ただの偶然なのですか

私のお気に入りと日々の感想  

ぼくはDJ

2011年02月28日 | ぼくは猫じゃない(小説)
ぼくは言葉が少ししか理解できないのに、どうしてぼくにはママの気持ちがわかるのか不思議に思っている人がいるかもしれないけど、ぼくはママの心がよめるんだ。
たとえばパパがガツガツとごはんを食べているのを見て、ママが「千と千尋の神隠し」のワンシーンを思い出したときに、ぼくはママのとなりで「ブーブーブー」と言ってみた。
ママが考えごとで頭がいっぱいになっているときにぼくが「うるさい」と言ったり、ママが「明日、映画を観にいこうかな…」って考えているときにぼくが「えいが、いく」と言ったり、ほかにもいろいろあるけど、最初は驚いていたママも今ではそれが自然なことのように感じている。
でもママはこのことを誰かに話したりしない。ぼくに出来ることだから、たぶん他の人にも出来ることだとおもうけど、こんなことを言ったら頭がおかしいと思われるのが怖くてみんな内緒にしているのかな。ぼくは言葉が理解できないぶんをこの力でおぎなっているけど、言葉が話せる人には必要のないものなのかもしれない。
それに、ママが意識してテレパシーをおくろうとしてみても、ぼくには伝わらない。ぼくにママの思っていることが伝わってくるのは、ママが近くにいてボーっと考えごとをしているときだけだ。だから実用的な力じゃないし、このことについて研究している人なんていないんだろうな、たぶん…。
でも言葉には波動があるので、ぼくは言葉の意味がなんとなくは理解できる。
そして音にも波動があるので、ぼくは音楽が大好きだ。メロディーとかリズムとか、音の波動に言葉の波動をのせて伝える音楽は、この世界でいちばん人の心をうつ表現だとおもう。
ママが落ちこんでいるときには、ぼくはいろんなCDからママの気持ちにぴったりな曲を次々と選んでママに聞かせてあげるんだ。ぼくの選曲がその時の気持ちにあまりにも合っているので、いつもママは驚きながら魂を震わせている。
そんなぼくが尊敬している人は、ファンキーなモンキーさんのDJさんだ。ファンキーなDJさんは、大きく手を広げて空にある言葉と音を集めて、楽器や声を使わずに体と心と笑顔で音楽を伝えている。
ぼくもあんな人になれたらいいな。その存在だけで他人になにかを伝えて、誰かを幸せな気持ちにさせることができるなんて、すごいとおもう。
でも今は、ぼくはママのDJだ。ぼくが流している聞こえない音楽は、ママの人生に彩りをそえ、ママの心を踊らせているんだ。