市川稔の米(マイ)情報

富士スピードウェイ F1

30年ぶりに富士でF1が開催された。

新しいルールなんだね。
セーフティーカーが先頭を走り、安全性が確保出来たと判断した時点でレースが始まる。(セーフティーカーが率いている段階でもレースは始まっているが追い越しは出来ない)
なんと19周も先導していた。

AMGのメルセデスがペースカーであったが早いこと早いこと。
特別にチューンしてあるクルマだそうだ。

予定変更ありライブのF1日本グランプリをテレビ観戦した。

雨の富士は非常に怖い。
前のクルマの水しぶきでまったく前が見えないはず。

トヨタが三菱地所から富士スピードウェイを買収してまさに「晴れの舞台」だ。
おおよそ200億円ほどかけて改修したそうだ。

マクラーレン・メルセデスのハミルトンがポールポジションからスタートし優勝した。若干22歳の若者であり黒人ドライバーだ。

F1は自動車技術の最高峰。エンジンの状態やブレーキの状態など、すべてコックピットのコンピューターに伝えられる。ドライバーとは無線でやりとりする。
メーカーが巨額資金を投入しているのだ。

雨の富士。1,5kmのストレートは300km以上のスピードが出ていた。
ドライなら330kmか340km出たのではないか。
(F1のブレーキは時速300kmから100mほどで止まることができるとのこと。スゴイねぇ。)

小生も若いころツーリングカーで富士を走っていた。

雨のレースというのは非常に怖い。
さすがにプロドライバーの頂点であるF1ドライバーはめちゃくちゃうまい。
プロドライバーの横に乗り富士を走ったこともあるが人間業ではないと思ったものだ。

小生が初めて富士でレースに出たときのことを思い出した。
もう35年も前の出来事です。
当時行われていた「フレッシュマンレース」というものがありました。
新人の登竜門みたいなものです。
初めて出場したそのレースも雨であった。

決勝出場のために予選がある。
35台のワクに55台ものエントリーがあった。

雨の予選はクラッシュの嵐であった。

予選での出来事。
当時はショートコース約4,3km左回りであった。
最終コーナー(今回のF1では第一コーナー)を立ち上がり、3速全開から4速に入れた瞬間であった。
一瞬何が起きたか分からなかった。
なんと直線でスピンしたのです。
富士の直線は幅が30m以上もありますが、その真ん中付近で止まったのです。
(水溜りに乗りハイドロブレーン現象というやつ)
それは恐ろしかった。

だから今でも雨の高速道路はけっしてスピード出さない。

それで予選の結果ですがなんと4位通過。

最前列に3台。小生は4位なので2列目のインコースです。
予選1位、ポールポジションのクルマは予選中にクラッシュして出場していない。
前が空いているではないか。
雨は上がっていた。
よーし、これはチャンスだと思ったのでした。

左回り第一コーナーは高速コーナー、フルスピードで突入する。
(たった1300ccのカローラだからたしたスピードではない)

第一コーナーは二番目で突入。

無我夢中必死で走った。
この手のクルマならコーナーに突入する時(フルスロットル状態で)どこまでブレーキを踏まずに我慢できるか。当然ブレーキはフルブレーキ。
度胸試しみたいなものです。
1周目の最終コーナーでインをつき追い抜きをかけた。
トップにたってやる~
その瞬間スピンしたのだ。

すべてのクルマに追い抜かれた。
ビリからのスタートになった。

そこから必死に走る。

終わってみたら12位だった。

そんな富士を思い出したのでした。

F1とはまったく違う幼稚な世界ですがその当時は夢中だった。

若かりしころの思い出でした。
関係ない話で失礼しました。

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