような悲しいことが二度と起こらないよう、健全な宮古馬の在り方を具体的に創り上げていくことが急がれます。
絶望のなかで命を落としていった、たくさんの馬たちのためにも。
この二年間、宮古馬を支えてくださった皆様に、心より深く御礼を申し上げます。
まだまだ今後の馬の運命が予断を許さない状況です。
どうぞこれからも宮古馬をお見守りいただけましたら大変ありがたく、よろしくお願いいたします。

ウプカジとカイトの魂へ、
犠牲となった馬たちの命へ
そして、
いまを生きてくれている すべての命たちへ

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<ミャークヌーマ基金(荷川取牧場宛)について>
この基金は2017年3月、荷川取牧場にいる馬たちのためのサポート基金として発足しました。
島内で最多頭数を飼育をしている荷川取牧場では、馬場の整備、厩舎の修繕、餌代の不足、と年間200万円単位の自己負担でしのできました。
なにしろ、保存会からはそうした設備費も一部しか出ないので、すべて個人が自腹でまかなってきたのです。
馬は飼う側が苦しい経済負担をするのが前提という、大変におかしな状況です。
それでも荷川取さんたちは、馬を絶やしてはいけないとの思いだけで、土地を売りながらも大事に馬を育ててきました。
それももう限界です。
そのサポートとして、基金は始まり、管理は荷川取牧場で、今年の4月に決算報告をさせていただいています。
その際に荷川取牧場以外の飼育者の方々にも、そのご寄付の一部を配布させていただきました。
カイトの飼育者については、カイトの餌代として、ボランティアの方へ預けました。
この度の週刊誌の報道後、問題の虐待の馬たちを救いたい、と、この基金にご寄付されることが何件かあるなど、混乱が生じたため、口座情報を閉鎖しています。
はじめた当初は、唯一の宮古馬のための基金として、この名称をつけましたが、この度の報道後はこの名前はまぎらわしいと思っております。
基金は今後の形を探っているところです。
今年度の決算はまた今年4月にご報告させていただきます。
荷川取牧場のサポートということを了承の上ご寄付いただいている継続の方以外の、報道後の新しいご寄付の扱いにつきましては、検討させていただき、なんらかの形でまたご報告させていただきます。
いずれにしても今は混乱を避けるため、寄付の受付はしておりませんので、ご了承ください。
(報道後、お振り込みしてくださった方のご寄付は届いております。厚く御礼申し上げます))

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<宮古馬全体へのサポートの在り方について>
「ミャークヌーマ基金」は前述のように、あくまでも最多頭数を自費で飼育する荷川取牧場へのサポート基金だったわけですが、他の飼育者も、馬の頭数が少ない(2頭から4頭)とはいえ、それぞれに、柵の修理、厩舎の建築、修繕等が発生します。
市や県だのみでは、予算の関係で、一年二年先となり、それも全額出ないという始末です。
なかなか自費でまかなうことが出来ない現状では、結果、馬たちが、そのために快適ではない環境で暮らさざるを得ない、そのような現況をどうしていくのか、
そのための民間のサポートも今後、積極的に考えて行く必要があり、現在関係各位のお智慧も借りながら検討しているところです。
サポートの形が整いましたら、またご案内させていただきますので、ぜひご協力をお願い申し上げます。
*ウプカジの写真:Misaki san


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レスキュー活動によって4頭が救い出されたことなど、ご尽力に本当に頭が下がる。ただ一つ気になることがある。メディアもあいまいで疑問に思っていたことだが、沖縄県指定天然記念物である宮古馬は誰のものなのかということだ。

沖縄県なのか宮古島市なのか「宮古馬は市の任意団体「宮古馬保存会」(会長・宮國博教育長)の所有で、市教委が事務局を担っている。」(沖縄タイムスより抜粋)なのか。
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/359810

宮古馬の持ち主が誰なのかがはっきりしないと、責任の所在があいまいになってしまう。今までの経緯から県、市、保存会それぞれが他人事のように押し付け合ってる感じがしてならない。つつかれた市は逃げるばかりだが、逃げ方が尋常じゃない。そこからも特別な土地柄だということは理解できた。たくさんの支援(支援者と資金)が全国から集まらないとまずいことも。

