市川稔の米(マイ)情報

私の米流通の歴史⑧

私の米流通の歴史、主に新たな業務用マーケットのこと中心に書いてきました

ここで、家庭用のお米のことも書いておきたい

当時は食管法の中で自主流通米制度というのはありましたが、自由にお米を選べるという環境ではありませんでした

まして、特定の生産者と直接取引することなど出来ない

米会社の役割というのはユーザーや消費者のニーズを汲んで商品化するもの

という風に小生は理解していたが

実際はなかなか難しいものでした

当時からわたしは「産地・銘柄」で販売することに疑問符持っていて

米は田んぼでとれるが、精米は精米工場の役目と思っていた

自社ブランドで「商品化」することが必要であると


そこで、考え抜いて商品化した

パッケージ、米袋というのは表示義務があり、表面の三分の一以上の大きさに

販売会社、連絡先、原料名など表示することが決まっていて

これではデザイン化が難しい


そこで一計を案じたのは

表と裏

裏面にデザインしてそちらを上にして陳列する


漢字をデザインし


無限

一九一八(いちきゅういちはち)

誂(あつらえ)

極(きわみ)

舌鼓


など

当時の会社案内から写真を


米袋をデザイン化した魁であると思う








続く

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コメント一覧

市川 稔
ありがとうございます
山田さん

昔の話しは書かないようにしていました。
が、もう昔過ぎて時効だと思い(笑)
記録として残しておこうかなと。

ありがとうございます。
山田正樹
思い出します
毎日楽しみに拝読しています。
会社訪問をさせて頂いたときの事を今でもよく覚えていますが、この袋のネーミングには感動いたしました。
当時のパンフレットも大切に保管しています。
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