しかし、変な制度でクライマックスシリーズとかがあり、3位までのチームで日本シリーズを賭けて戦うのだそうだ。
だから優勝でなく1位通過と言うらしい。
小生はタイガースファンです。
昭和39年。東京オリンピック開催の年でした。
(古い話で恐縮です)
小学校6年生だった。
父は巨人ファンで後楽園球場に巨人×阪神戦を見に連れていってくれたのでした。
プロ野球選手の投げるボールが恐ろしく早く見えたものです。
その時阪神のピッチャーは故村山実さんでした。
まさに孤軍奮闘、全力で投げるその姿に感動したのです。
父の思いとは逆に阪神ファンになってしまったのでした。
当時の後楽園球場はほとんど巨人ファンだったと思う。
(この試合は1対0で阪神の完封勝ち。この年は阪神が優勝。)
村山投手と長嶋さんは現役時代はライバルであったが引退後はとても仲良しだったと亜希子さんが証言していた。
(エピソード 天覧試合でサヨナラホームランを打たれた村山さんは「あれはファールだった」と言い続けた。自身の1500奪三振、2000奪三振は長嶋さんから奪っている。他の打者は打たせて取り長嶋さんの打席に照準を合わせていた話は有名。)
その東京オリンピックでコンパニオンを務めた「亜希子さん」に長嶋さんが一目惚れしてスピード結婚したのでした。
子供心になんて素敵な人なのだろうと思ったのでした。
田園調布双葉中学校・高等学校在学中にアメリカへ留学。高校・大学をアメリカで学ぶ。英語、フランス語、スペイン語も堪能な才媛であった。
結婚したら家庭第一で外にはほとんど顔を出されない方でした。
2男2女、4人の子供を育てながら、国民的大スターの奥様として家庭を守ったのでしょう。
いつか、自分に娘ができたら「亜希子」とつけたいと思っていたのです。
長女が生まれた時にさっそく「亜希子」にしたかった。
当時、名前を決める時に「寒川神社」に行き姓名判断をしてもらっていました。
するとあまりよくないという。
それで、晶子と書いて「まさこ」にしました。
翌年子供が出来ました。辰年の男が3代続くと縁起がよいとかで男の子だと思っていましたが女の子でした。
またまた、寒川神社に行き姓名判断をしてもらうと、今度は大丈夫だという。
そして次女に「亜希子」と命名したのです。
長嶋亜希子さんは小生にとってそんな影響があったのです。
どこで人に影響を与えるかわかりませんね。
これも何かのご縁(こちらが勝手に思っていただけですが)と思う。
合掌。
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