宮古馬と与那国馬

2019年01月16日 18時34分45秒 | 事件
宮古島のご近所に日本最西端の島、与那国島がある。そこでは与那国馬という在来馬が生き延び守られてきた。宮古島市の5分の1ほどの小さな島の在来馬は宮古馬にサイズも気性もよく似ている。

現在130頭もの馬が与那国島はもちろん、全国のいろいろな場所で育まれている。宮古馬より20年も前の1969年に与那国町の天然記念物に指定されたが、一時は50頭近くまでも減って絶滅の恐れもあったという。そこからどうやって増頭できたのか。

保存会を早々と公企業化し、一昨年「一般社団法人 ヨナグニウマ保護活用協会」へと昇華させ、ますますパワフルの様相だ。宮古島との大きな違いはマンパワー。馬を愛する情熱だ。馬広場構想が何とも素晴らしい!

これ!これなんだよね!馬と人が共生できる道は!サイトを読み進めていくうちに、涙が出そうになるほど、嬉しかった。宮古馬たちが不憫に思えて悲しかった。馬に対する愛情が伝わってくるのですよ。これからはここの先輩たちに教えを請いながら進めばいいのでは?

一般社団法人 ヨナグニウマ保護活用協会https://www.yonaguniuma.com/

家畜だとしても

2019年01月16日 17時58分11秒 | 事件
宮古馬を絶滅から救うとは言うまでもなく、血統を守りながら増やしていくことだ。

そのためには遺伝的に問題のある馬が生まれた場合は繁殖に使うことはできない。保存対象にはならないのだ。そういう場合、保存会では飼養せずある程度大きくなってから民間に売ったり、肉用に売ったりしている在来馬の保存会もあるかと思う。犬や猫と違って肉が売れる家畜でもあるという悲しい現実が付きまとう。辛いこともあるかもしれないが、繁殖さえ計画的にすればそんなに多くはないと思う。

そのほか、年を取りすぎたとかいろいろな問題があっても、群れの先生役だったり、ホースセラピーができたり、何かと利用価値がある馬なら、寿命尽きるまで飼養することがそんなに困難だということはないはずだ。もちろん、土地や補助金が十分であればの話だが。

今回問題となった一部の委託先の飼育環境だが、特異だとN氏本人は思っていないようだ。一般的にはあまり知られていないことだが、肉用の牛や馬、豚などは狭い場所に閉じ込められて、糞尿にまみれて生涯を終えることも珍しくはないからだ。

N牧場では宮古馬たちも他の肉用馬たちも豚や肉牛と同じように飼われていたにすぎない、というのは馬を家畜として扱っている人たちの言い分だ。いずれ県の天然記念物から外れると思っていた飼い主にとって、宮古馬も肉牛や豚と同じで金になる肉用馬なのだ。

馬が犬や猫と同じ伴侶動物であり、愛玩動物であると思っている人たちにとって、あの状況は本当にたまらないと思う。馬を牛や豚と同じに思っていない人の方が圧倒的に多いので、大きな騒ぎとなるのだと思う。

乳牛種のオスは生まれてすぐに殺されることとか、元競走馬の送られる肥育場が養豚場と同じで、ぎゅうぎゅう詰めで糞尿まみれで肉用馬として飼育されてることが多いとか、普通知らないことが多いと思う。

忘れてはならないことに、どんな立場であろうと彼らは「愛護動物」であり、動物愛護法にもある動物福祉の基本方針

①飢えと渇きからの自由
②不快からの自由
③痛み ・ 負傷 ・ 病気からの自由
④恐怖や抑圧からの自由
⑤自然な行動をとる (本来の習性を発揮する) 自由

は守られなければならないことだ。

今回の事件を通して、彼らの飼育環境にも関心を持ってくれる人たちが増えるのを願っている。宮古島市役所の担当部署は虐待についての勉強と指導、動物取扱業の登録など率先してお手本を見せてほしいと思う。


オモゲー(ウムイ)をしたまま気持ち良さそうに眠る石垣島の
波ん馬ホースライディング牧場さんhttps://www.naminma.com/のお馬
お腹はパンパンだ


オモゲーがはずれてからまったまま倒れ、朽ちようとする命
どれくらい放置したらこんなふうになってしまうのだろうか!?
(何度もすみません。悔しくて悔しくて・・・合掌)