後にファミリーレストラン御三家と云われました
それぞれ破竹の勢いで出店
それに伴ってお米供給側の弊社の方も業容拡大して行きました
そういう中、ロイヤルは九州が本拠地なので店舗数も多い
なんとか九州の店でも弊社の米使えないかということになり
当時、食管法の中で、神奈川から福岡にお米を販売することなどありえなかった
営業区域のこともあるし、運賃のこともある
ロイヤルは昭和45年開催大阪万博に出店
福岡のセントラルキッチンで調理したものをうまく使い提供したことによりとてつもない売上たたき出し大成功した経験を持つ
福岡から大阪まで自社冷凍トラックで運んだのです
東京地方に出店した店にも福岡のセントラルキッチンで製造した食材を自社大型トラックで冷凍輸送していた
運送会社ではないので帰り荷はない
そこにお米を載せたらどうかということになり
食管法上も神奈川県の本店で売り渡したということに
そんな案というか奇策を思いつき九州への輸送が始まった
背景には、
今では九州でも良食味のお米がとれますが、
当時は食味の差がすごく大きく
新潟や東北のお米の方が圧倒的に食味が良かったのです
弊社の売上も御三家始め得意先拡大し
昭和49年11,6億円
昭和50年15,4億円
昭和51年20,3億円
昭和52年30億円
昭和53年44億円
こんな感じで増えていった
続く
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