冬型の気圧配置が崩れ、いわゆる爆弾低気圧が太平洋側に襲来。
天気予報で予測していた以上の雪が降りました。
東京や神奈川ではほとんどのクルマは夏タイヤ。
少しの雪でもスリップし立ち往生、そして衝突。
警察やJAFは対応が大変だったろう。
小生の会社でも営業時間短縮させていただきました。
危ないから買い物にも出ないからね。
豪雪地帯の人からみれば笑ってしまうだろうが・・・
大雪というと思いだす。
あれは、高校の入学試験の日だった。
昭和43年(1968年)のこと。
当時の地名は神奈川県高座郡海老名町でありました。(田舎だった)
そこから横浜にある私立高校に行きたいというので入学試験に向かったのでした。
父の戦友の息子3人が中学から行ってる学校でした。
中学からは遠すぎて通えきれないので高校から入学したいと。
理由はただひとつ「学生服」にあこがれていたのでした。
紺色の学ランに黒ボタン。(誂えは三越でした)
なにせ、当時通っていた「有馬中学校」は男子全員坊主頭ですから。
行きたい高校は「日本大学高等学校」東横線日吉駅近くにあります。
その受験日は雪になり、心配した父は自家用車で連れて行ってくれることになりました。
クルマはニッサンセドリックでした。
一般国道をとことこ行ったのだと思います。
雪は一日しんしんと降っていました。
試験を終えての帰り道。
雪ですから道路は大渋滞。
何時間掛かったか、ようやく海老名市の入口まで戻ってきました。
国道246号線の国分寺台の坂道でクルマが立ち往生して動けなくなりました。
どれほどの時間、エンジンかけたまま車内にいたのかよく覚えていません。
ガソリンなくなれば暖房も効かなくなので寒い。
そんな時、
父は突然「校長先生の家が近いので行ってみよう」と言うのです。
その時父は中学校のPTA会長していたので親しかったのでしょう。
クルマはそのままにして歩いて校長先生の自宅に行きました。
なんと、その晩は夕飯もごちそうになり暖かいふとんで寝ることができました。
校長先生の自宅に泊めていただいたのでした。
有難かった。
感謝です。
15歳の時の思い出です。
昨日の成人式の日もいろいろドラマがあったでしょう。
記憶に残るよい思い出になってくれればと思います。
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